2006年12月26日

酒樽屋の忘れ物 其ノ一

酒に従事する者だけではなく、炭屋であろうと八百屋であろうと日本の労働着のひとつとして「前垂れ」というものを、かつて誰でも着けていたものです。
要するに、「前掛け」です。

勿論、酒樽屋も毎日愛用しています。

左が戦後、右が戦前の物です。藍の濃さが違います。
長さも変わります。作業内容の変化に伴って、少しずつ短くなってきました。
先を機械に挟んだりして危険なので、ある時から急に短くなりました。
ポケット付きの物も登場します。
どこか粋なところがあるのでしょう。最近、再評価されて復刻版が出来たりしています。

これを腰に締めると、鉢巻を巻いたように気合が入って、よく仕事が出来るのです。
ただ、休み時間に外した時に、よく忘れて来てしまいます。



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2006年12月22日

樽太鼓に釘とボンド



「竹十」では樽太鼓の修理も行なっておりますが、持ち込まれるタルの状態も様々です。
写真は、緩んだ「タガ」を固定するべく、釘を打ってしまった例。

「竹十」の樽太鼓は酒樽などより、はるかに強い「タガ」で締めてはおりますが、
タルとは液体または湿気を含んだ物を入れることを前提に作られているので、
樽太鼓のような使い方をした場合、タルは時間の経過と共に「タガ」は緩んできます。
これは仕方がないことなので、直ぐに修理に持ってきて頂くとありがたいのですが。

中には、ゆるんだ「タガ」に釘を打ったり、木工用ボンドを塗ったりして、補修されているものがあります。
こうなると、修理は困難になります。

釘やボンドで補修しても、音が良くなる訳でもなく、楽器として、なんの意味もありませんので、そのまま修理に持って来てください。

その頃は蓋も傷んで、交換の必要が出ている筈です。
お願いします。

投稿者 diva : 09:09 | コメント (0)

2006年12月19日

酒樽に三本目、四本目の手

すべからく、もの作りをする者にとって、手は最高の道具と言えます。
あらゆる道具は手あるいは指の延長線にあるのでしょう。
手・Mano,(複数でMani)から職人・Manifattore,Monovelle,という言葉が出来たほどです。
我々酒樽屋の職人にとって、足も第三、第四の手なのです。
タガを入れたりする時に足で酒樽を回します。



今日のような寒い朝も裸足、素手で仕事をします。
酒樽は神酒という神聖な物を入れる容器を作るのですから、清めた裸足は当たり前です。
とは言うものの未だ体の温まっていない早朝には、ちょっと気合が入ります。
でも、ひとつ酒樽をつくった後は汗びっしょり。
その後は真冬でも夜まで、Tシャツ一枚で仕事を続けますが、お客さんが来られたり、食事時に手が止まってしまうと、一気に寒気が襲います。



下駄、足袋を履かなくなった現代人の足の指は退化しているといわれています。
足の指を使うことは健康にも良い筈です。
爽快なものですよ。

投稿者 diva : 09:01 | コメント (0)

2006年12月18日

アマデウス あるひは疾走するかなしみ

��006年は「生誕250年」。
誕生月の一月、ザルツブルグでのムーティによる祝祭に始まり、今年はモオツァルト、MOZARTの一年でした。
ヴォルフガング・アマデウス・モオツァルトが生きた1700年代後半というのは、日本では本居宣長、上田秋成、与謝蕪村らが活躍した時代でもあるのですが、彼らを再読する人よりもモオツァルトを聴き続ける人々の方が遥かに多いということは音楽が持つ、時代と国境を超えた普遍性を象徴していると言えましょう。

交響曲40番ト短調アレグロについて、小林秀雄は以下のような有名な一節を書き残しています。
敗戦直後の昭和21年の暮れに小林自身の編集による雑誌「創元」第一輯に掲載されたものです。

初出誌「創元」創刊号

「確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追ひつけない。
涙の裡に玩弄するには美しすぎる。
空の青さや海の匂ひの樣に、萬葉の歌人が、
その使用法をよく知つてゐた「かなし」といふ言葉の樣にかなしい。」


 「駆けめぐる悲しさ(tristesse allante)、言い換えれば、爽快な悲しさ(allegre tristesse)とも言える<テンポ>の速さと対照をなしている」(アンリ・ゲオン『モーツアルトとの散歩』高橋英夫訳)にインスパイアされているとはいえ、吉田秀和にもグルーバにも書けなかった名文。
小林秀雄の絶筆は、ゆくりなくもモオツァルトと同時代の「本居宣長」でした。

モオツァルトの絶筆は「レクイエム第8曲」LACRIMOSA(涙あふれて)。
楽譜には、彼自身の涙の跡と思われる滲みが残っていると言われています。

投稿者 diva : 15:38 | コメント (0)

2006年12月15日

一斗酒樽をつくる

今季は、大きな四斗樽(一升瓶が40本入ります)の注文が殆どだったのですけれど、やはり年末です、久しぶりに、小さな「一斗の酒樽」の注文をたくさん頂いたので、今日は一日中、一斗(18リットル、一升瓶10本分)の酒樽を作りました。何を作る時もそうですが、大きい物より小さい物の方が手間がかかります。
しかし、小さい物に大きい物より高い値段をつける訳にはいかないので困ります。
一斗樽以下、すなわち五升樽(9リットル)等は四斗樽を作るに等しい時間と技術を要すのです。

正月は酒樽!ですね。
おいしい樽酒を堪能して下さい。

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2006年12月14日

酒樽の鏡開き。あるいは祝賀のはじまり

かつて、日本中のお祝いの席には、必ず「四斗樽」が鎮座して、宴の中心になっていたものです。
ある日から、それがウエディングケーキに代わったり、二本縛りの一升瓶(酒の容器として最も悪いデザイン)になって行きました。
似非欧米文化に飽きた二十代の人たちから、「樽酒」が再評価されてまいりました。
とりわけ「鏡開き」が、「おしゃれ」なのだそうです。

鏡は、古鏡の形に似ていることから、樽の蓋の意味ですが、
縁起物ですから、「鏡割り」とは呼ばず、「鏡開き」といいます。
法被の意匠は少し考えた方がいいかもしれません。

灘の大手メーカーでも、吉野杉以外の材料を使った酒樽を安いからという理由で、
堂々と出荷していることは由々しき問題です。
清酒には吉野杉が最も相性がいいのです。
香りが全く違います。

2006年12月13日

漬物樽を味噌樽として使う

本来、味噌樽というものは、長く貯蔵して置くものなので、上の口を狭くして、空気に触れる面積を極力小さくする物なのです。ただ手間がかかるので、価格もそれなりに高くなってしまいます。

そこで、安い漬物樽を転用し、押し蓋の替わりに上に置き蓋をのせ、簡易味噌樽として使う方が増えました。味の違いは来年、味噌が出来上がって見ないと判りませんが、容量も大きくなり、お得感はあります。
伝統的な味噌樽も、製法を研究して、もう少し気楽に買える値段の物を開発するつもりです。

写真は東京のKさんの依頼による味噌樽に見立てた漬物樽。

2006年12月11日

樽屋の隣で餅つき大会

「たるや竹十」H.P.表紙の版画にあるように、「竹十」の中に明治時代までは神社がありました。
現在は「住吉神社」として独立しています。
そこに毎年、町内から大勢の人々が集まって、餅つき大会があります。
朝から夕方近くまで、何臼もつきました。

普段、顔を見たことはあっても、挨拶もしたこともない人たちと和やかに餅を丸めて(形は悪い)、
雑煮を食べたり、酒を呑み交わして、一日を過ごす様子は、下町ならではの風情です。
町内の餅屋さんと和菓子屋さん、米屋さん、酒屋さん、樽屋さんの協力もありますから、心強いのです。
つい、最近まで何処でもあった行事ですけれど、今では都市部では勿論、地方の村落ですら、
失われていった日本の原光景と言えます。

イタリアの山岳都市やネパールの奥地の村では、何処にでも見られる光景でしょう。

2006年12月10日

恵比寿ちゃんという名の漬物樽

セロリと茄子

友人のM君は、自家精米で出た糠を使い漬物を作っています。
「たるや竹十」の漬物樽に「恵比寿ちゃん」と命名して、毎朝、仕事に行く前に手入れをしているそうです。
殆ど、恋人状態と言えましょう。

画像(上左の写真)が悪いのですが、重石に使っている石は、彼が自分で採集してきた富士山の溶岩だそうです。
どんな石を使っても、漬物の味には全く関係ないと思います。M君だけの趣味でしょう。
決して、M君のまねをして富士山の溶岩を持ち帰らないようにして下さい。
国立公園ですから。

2006年12月9日

今年も漬物(つけもの)樽(たる)の季節になりました


今年は大根(学名Raphanus sativus)が豊作で、たくわん(正確にはたくあん)を漬けようとされる方が多く、漬物樽の御注文が急増して、
丁度、酒樽の時期と重なって、樽屋は大忙しです。
たくあんは12月生まれの澤庵 宗彭(1573~1645)が始めて作ったとも、
「貯え漬」が訛ったとも諸説あります。

たくあん漬には、二斗樽以上の大きさの漬物樽を使わなければなりません。
漬物樽に大根を入れる時は写真と違って、生えていた時と同じ方向、
すなわち縦に入れなければならないために、二斗の漬物樽(つけものだる)
もしくは、四斗の漬物樽(つけものだる)が必要となるのです。
どんな方向に漬けようと勝手ですが、ものを拵える時は自然の節理に逆らわないことが肝要です。

漬物樽(つけものだる)も山で植わっていた杉原木の姿通り「根」の方を底に持ってきて作っております。

2006年12月8日

夜の神戸に、またまた怪あらわる!!!









師走になると、神戸の町に不思議な光りが出現します。
ルミナリエという名前で、阪神大震災で亡くなった方々への鎮魂と避難所生活など厳しい生活を余儀なくされてきた被災者の皆さんへのねぎらいと励ましという大義名分は立派で、実際に美しいものなのですが、楽しみにされておられる方も大勢いらっしゃるでしょうけれど、会期中は地元の神戸市民にとって、少々迷惑。

会場周辺が交通規制のために、町なかに侵入できず、仕事に支障がおきます。
市内全体が当然、渋滞して酒樽の配達が遅れます。
地方発送の漬物樽の配達を依頼している運送会社のトラックがいつもの時間に工房に来てくれません。
街の中心地で開催されるので、恐ろしい人数の人出に、日常生活に必要な買い物が困難になります。
なじみの飲食店が他府県の人たちによって占拠されるので、外食が出来ません。
近隣の百貨店は近道兼トイレ化するだけで、売上はむしろ落ちるそうです。

元々、これは南イタリア、シチリア島で毎年行なわれる祭礼の灯火で、LUMINARIAと言います。
それを、真似て、派手にしたもので、神戸独特の名物ではないのです。
日本でいうとお盆の行事のような物で、たいそう宗教的なものです。アメリカやメキシコでも盛んだそうです。
これを、更に真似た**ナリエなどという珍奇な物も各地で発生しています。


LUMINARIA

本場のルミナリアは上の写真のように、ごく地味なものなのです。
シチリア大好きの樽屋も十数年前にラグーサで、はじめて見ました。

2006年12月6日

X’mas 用!!甲付(こうつき)特上酒樽(たる)





通常は全国各地の蔵元へ「甲付(こうつき)の酒樽」は送っていますが、今回、一般のお客様から、クリスマス用!!!に最上の酒樽を、という有難く珍しい御注文がありました。親方は、はりきって特上の吉野杉と真竹を選りすぐって、これ以上良い物は出来ないという酒樽をつくりました。(採算は度外視です)

こういう時は、手放すのが惜しくなります。手元に置いておきたくなる程の物を作りながら、次々と酒樽を工房から出して行くようにならないと一人前の職人とは言えません。



実は、この酒樽も、よく見ると作り直したくなる所が随所にあります。
完璧な酒樽をつくるには、未だ百年はかかりそうです。

2006年12月3日

山本六三 銅版画挿画と本の世界







山本六三さんの展覧会が京都でありました。
「ろくさん」が亡くなってから、もう五年になります。
没後初の展覧会でした。

関西の会場は氏と縁の深い「湯川書房」。
東京では昨年、啓祐堂ギャラリーで開催されています。

清酒党の山本六三さんは僕にとって銅版画の先輩であり、十代の頃は渡邊一考氏(彼も十代でした)と共に、文藝に関して計り知れない薫陶を受けた方です。
一度、「竹十」の樽酒を呑んでもらいたかったと悔やまれます。

当時、近所に住んでいた事から、よくアトリエに遊びに行って僕の絵を見てもらったりしていました。
いつも帰り際に、辻潤の「ですぺら」、吉田一穂の「海の聖母」、マラルメの「骰子一擲」・・・・・・・・・・・
と次々と知らない書物を見せてくれて、今度来るまでに、それを読んでおくようにと貸してくれるのです。
実存主義やヌーヴォーロマンに、どっぷりだった生意気盛りの若造には全てが衝撃的でした。

山本六三さんは「生活など家来に任せておけ」というリラダンの言葉を忠実に実践した方で、死ぬまで、一度も働いたことはありません。そんな時間があれば絵を一枚でも、書物を一冊でも、映画を一編でも観ろと忠言されました。見事な生涯です。
凡人が容易に真似の出来る事ではありません。



写真は亡くなられた翌年の2002年11月3日、山本六三さんのアトリエで
形見分けを兼ねて仲間たちが整理をした時の引出しの中。
使うことを拒否しているように見えるほど、きれいに整理されています。
愛用のビュランが数本見えますが、手入ればかりして殆ど使っていませんでした。

大月雄二郎、アルフォンス井上、山下陽子、戸田勝久、福永凋花、奢覇都館の広政かをる、元かわほり堂、現臥遊堂主人・野村竜夫、故山本芳樹等15名余(敬称略)が集まっての整理でした。

「たるや竹十」主人と幼なじみの大月雄二郎はパリから久々の帰国。
みんなが帰ったあと、二人で話し込んでいるうちに朝になってしまいました。
彼も山本六三さんから若い頃、数知れない影響を受けています。
大月雄二郎も僕も、兄貴分「ろくさん」に多大な迷惑をかけた一人でもあるのですが…

のちに彼は本当に「ろくさん」の義弟になりました。

このアトリエは、その後、解体されて消えてしまいました。



投稿者 diva : 08:06 | コメント (0)

2006年11月30日

酒樽(さかだる)出荷、最盛期に突入!!!






日本酒の季節です。
日本でつくる酒だから「日本酒」であることは当たり前です。
スコッチのことを「スコットランド酒」とか、ビールのことを「ドイツ酒」、ワインのことを「フランス酒」とは決して呼びません。
うちでは「清酒」と呼んでおります。
毎年12月が近づきますと、樽屋も、忙しくて忙しくて、テンテコマイになります。
酒樽に関してですが、今までは小さな一斗樽が殆どでしたが、今年の傾向は、江戸、明治に回帰行く如く、一番大きい四斗樽の注文が増えはじめました。
どうせ使うのなら大きい方が威勢がいいからでしょう。

残念ながら、地元の灘五郷の蔵元への出荷ではなく写真の樽は東京行きです。
一時は全国制覇していた灘五郷が、どんどん衰退しています。
おいしい清酒をつくっているメーカーが灘では少なくなりました。

2006年11月16日

酒樽(さかたる)の「背抜け」杉材





酒樽には吉野杉の甲付(こうつき)を用いることが最上とされていますが、稀に外側の白い部分(白太)が仕上げの際に、削り取られて写真のように赤味材が出てしまった物を「背抜け」と言います。
この状態は、「赤味」よりランクが落ち、見た目が悪いからでしょう。品質は「甲付」と同じですが、不思議なことに酒樽としては二級品になってしまうのです。
酒樽の仕上げには細心の注意が必要なのです。

樽屋(たるや) E.クラプトン&スティーヴ・ジョーダンを聴きに行く






この写真を撮っている所を監視員に見つかり、会場内にカメラを持ち込めず。
当然ながら、録音や撮影は禁止なのです。



��.ジョーダンとW.ウイークスという強力なリズム隊をバックに、クラプトンのギターもグルーヴ感がいっそう増して、9人編成のバンドは、これまでになく魅力的なものでした。
会場にブランデーの香りが漂ってきたと思ったら、一緒に行ったアルチュウのM君が犯人でした。
舞台のクラプトンに呑ませたら、えらいことになります。
せっかく、カリブ海の島に「CROSSROADS CENTRE」なる施設を作ったのに。



写真はアメリカでの公演。会場で売っていたパンフより。
バンドの後にも観客がいます。

14 November 2006
65th Show '06 / '07 Tour
Osaka-Jo Hall (Castle Hall), Osaka, Japan

The Band:
Eric Clapton - guitar, vocals
Doyle Bramhall II - guitar
Derek Trucks - guitar (Long blonde hair like Patti)
Chris Stainton - keyboards
Tim Carmon - keyboards
Willie Weeks - bass
Steve Jordan - drums
Michelle John - backing vocals
Sharon White - backing vocals


Setlist

01. Pretending
02. Got to Get Better in A Little While
03. Old Love
04. Tell the Truth
05. Anyday
06. Motherless Children


Sit Down Set (観客も座った)
07. Driftin' Blues (EC solo)
08. Key to The Highway
09. Outside Woman Blues (with rhythm section today)
10. Nobody Knows You When You're Down and Out
11. Running On Faith


12. After Midnight
13. Little Queen of Spades
14. Further On Up The Road
15. Wonderful Tonight (観客だけ座った)
16. Layla
17. Cocaine


Encore
18. Crossroads

(125 min.)

2006年11月13日

梅田阪急に「たるや竹十」 其の弐





久しぶりの休日なので、大阪・うめだ阪急の『お正月を楽しむアート展』に行ってきました。
樽屋もこの催しに参加しています。
このイベントのコーディネーターは日本の伝統文化をこよなく愛する伊部壽夫さん。
一歩、会場内に入ると、そこは早くも、お正月気分。

「たるや竹十」の新作、「めでたい輪」を遅ればせながら持参しました。

 「めでたい輪」一尺一寸(直径約33㎝)

この竹リース「めでたい輪」は、一見、樽から外した箍(たが)のように見えますが、
新しい技法を用いて作ったもの。リースの裏と表に竹の青さを出したかったので、
二本を組んで巻いてあります。
樽屋の仕事をして30余年の親方も、こんな巻き方は初めてのことながら、
その出来栄えに大満足。

この「めでたい輪」は展示後5分で、お買い上げ頂きました。
伊部さんも親方も阪急の店員さんも、これにはビックリ。
めでたい一日になりました。



手前に並んでいるのは、「杉長皿」。
木目を生かしたシンプルで美しい長皿です。
吉野杉なので、見栄えばかりか、料理の味も引き立てます。



たるや竹十の入り口の「めでたい輪」。
新年の御飾りは、これに決めました。

阪急 大阪・梅田店 06-6361-1381

��階イベントホール『ミューズ』
��1月10日(金)~14日(火) 10時~20時(水、木、金、土は9時まで)
最終日は6時終了

2006年11月11日

梅田阪急に「たるや竹十」 其の弐







THE 14th MOON・伊部壽夫さんのお誘いで「梅田阪急百貨店」で催されている「お正月を楽しむアート展」に参加しております。
なんと、「たるや竹十」の樽が、いつもの商品としてではなく、アート作品として会場を賑わしております。
早速、樽屋の女房が偵察?に参りますと「たるや竹十」の作品だけがウイテイルという話でした。

ひやかしがてら、会場をのぞいてみてください。


 

阪急 大阪・梅田店 06-6361-1381

��階イベントホール『ミューズ』
��1月10日(金)~14日(火) 10時~20時(水、木、金、土は9時まで)
最終日は6時終了

投稿者 diva : 00:53 | コメント (2)

2006年10月31日

樽酒のおいしい季節になりました







秋の京都の宵、「おめん」に、ふらりと寄りました。

偶然、座敷で隣り合わせた、ご婦人お二人が注文なさったのは樽酒。
このお二人は樽酒が、めっぽう、お好きな様子で、暖簾ごしに樽があることを確かめてから入店されたとか。

「おめん」で樽酒が呑めるのは毎年10月から4月のみです。

なみなみと枡に注がれ、余りにおいしそうに呑まれるのを見て、思わず、お声を掛けました。

樽の上にあるのはサーヴィス用の片口

お店のカウンターに鎮座する酒樽の材は、実は「たるや竹十」のものなのです。
奈良県川上村の百年もの吉野杉です。

残念ながら作ったのは「たるや竹十」ではありませんが、この吉野杉の甲付側は「竹十」が支給して仲間の樽屋さんが作ったものです。



京都とニューヨークでしか食べられない「おめん」のうどん。(数年前までは神戸にも店がありました)

「おめん」四条店のご主人によると、「樽酒」を愉しみにされている、お客様が多いそうです。

しかし、残念なことに枡はヒノキ。来年から「杉枡」に替えてもらう様にお願いしました。
「おめん」の名物「樽酒」は更においしくなるでしょう。

2006年10月28日

漬物樽(つけものだる)は味噌樽(みそだる)にも使えます







茨城県のお客さまから、大きなサイズの味噌樽のご注文を頂きました。

味噌樽(みそたる)は本来、口が小さくて、背の高いものです。これは長期保存するため、空気に触れる部分を最小限にしているのです。
それに対して、漬物樽(つけものたる)は殆ど毎日使うので、底まで手が入り易いように、口を大きく作ります。

蓋も漬物樽(たる)は落とし蓋ですから、底より小さい物です。味噌樽(たる)の蓋は置き蓋なので樽(たる)の口より大きい物を使う必要があります。それぞれの地方で蓋の仕様は変わります。今回は関東のお客様なので特別に大きい物を作らなければなりません。
既製品にはないサイズなので、板に鉋をかけ組み合わせて作るのです。

味噌には本来、背の高い「味噌樽(味噌樽)」の方が適しているのですが、これは桶の製法で作るので手間がかかり、価格も高くなります。
「漬物樽(つけものたる)」でも充分おいしい味噌が出来ます。

来年にはNさん宅でも、きっと美味しい味噌が完成することでしょう。

2006年10月16日

樽屋(たるや)の「あり切り」





酒樽や樽太鼓を作る時には、蓋がきっちりと納まるように、側の内側に溝を切ります。
「アリ」と言います。

大工用語の「あり」と「ほぞ」と同じ意味で、凹部の呼称です。

鏡開き用の酒樽の場合は、蓋が開き易いように「アリ」は切りません。
「アリナシ」と呼びます。
勿論、漬物樽を作る場合も「アリ」は切りません。




アリ切りの道具、二種

2006年9月2日

吉野の「柿の葉寿司」







秋の収穫に柿は未だ早いのですが、「竹十」代々の好物「柿の葉寿司」が、奈良県吉野郡川上村の「樽丸屋さん(酒樽の材料となる吉野杉を割る仕事)」からの届きました。

「柿の葉寿司」は吉野の男たちが、これと「お茶」だけを腰に巻きつけ、山奥に作業に出かけた歴史があります。
吉野杉が立派に大きく成長するためには、間引き、枝打ち、台風や落雷で傷んだ木の処理など、吉野の男たちの手入れが必要なのです。


柿の葉寿司は、柿の葉が大きくなる時期と鯖がたくさん捕れる今時分がうまく合ったのがはじまりでしょうか。
奈良には海がありません。熊野灘で塩漬けされた鯖だけが唯一の魚だったのです。
昔は柿の葉寿司を発酵させるためにも杉樽を利用しました。
また、柿の葉には殺菌作用があり、冷蔵庫がなかった時代も日持ちのする便利でおいしい食べ物でした。
昔は各家庭で食す分だけ作ったものですが、いまや吉野地方の名物になっています。

紀伊半島の更に奥地、熊野地方に行けば、そこまでは鯖が届かなかったので、代わりに高菜漬を使った「目張り鮓」となります。



まだ青い柿の木。
柿の実は柿渋になると防水作用、防腐作用などがあるので、酒屋や樽屋でも、盛んに使います。

樽太鼓(たるたいこ)とも太鼓樽(たいこたる)とも言う





学校の講堂の樽太鼓(たるたいこ)

新学期になりました。

毎年、この頃には樽太鼓(たるたいこ)の注文が増えます。
太鼓樽(たいこたる)と呼んでいる学校や幼稚園もあります。
樽太鼓は使っている間に、バチで思いっきり叩く蓋が必ず痛んでくるので、修理の依頼も、休み明け前後のこの時期に集中します。

樽太鼓(たるたいこ)を保管するには、直射日光を避けて風が樽に直接当たらないようにし、
出来れば、温度が低くて、適度の湿度があるところが最適ですが、そんなワインセラーのような冷暗所は殆どありませんから、太鼓樽を和紙で包んで暗い場所に置いていただくと樽も喜びます。
ビニール袋に包むと、太鼓樽のタガが腐ってきます。

このように保管が大変ですが、「たるや竹十」では、どんな状態の樽太鼓(たるたいこ)でも修理を請け負っています。
但し、木工用ボンドを塗ったり竹に釘を打ったりするのは何の効果もないばかりか、修理が不可能になりますので、止めていただきたいものです。



修理が済んで出荷を待つ「樽太鼓(たるたいこ)」又の名を「太鼓樽(たいこたる)」
「たるや竹十」にて。

2006年8月21日

漬物の日





なぜだか由来は分からないのですが、今日は「漬物の日」なんだそうです。

友人のM君が「たるや竹十」の漬物樽で漬けた漬物を送ってきてくれたので、本日の朝食は、いつものコーヒーとトーストではなく、奈良、吉野風に茶粥と漬物だけにしてみました。

粥は雪割文の奈良茶碗に

��君の漬物は、見た目は悪いのですが、なかなかの出来。
市販の物とは一味違いました。

頑固なM君は自分で精米した時に出来た糠だけを使って糠床を作りました。
未だ初心者なので、乳酸菌の発酵が充分ではないようではありますが。

彼は盆休みに家を長く留守にしている間に糠床が悪くなるのではないかと心配で仕方がなかったと言っていました。

「糠床」が完全にペット化しています。

2006年8月3日

樽太鼓(たるたいこ)あるいは太鼓樽(たいこたる)の修理





夏休みですが、新学期用や休暇中の催しのために太鼓樽の注文や修理の依頼がよく来ます。この樽の呼び名は、本来、太鼓樽(たいこだる)ですが、樽太鼓(たるだいこ)とも言います。

乾いた太鼓樽を、音が出ないからと言って、プールに投げ込む先生が未だに何人もいらっしゃいます。
「プール投げ込み法」は最後の応急手段であって、明日が音楽会だというのに修理が間に合わない時に仕方なくする方法で、水分を過剰に吸収した樽太鼓から確かに音は出るようになりますが、その後急速に樽太鼓は乾燥していまい、二度と修理が出来なくなります。
樽屋としては絶対に止めてもらいたい方法なのです。



写真はある小学校の若い女の先生がプールにいくつも投げ込んだ樽太鼓の悲惨な姿です。
もう、楽器としてはどうにもならない状態ですが、「たるや竹十」製だったので採算を度外視して修理しました。


「たるや竹十」に治療にやって来た「樽太鼓(たるたいこ)たち」

「プール法」の他にも、木工用ボンドを「タガ」に塗りまくったり、緩んだ「たが」に釘を打ったりすることだけは絶対に避けていただきたいものです。折角の「樽太鼓」が修理不能になりますから。



蓋やタガを新しいものに交換し、修理が完了した「樽太鼓たち」。
新品と区別がつきません。

2006年7月27日

Sir Michael "Mick" Philip Jagger







今日はミックの誕生日です。63歳、いつの間にかロッケンロールの大御所になっていますが、
同時に、一大ショウビジネスマンでもあります。

デビュー当時は客席に3人だけしかいなかったバンドが、こんなに巨大になるとは本人達も想像もしなかった事でしょう。
ストーンズは「還暦バンド」などと揶揄されていますが、ビル・ワイマンが残っていたら、「古稀バンド」なのです。
でも、ひとつのブルースバンドだと考えれば、80、90と歳を重ねた時、彼らが尊敬し、バンド名のヒントになったMuddy Watersにも不可能だった、涸れた中に磨きのかかったステージを必ず見せてくれることでしょう。
我々も杖をついて出かけなければなりませんが・・・・・・・・・・

ブルースマンとジャズメンに引退という言葉は無いのです。




その後、ミックは喉頭炎のためスペイン公演をキャンセル。遂に四人揃って病人バンドになるのかと危惧されましたが、最後の英国公演で見事復活。
その上、北米公演を19本も追加!!!
行きたいなぁ…


そういえば、たるや竹十主人と同じ誕生日の中島らも君はこの日を選んだかのように2年前の7月26日に、この世を去りました。
彼もストーンズが大好きでした。

続きを読む "Sir Michael "Mick" Philip Jagger"

2006年7月24日

土用の丑と杉樽







鰻(うなぎ)も昔は全て、杉樽で輸送、保存しておりましたが、
戦後、全ての鰻業者が便利な人工樹脂の容器を使うようになりました。
しかし、鰻さん達にとって、人工的な材料の容器は居心地が悪く、味も落ちていくそうです。

本来の味を取り戻そうと考えた神戸の南京町「森田川魚店」から「たるや竹十」に鰻用杉樽の注文がありました。
鰻用杉樽というものが、どういう形状をしていた物なのか資料が全くなかったので、四斗の漬物樽をお納めしました。
味もさることながら、鰻も杉樽の中の方が快適らしく長生きするそうです。



「山信」の鰻丼です。1000円以上の物には肝が付きます。
「たるや竹十」から最も近い食べ物屋さんなので、よくお世話になります。

投稿者 diva : 21:26 | コメント (0)

2006年7月20日

戀の輪替へ





輪替といえば西鶴『樽屋おせん』の「戀の輪替へ」を想い浮かべますが、
話が長くなりそうなので又機会をあらためて。

この度は「たるや竹十」が30年程前に納品した酒樽を、
暖炉のそばに置いて薪の小枝入れとして転用したいという御依頼がありました。
外側も削れば新品同様になるのですが、
古色を残したいという、お客さまの御趣旨なので、輪六本替えるに留めました。


輪が一本ない上に、全体が乾ききって使用不能の修理前の杉樽


このように樽は修理を施しながら、何十年も使うことが出来るのです。
この樽は酒樽→漬物樽→炭取籠風バスケットと用途を替えながら、何代にも渡り、使っていただくことになりました。

2006年7月19日

樽屋の楽しい休日





忙しい樽屋も、日曜日くらいは休みます。
料理アシスタント3名を従えて「鶏の丸焼き」を作りました。


��.5キロの裸のニワトリ


ワイルドライスとたまねぎを白ワインで煮たものを、お尻から詰め込みます。


串刺しにして、オーブンに入れます。
回転させながら焼いていく所がおもしろいので、みんなで覗き込みます。


ところが、話に夢中になっているうちにチキンが自爆テロ!無残な姿になりました。
でも味は抜群。

杉樽で清酒を呑むつもりでしたが、アシスタント嬢達の希望により、今宵はワイン。
親方のセレクトは96年の「Calon-Segur」ほか2本。
酩酊中の彼女たちのつぶやきは「このワイン、樽の香りがしますね~」

やはり、樽で締めくくった一日でした。

2006年7月18日

樽屋 祇園祭に行く





今日は祝日なので、樽屋夫婦も休養をかねて祇園祭見学に行くことにしました。
樽屋の女房は京都生まれ、京都育ちなので、祇園祭初体験の樽屋の「おやかた」にとって良き案内人になる筈だったのですが、京都を離れて永いからか、?????の連続でした。
しかも、当日は、あいにくの豪雨。
見事な懸装品も馬もビニールシートで覆われておりましたが、見物人が昨年の半数近くで、例年なら遠巻きでないと見ることが出来ない祭を地元の人々と一緒に間近で体験する事が出来ました。



見学したのは、有名な「宵山」でも「屏風祭」でも「山鉾巡行」でもなく、地元密着型の「神幸祭」という御神輿の巡行です。
道に面した各家の前には必ずと言っていい程、「角樽」に入った「御神酒」が供えられています。

角樽の形状が「尊」という形に似ているので「たる」のことを昔は漢字で「尊」と書きました。
その後、神に供えるための御神酒は尊い物だということから、
尊い物、尊い事の総称として「尊」を使うようになってきたため、
本来の「樽」には木偏を付けて二つを区別するようになりました。




何と言っても祇園の人々にとって最大のハレの舞台なのですから、ペットボトル入りの似非烏龍茶は勘弁して欲しいものです‥
来年から、ちゃんと沸かした京番茶か麦茶を出してあげてね。



先日、漬物樽を納品した錦市場の漬物屋さんも揃いの法被を着て元気に担いでいました。
残念ながら、勢いがありすぎて、カメラが追いつくことは出来ませんでした。



七月の京の都は祇園祭一色となります。

2006年7月12日

ローマの喧騒、狂乱のミラノ





写真FIFA

ワールドカップ24年ぶりの優勝に沸く、
コロッセオの周辺。

写真FICO

ひっそりと勝利を祝う神戸の夜のショーウインドウ。
売り物だったら欲しい。

写真FIFA

��月2日のポルトガルxイングランド戦に、お忍びでやって来たミック!
ガードマンの後ろの席が空いています。空けてあるのかなあ。

イタリア優勝の翌日、ストーンズのツアーはミラノのサッカー場で再開。
キースの怪我やロニーの入院で、どうなるのかと思っていたライヴですが、ミックは招待したマテラッツィとデルピエロを舞台に
呼び上げ、「キースとマテラッツィには頭に関る事件という共通点があります」とイタリア語で紹介したらしい。ミラネーゼの興奮も頂点に。

セットリスト (As Tears go byのイタリア語版は稀)
Jumping Jack Flash
It's Only Rock'n Roll
Oh No Not You Again
Let's Spend The Night Together
Tumbling Dice
Streets Of Love
Con Le Mie Lacrime(As Tears go by)
Midnight Rambler
Night Time Is The Right Time
Introductions
Before They Make Me Run (Keith)
Slipping Away (Keith)
Miss You ( B)
Rough Justice(B)
Under My Thumb(B)!!!
Honky Tonk Women (B)
Sympathy For The Devil
Start Me Up
Brown Sugar
You Can't Always Get What You Want (encore)
Satisfaction (encore)
Seven Nation Army(マテラッツィ+デルピエロ+7万人のオーディエンス)

��1日には、そのワールドカップ優勝決定戦が行われたベルリンのオリンピアスタジアムでSTONES公演
未だ、チケットあります。

2006年7月5日

小さい杉樽(たる)です。4升樽(たる)、5升樽(たる)







一日の株主総会で使われた杉樽(たる)が殊の外、
好評だったらしく、列席されていたI氏から
贈り物に使いたいと「杉樽と杉桝」の依頼がありました。

ここにも4升だけ入れて、残りは一升瓶のままにしたそうです。

2006年7月3日

「たるや竹十」の植木用樽(たる)





たるや竹十の植木用樽は、今まで店舗設計や街づくりに携わる方々からの注文に限られていましたが、
この度、秩父の里のKさんから注文を頂きました。
写真はKさんが送ってくださったものです。



竹十の樽も居心地がよさそう!

2006年7月2日

小型杉樽(たる)、株主総会に出現





神戸の某商社から、株主総会の乾杯に杉樽(たる)を使いたいとの依頼がありました。
もう「トリアエズビール」には、辟易しているとのことで、意気投合。
勿論、桝も杉製です。
いまだに、ヒノキの桝を使っている、酒造メーカーを見かけますが、いくら良い酒を作って杉樽に詰めても、最後に口にする容器が、ヒノキのような香りの強いものでは、駄酒に転落してしまいます。



写真は、5升樽(たる)ですが、中には3升だけ入れ、残りの2本は一升瓶のままにして、
呑み比べたそうです。勝負は勿論、杉樽の圧倒的勝利だったそうです。
今の法律では、樽屋が杉樽に酒を詰めて売ってはならないことになっているので、
この商社の総務部長S氏が樽詰をされました。

2006年6月24日

JEFF BECK





今日は60才を過ぎてもストラトをオモチャにしている永遠のギター少年JEFF BECKの誕生日です。
彼のギターにヴォーカルは邪魔です。ギター自身が歌っていますから。
今年も日本にやって来ます。
バディ ガイと一緒に演るのかな。


オキニのJENNIFER BATTENと共に。



ジェフ・ベックはM.アントニオーニの”BLOW UP”にギターを壊すバンドとしてジミー・ペイジと共に登場。
「BLOW UP」の邦題がなにゆえ「欲望」になるんでしょう。

ミックやブライアンと親友でカトリーヌ・ドヌーヴと少しの間結婚していた写真家デビッド・ベイリーをモデルにした映画。
ヴェルーシュカの裸身、見事なり。

音楽はハービー・ハンコックを起用と製作カルロ・ポンティらしく豪華。
当初、監督はTHE WHOに出演依頼をするもギャラの点で折り合いがつかず、YARDBIRDSに。
��HE WHOのPETEでは、あの迫力のシーンは撮影出来なかったでしょう。
因みに壊したギターは日本製だったとか。
この映画、ジェーン・バーキンもチョイ役で出ていることでも有名です。
彼女の第一作は前年の「KNACK」。同い年のシャルロット・ランプリングと共演しています。
二作とも、すこぶる今風。



��r.Beck、普段は車を壊すのが趣味だそうです。

美酒、美人、そして美林





美しき物、三つ揃えば、尚、麗しきもの。





そり返る壁の色紙やつゆの人  永井荷風

2006年6月22日

漬物樽(つけものたる)や味噌樽(みそたる)を作る時にも失敗はあります





漬物樽(つけものたる)や味噌樽(みそたる)は蓋がないので、杉材を削る角度や箍(たが)を締める強さが微妙で、失敗も稀にあります。更に自然の力に負けた材料もあります。



「風折れ」と言って、吉野の山林で嵐の折、強風で杉の樹が大きく揺れて、折れてしまうことが多々あるのです。
山では火事以外に「風折れ」「雪折れ」「落雷」の三つが天敵です。
吉野は日本一雨の多い地域ですし、台風も頻繁に上陸します。
これらの障害に100年間、耐えてきた杉だけが、良質の樽材となるわけです。

樽丸を作る時、そして漬物樽や味噌樽を組み立てる時の二度罅(ひび)を見つける機会があるので、山あるいは樽屋で殆どが発見されて焼却されますが、稀に見落とすと写真のように折れてしまいます。

組む前は眼を凝らして検品しないと分からない程の罅(ひび)なのです。
ところが、箍(タガ)を入れると写真のようになります。
折れは表面までは到っていないので、漏れはありませんが、漬物樽ですから内部の状態が重要なので修理が必要です。



こちらの写真は、箍(タガ)が強すぎて完全に側が折れた例です。
責任のない右隣の側にも影響が出ています。
こうなると、漬物樽製作も最初からやり直しです。
箍の竹節が充分削り取れていなくて、こぶ状になり、ここに力が集中したことも原因の一つです。



投稿者 diva : 13:36 | コメント (0)

2006年6月21日

味噌樽(みそたる)








味噌は本来、写真のように細長い味噌樽(みそたる)に詰めて発酵させるものです。
表面が少しでも空気に触れないようにし、微生物による発酵を大事にして、空気による酸化を避けるという昔の知恵からです。しかし、大きさが収納の妨げになり、現代の都市生活には少々不向きかもしれません。

「たるや竹十」の漬物樽27型でも充分味噌樽の代用として、良質の味噌が出来ることがお客様から報告されております。

2006年6月20日

杉樽の基本、樽丸(たるまる)








上の写真のうち、竹の箍(タガ)で巻いた古いものが文字通り「樽丸」。
山では一丸(ひとまる)に同分量の杉材を入れて巻き上げなければなりません。
杉の原産地、吉野地方には、昔は樽丸の結束だけを専門とする職人がいた程です。

現在はこれを二分割して、写真の左の様にビニールで結束しているので、味気なくなりました。

樽屋が「丸(まる)」と呼ぶものは杉樽を作るときに最も重要な部材で、正確には「樽丸」と言います。昔は上の写真、右下のように、丸く束ねて運送していたからです。

一枚ずつは側(かわ)、または榑(くれ)と呼びます。



立っている五枚の側(かわ)のうち、右から三枚目の物が甲付側、酒樽に使います。
江戸時代から戦前までは酒樽といえば甲付に限りました。
赤味側は醤油樽用でした。
しかし昭和30年代の醤油樽の廃止に伴い、行き場を失った赤味側の用途を巡って酒造組合と製樽組合が協議の結果、甲付側を特級酒(今の特撰)用に、醤油用であった赤味側を清酒の一級と二級(今の上撰、佳撰)に使用することになりました。

写真右から二枚目が、その赤味側です。
左の二枚が白太です。見た目はきれいなのですが水分を漏らす性質を持っているので樽太鼓や展示用の樽に使います。
赤味側の中でも「あく」が出て色が黒くなった物を黒側と呼び、漬物樽や味噌樽に使います。
漬物樽や味噌樽に甲付樽を使うことはありません。長持ちしないからです。
漬物樽や味噌樽のように長期にわたって使用する物には最上の甲付といえども適材とは言えません。

一番右側は、赤味側と黒側の中間に位置する物で中赤と呼びます。
黒丸(黒側)は名の通り、更に黒い物です。色は悪くても、最も丈夫で、値段が安いため最近ではこの二種類の材料も清酒樽に使われるようになり、清酒樽の材料も昔ほど厳密ではなくなってしまいました。

樽を菰で巻く昔の習慣が災いして、外から見えない杉樽の品質が日に日に安かろう悪かろうという傾向に変化しています。残念なことです。
酒樽には、やはり甲付樽、若しくは上質の赤味樽を使っていただきたいものです。

樽屋としては、菰を廃止して、杉樽そのものを皆さんに見て頂きたいと常々思っております。

左端の太い物は一番外側で木皮(こわ)又は「やせ」と言い、柾目に割って「寿司桶」などに使います。
一番左で横になっている物は更に外側の杉皮です。数奇屋の屋根や塀に用います。

2006年6月19日

酒樽(さかだる)漬物樽(つけものたる)や味噌樽(みそたる)の材料







これは「木割り包丁」という、刃に丸みの付いた専用の道具。

下の写真が「木割り包丁」で樽丸を作っているところです。
酒樽(さかだる)漬物樽(つけものたる)や味噌樽(みそたる)あるいは樽太鼓(たるたいこ)を作る杉材を樽丸と呼びます。





白いチョークは吉野の木材市場で競り落とした落札者記号。
刻印は出品した業者の屋号。
この木口(断面)を見て、原木の中身を判断しなければなりません。
刻印から、どの山の木かも分かります。

例えば「○に北又」とあれば、その原木は吉野の山林王、北村又左衛門氏の刻印。即ち北村林業の出品。
この業界では最高のブランドに位置します。
樽丸で発展してきた吉野林業ですが、現在では殆どが建築材に用いられる様になりました。

2006年6月18日

火事の証人





写真は樽の材料ではありませんが、近所の並木が伐採された時に、真ん中に焦げ目のある木に出会いました。
年輪を数えてみたら、焦げ目の所は約60年前。
��945年3月の空襲で「たるや竹十」の付近に火災が発生した事を自身で語っています。



阪神大震災までは竹十のそばを流れる都賀川に沿って、柳並木が灘五郷ならではの風情をかもし出していました。
ところが震災後のプロジェクトで、亡くなった方の人数だけ桜を植えるということを思いついた人が何所からかやって来て、ある日突然、殆どの柳を伐採、桜に植え替えてしまいました。

一見、鎮魂という美談に見えますが、江戸期から続いたであろう景趣を残すことを忘れているように感じられてなりません。
何故、桜なのでしょう。
単純に話に迎合した役所も安易過ぎます。
もう、取り返すことのできない貴重な財産を失ってしまったことさえ、気付いていないように見受けられます。

空襲や台風に耐えて酒蔵の町を永い時間、見つめてきた柳まで勝手に伐る必要はなかったのではないでしょうか。



小村雪岱「青柳」 大正13年

柳は江戸期の都市文化の象徴として、かつて浮世絵などにも盛んに描かれました。
柳は日本の「粋」を体現する舞台装置として欠かす事が出来ません。

蓮咲くや桶屋の路次の行き止まり   久保田万太郎

投稿者 diva : 11:10 | コメント (0)

2006年6月17日

杉樽(たる)に巻く竹







樽には箍(タガ)に真竹を用います。真竹は細工がし易いのです。
孟宗竹を使う事も稀にありますが、硬くて加工が困難です。

竹を伐り出すにも季節を選びます。
一年中、山から竹を伐ってくる事は出来ないのです。

春から初秋の間に伐った竹には虫が付き易いと云われています。
真冬に一年分の竹を伐採し、写真のように備蓄して置かねばなりません。




竹の加工作業は地面に穴を掘り、そこに四斗樽を埋め込んだ作業場に人間がもぐりこんで行います。
樽屋も子供の頃、この穴のなかで、よく遊んで叱られたものです。

投稿者 diva : 10:42 | コメント (0)

2006年6月16日

杉樽(たる)のトラブル





漬物樽(つけものたる)や樽太鼓(たるたいこ)を作る時は先ず杉材の選別から始めます。
山から届く杉材の中には、稀に、不適切なものが混入していることもあります。

写真は「目まわり」といって、樽に不適切な材料のひとつです。
↓夏目(白い部分)が硬い冬目(赤い部分)に負けて、木目にそって二枚に割れてしまった状態です。



↑こうなってしまう杉材を見分けないといけません。つくる前に発見されていれば、被害は最小限で済みます。



↑漬物樽(つけものたる)は蓋がないので、酒樽よりも材料の角度を正確に削らなければなりません。これは側材の木目が割れた例です。



↑これは酒樽の例ですが、全工程を終えて、蓋をこめてタガを締めた途端、木目が割れました。
波打っている部分です。
漏れる訳ではありませんが、また蓋を取り替えねばなりません。

1000丁にひとつはこういったトラブルに遭遇します。

投稿者 diva : 01:30 | コメント (2)

樽(たる)と桶(おけ)の違い





 

左が板目、右が柾目です。(箍も、ふたつとも桶特有の「組輪」です。左右、組み方が異なります)

樽(たる)と桶(おけ)の違いを解かりやすく書くと、桶(おけ)に蓋が付いた物が樽(たる)です。
見た目は似ていますが工程が全く違います。又、基本的に桶(おけ)は柾目で、樽(たる)は板目で作ります。但し、例外もあります。

樽(たる)にせよ桶(おけ)にせよ永く容器として使う物には必ず板目を使います。
柾目を使う物は「おひつ」や「寿司桶」のように短時間使う物に限られます。
漬物樽(つけものたる)や味噌樽(みそたる)には板目の方が向いています。
なぜなら、柾目は木目を通じて水分が滲み出てしまうからです。



写真は100年物の杉を割った所。
白墨に合わせて縦ないし横にまっすぐに割った物が柾目。
木目にそって、外側から中心に向かって割った物が板目です。
建築材と違って、木目が通っていないと漏れの原因になるので、機械で製材せず、刃物で割ります。
柾目の方がはるかに高価になります。
一度限りの使い捨てが原則である酒樽(さかだる)には板目を用います。



これは、柾目の桶(おけ)ですが、表面を化学物質でコーティングしてあるので、一見きれいです。
又、漏れもありませんが、ニス状の物が木の呼吸を妨げてしまうので、これではプラスチック容器と大差ありません。「たるや竹十」の樽は裏表共、コーティングはしていません。

又、桧(ヒノキ)の樽(たる)や桶(おけ)は、その香りが強すぎて食物には向いていません。

昔から、漬物樽(つけものたる)や味噌樽(みそたる)あるいは清酒の醸造には板目の吉野杉が最もふさわしいと言われております。

2006年6月14日

ベルギーの樽屋








樽屋の親方はビールを呑まない主義なのですが、レッテルに「樽」が見えたので、つい買ってしまいました。



ベルギーの白ビールはビールというより、シャンパンとグレープフルーツジュースを混ぜたような味です。
ヨーロッパでは一般的なものだそうです。樽屋に丁度、ビール好きの針金作家、林雄三さんが下宿していたので一緒に呑むことにしました。彼は滞仏時代にパリでよく呑んだと言っていました。
彼は東京の西荻でアビアントという工房を主宰しています。

白ビールにバゲット+カマンベールはよく合います。
初めて呑んだビールが運よく樽ラベルの白ビールで良かった‥

2006年6月13日

樽屋(たるや)、パーティに酒樽(たる)を持って行く







写真はARC INTERNATIONAL INC.の二十周年を祝う五升樽(たる)です。



椅子がいっぱい。人もいっぱいでした。



京都、御池通に面した新ショウルーム

2006年6月12日

漬物樽(つけものたる)味噌樽(みそたる)樽太鼓(たるたいこ)





「たるや竹十」の本業は酒樽(たる)屋ですが、その伝承技術を用いて、漬物樽(つけものたる)、味噌樽(みそたる)、樽太鼓(たるたいこ)等の樽(たる)も作っています。

殊に、漬物樽(つけものたる)や味噌樽(みそたる)は材料の吉野杉自身が呼吸しているので、おいしいものが出来上がります。

又、修理も依頼されます。修理は古い樽が持ち込まれることが多い訳ですから、昔の職人の仕事を見る良い機会になります。
樽屋(たるや)にとって先人の技を自ずと学ぶことになるのです。



樽太鼓(たるたいこ)は良い音が出るように他の樽よりも強いタガを締めております。

2006年6月7日

樽屋が好きだった、ビリー・プレストン死す







イアン・スチュアート、ニッキー・ホプキンス、ジャック・ニーチェに続いて、とうとうビリー・プレストンが亡くなってしまいました。
ストーンズ、ビートルズのキーボード奏者は一人もいなくなってしまいました。
最近、話題に出ないなと思っていたら、ビリーはトラブル続きの上に病気で去年から昏睡状態だったそうです。
"Sticky Fingers","Exile on Mainstreet","Black and Bllue"・・・・・名作の陰には、常にビリーがいました。
享年ロニーと同じ59歳。

2006年6月3日

樽屋、他人の誕生日を祝う。HAPPY BIRTHDAY! !








ロン・ウッド 6月1日で59歳 Happy Birthday Ronnie!



チャーリー・ワッツ 6月2日で65歳  Happy Birthday Charlie!


本来なら、スペインで誕生日をむかえる筈が、おちゃめな怪我人が出たので予定は大幅に変更。
ツアーは、その不死身のメンバーが復活したので、7月11日のミラノから再出発。
あと21公演だ。

2006年6月1日

独逸の樽屋 其ノ二





��982年の今日、独逸の映画監督 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが37歳で死去しました。
生きていれば、64歳。どんな名作を見せてくれたのでしょう。

前にも書きましたが、FASSBINDERとは樽屋の意です。
「たるや竹十」にもドイツ語圏のお客さまが時折いらっしゃいます。
そんな時には少々ふざけて”Ich bin・・・”とやります。相手の反応は”???”なのでおかしいなと思ったら、FASSBINDERは古語に近く、しかもヨーロッパでは樽と桶の違いが曖昧なので、日本語だったら、「樽屋」というより「桶師」といった語感だったのでしょう。
「樽屋」と言えばイタリア語のBOTTEと同じ語源のBOTTCHERの方が一般的なのだそうです。



ファスビンダー映画「シナのルーレット」のイレーネ役でアンナ・カリーナが主演。
映画の中で家政婦の息子ガブリエルがアルトーの「ヘリオガバスまたは戴冠せるアナーキスト」の一節を朗読する場面が印象的です。



数少ない一般配給映画のひとつ「マリア・ブラウンの結婚」のハンナ・シグラ
ファスビンダー映画で一番有名なショットですね。

「両性具有とは男。そして女。同時に。唯一者において一体となる。」 多田智満子訳

2006年5月30日

モロッコの樽屋あるいは地中海の余白





地の果て、モロッコにも樽屋があります。
水のきれいな処に樽屋あり。
ジブラルタル海峡で採れたばかりの新鮮な蛸を樽の中に入れて、その中で塩もみする訳です。


檻製作:針金屋銀三 意匠:DIVA

ジュネの「愛の唄」のDVDは英国版が先行しましたが、樽屋が買ったフランス版の方がお奨めです。
ジャコメッティの珍しい映像やジュネの詩を歌ったCDと、この冊子が付いています。

それに「愛の唄」に変なBGMが流れてきません。日本で上映された時も意味無くバッハが挿入されました。
この映画は音楽なしで見るべきものです。



写真の葉書は今日終った金子國義さんの美術倶楽部での花のノートルダム
展のものです。
今年も新作ゆかたの展覧会が6月12日から種村さんの銀座の画廊で催されます。
「花のノートルダム」の日本語訳は現在絶版ですが、鏑木清方訳が出ることを望みます。


写真Ron Holer

写真はモロッコのジャンジュネの墓。
小さな大理石板で出来た、この泥棒作家の墓石は一度泥棒にあって、再建されたものだそうです。

昔、この隣にはスペイン刑務所があり、更に、その奥には淫売窟があったといいます。
ジュネは21歳の時、志願兵としてモロッコのライフル連隊に配属され、晩年もその地の孤児たちと過ごしました。
遺言通り、大西洋を望むララシュの旧スペイン人墓地に、頭をメッカの方を向けて埋葬されています。
これ以上ジャンジュネの終焉の地にふさわしい場所はないでしょう。

「言葉のあらゆる映像は砂漠にあり、それを索めに出かけなければならない」(『恋する虜』)

投稿者 diva : 04:37 | コメント (0)

2006年5月22日

イタリアの酒樽(たる)





イタリア語でBOTTEは樽の意味です。
��OTTEGAは商店や工房の意味なので、昔は店頭に商品を入れた樽を並べていたのだろうと、
勝手に想像していましたが、イタリア人の友人何人かが、ちょっとおかしいと言い出したので、
調べてみたら、全く別の語源でした。

��OTTEはローマ時代の大樽のことで、元はラテン語です。
ボトルという言葉もここから派生したものでしょう。
それに対してBOTTEGAはギリシャ語のapotheke(穀物倉庫)から来ています。

��OTTEGAは現代では専ら工房の意味に用いられ、商店にはNEGOZIOを使います。
有名な革屋さんBOTTEGA VENETAはヴェネト工房という意味になる訳です。
決して昔、樽屋だった訳ではありません。



続きを読む "イタリアの酒樽(たる)"

2006年5月19日

錦の漬物樽







錦・高倉屋さんの依頼で二重底という特殊な漬物樽をたくさん作りました。 



錦市場の東端にある高倉屋さんでは漬物樽に直接、糠を漬けています。
当たり前の事なのですが、最近、高倉屋さんのように直に漬けているお店は殆どありません。

無粋にビニールを敷くと、漬物樽と漬物の間に互いに悪影響が発生するだけで樽を使う意味が無いのです。ビニールで樽と糠を遮断してしまうと、メンテナンスは楽ですが、漬物樽の寿命は短くなり、漬物の味はプラスチック容器を使ったものとあまり変わらなくなります。




新しい漬物樽に高倉屋さんの新しい糠。
これは、四斗樽なので、約百キロの重さになります。



たるや竹十から出荷直前の漬物樽。
見た目は四斗樽ですが、天から8寸(約24センチ)の所にもう一枚底を入れて、持ち運び易く拵えました。



そんな事があってはならないのですけれど、万一漏れて来た時のことを想定して、水抜き穴を開けています。

2006年5月17日

フィンランドの樽屋(たるや)







フィンランドの大統領はタルヤ・ハロネンという女性なのです。あだ名はムーミン・ママ。先祖は樽屋(たるや)ではないでしょう。
北欧では樽はビールやウォトカの醸造に使われています。当然、樽屋(たるや)もたくさんあります。

雑誌『COYOTE』の13号は「フィンランドの短い夏」という特集だそうです。
尚、写真の女性はタルヤ女史ではありません。

2006年5月14日

味噌樽(みそたる)をつくる時にも味噌が必要

たるや竹十の樽は最上の材料を使っているので、漏れることは殆どありません。
ただ、稀に節を含んだ材料が混入した時に「みそ」という裏技を使います。
これは酒樽の材料不足の時代の遺物で、現在では殆ど使わない技法です。


酒樽材料の杉に逆目が出ると、そのままでは漏れの原因になります。
そこでまず、逆目の部分を手に持っている「目叩き」という道具を使い、
小さな穴を無数に開けます。

metataki.JPG



開けた穴の部分に「味噌」を塗り込めます。
味噌(みそ)と呼んでいますが、実は酒粕の熟成したもの、
即ち、奈良漬の周囲に付いている物と同じ成分です。

sakame.JPG



「みそ」を塗り込めた後、その上に和紙を張ります。「みそ」に粘着性があるので、糊は不要です。
これで逆目の出た木の表面が平らになりました。
平らになったところで、酒樽に組み上げます。

washi.JPG



この「みそ」は、酒粕に「にがり」を混ぜて約一年間、冷暗所で熟成させたものです。
粕の原料は酒ですから、容器としての酒樽には最適なのです。
ただ、このような逆目のある材料が少なくなったので「みそ」を使うことも稀になりました。

1year.JPG



これは、出来立ての酒粕。
粕汁や甘酒に使用しますが、子供の頃は焼いて「おやつ」として食べたものです。
良い酒粕は、最近は貴重品になって来て、清酒より高価な場合すらあるほどです。
酒粕は手や顔に塗るとすべすべになり、お風呂に入れれば肌に効果的です。

kasu.JPG



清酒の蔵元から出る酒粕は専門の業者が、各蔵から集めて小売します。
それ以外にも徳島などの奈良漬業者の所へ酒粕は運ばれて行きます。

koba.JPG

味噌樽(みそたる)をつくる時にも味噌が必要



たるや竹十の樽は最上の材料を使っているので、漏れることは殆どありません。
ただ、稀に節を含んだ材料が混入した時に「みそ」という裏技を使います。
これは材料不足の時代の遺物で、現在では殆ど使わない技法です。


材料の杉に逆目が出ると、そのままでは漏れの原因になります。
そこでまず、逆目の部分を手に持っている「目叩き」という道具を使い、
小さな穴を無数に開けます。


開けた穴の部分に「味噌」を塗り込めます。
味噌(みそ)と呼んでいますが、実は酒粕の熟成したもの、
即ち、奈良漬の周囲に付いている物と同じ成分です。


「みそ」を塗り込めた後、その上に和紙を張ります。「みそ」に粘着性があるので、糊は不要です。
これで逆目の出た木の表面が平らになりました。
平らになったところで、樽に組み上げます。


この「みそ」は、酒粕に「にがり」を混ぜて約一年間、冷暗所で熟成させたものです。
粕の原料は酒ですから、容器としての酒樽には最適なのです。
ただ、このような逆目のある材料が少なくなったので「みそ」を使うことも稀になりました。


これは、出来立ての酒粕。
粕汁や甘酒に使用しますが、子供の頃は焼いて「おやつ」として食べたものです。
良い酒粕は、最近は貴重品になって来て、清酒より高価な場合すらあるほどです。
酒粕は手や顔に塗るとすべすべになり、お風呂に入れれば肌に効果的です。


蔵元から出る酒粕は専門の業者が、各蔵から集めて小売します。
それ以外にも徳島などの奈良漬業者の所へ酒粕は運ばれて行きます。

2006年5月12日

味噌樽(みそたる)




味噌樽を使う季節になりました。
樽屋竹十も味噌樽つくり用の杉樽の注文が多くなるので大忙しです。

2006年5月8日

独逸の樽屋、といっても映画監督 其ノ一





独逸にファスビンダーいう映画監督がいました。
ドイツ語でfassは樽、binderは結ぶ人。
つまりFassbinderは樽屋なのです。

だからという訳でもありませんが、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(1945~1982)は樽屋の好きな監督の一人です。

彼の先祖も樽屋だったのかも知れません。





去年の今頃、パリのポンピドーセンターで大回顧展が催されました。
写真はその時の大部のカタログです。
元になっているのは代表的なファスビンダー論である1996年刊のトーマス・エルセッサー著"Fassbinder's Germany"
そのドイツ語訳が2001年に出版され、写真の仏語版は増補決定版のようなもの。
巻末の書誌が充実していますが、残念ながら日本語の著書は完全に欠落しています。

この展覧会の後に現代思潮新社から「ファスビンダー」上梓されました。

ボーブールでは、別の企画会場でジャン・ジュネの「愛の唄」が上映され、別の階ではファスビンダーの遺作「ケレル(ブレストの乱暴者)」が公開されているという奇妙な日も。

「愛の唄」は市販され、「ケレル」も紀伊國屋書店から昨年DVDが発売されて、字幕付で観ることが出来るようになりました。
三島由紀夫の映画版「憂国」も全集に収録され、もう高価で画質の悪い海賊版に頼らなくてもよさそうです。

樽屋贔屓の「三本立て」が、ようやく封印を解かれました。

2006年5月7日

お祝いの杉樽




「たるや竹十」のHPを製作をしてくれたL嬢が本日、目出度く結婚いたしました。
��C上のトラブルがあると深夜でも駆けつけてくれる救急隊だったのですが、これからは何でも自分で解決しなければなりません。

新郎が日本酒好きなこともあって、お祝いは、やっぱり杉樽にいたしました。
新婚旅行はワールドカップ観戦を兼ねてドイツだそうです。



おめでとう!!!

2006年5月5日

樽屋の手と端午の節句





五月五日です。
樽屋の自宅には昔から写真の「茶坊主」がおります。
茶坊主が、手にしている紙には「いろは」とあり、
子供の頃、もっと勉強せなあかんねんで!という意味やろうなと解釈しておりました。

茶坊主と、お供の招き猫、狛犬の寸法がわかるように、アシスタントから手を出せと言われました。
出した手は樽屋の手にしては、ちょっときれいに撮れすぎです。
始終、木を触っている樽職人の手は、もっと荒れております。


写真 アシスタントH

2006年5月3日

杉樽に酒を詰める道具





以前、杉樽に清酒を詰める為の道具を紹介しましたが、現在使われているのはステンレス製、その前はアルミ製。戦前までは江戸以来のこんな木桶を使用していました。
素材は変わりましたが、現在でも杉樽には必需品です。
名称は、やはり「詰漏斗」でした。

 
左端は現役!右端は某記念館の展示品。展示品は乾燥して隙間だらけになっています。
樽や桶にとって空調は天敵なのです。勿論、直射日光と風にも弱いのです。

ところで、問題児キースは、その後、順調に回復。
5月27日のバルセロナ公演から始まるユーロツアーは予定通り開催されます。

2006年5月1日

キースも木から落ちる!!!樽屋も驚く!





ツアーの前半を終えて、フィジーの一泊数十万円というワカヤホテルで長期休養をとっていたキース・リチャーズが7メートル以上のココナッツの木から転落!その後、ジェットスキーの事故にも巻きもまれたという情報。
現在ニュージーランドの病院で治療中。大事には到らなかった模様で、病院内を歩いているという説も。
キースは前も自宅で転落、骨折。
今生きている方が不思議なミュージシャンではありますが、どうか気をつけて下さいね。
彼がいなくなったら、ストーンズもなくなります。

そういう樽屋の親方も偶然ながら同日、自宅の四階から野良猫を捕まえようとして転落寸前。
皆さん若くはないのですから、中島らも君や柿右衛門さんのようにならないようにしましょう。

しかし、ユーロツアーは大混乱ですね。今月末のスペイン公演は絶対無理でしょう。
ロニーはアメリカに帰ってしまったし、このツアーが最後だと宣言しているチャーリーのリズムも狂うだろうし、樽屋が夢見ていたバカンス兼用の夏のニースやポルトガル公演も延期になるのかなあ。

一方いつも冷静なミックは満室の高級ホテルの一室をなんとか譲って欲しいと、
ブッシュ米大統領から直接依頼されたけれど一蹴した由。
かっこいいい!!!
大統領だから何でも自分の思い通りになるとは限らないのですよ。
ストーンズに湾岸戦争反対の歌詞のある曲があることを知らなかったんでしょう。







投稿者 diva : 11:33 | コメント (0)

休日も四斗の杉樽の出荷





四月最後の日曜日、樽屋は休みたかったけれど、注文が来ればそうは行きません。
杉樽の基本、四斗の酒樽がたくさん出荷されました。

昔は杉樽といえば四斗樽だけでした。
一斗の杉樽は「小樽」、二斗の杉樽を「半樽」と呼びます。

今では、容量が半分だけの杉樽のことも「ハンダル」と言う様になって混同しますが、
本当は「ハンダル」とは二斗の杉樽のことです。

2006年4月30日

樽屋 ホイットニー美術館コレクションを観に行く





一ヶ月以上前から開催されていて、行く機会がなかった同展に合間をぬって行って参りました。
��0世紀のアメリカ美術を語る時に外せないのが、ここを創設したガートリュート・ヴェンダービルト・ホイットニー(1875~1942)と後継者の娘と孫です。

ポスターになっているロイ・リキテンスタインの「窓辺の少女・・・」の印刷点描を更に網をかけてオフセット印刷すると何故か意味が無くなってしまう様な気がします。
プレスリーを描いたアンディ・ウォホールの作品も画集などではなく、実物を見ないとその迫力を理解することは出来ません。

さるにても、展覧会を観ながら居眠りをしてしまったのはこの催しが初めてです。

問題の兵庫県立美術館にて5月14日(日)まで


出口前に展示されていた、バスキアの「自画像」と「LNAPRK」の二点

2006年4月25日

書を捨てよ、空へ登ろう







東京の高層ビル、新宿パークタワーの最上階(52階)から外を覗くと、もっと空に近い所で作業している人を見つけました。
パークハイハット東京の「ニューヨーク グリル」から更に上の鉄筋の上です。
樽屋の親方としては何の作業をしているのか気になって仕方がなかったのですが、声をかける事は出来ませんでした。
僕も高い所が好きで、学生時代に鳶職のアルバイトをしていた事がありますが、ここまで高い所には登れません。

��2年前に死んだ天才、寺山修司の「書を捨てよ、町に出よう」(1967年刊)は翌年、カルメン・マキの主演によって新宿厚生年金会館で上演されました。

彼の遺作「さらば箱舟」の最後の台詞が壮絶です。     

 「百年たったら帰っておいで」

2006年4月24日

杉樽材に蟻の道がある









杉樽を裏返したところです。
黒っぽい部分に二本の縦線が見えます。
これは不良品で、「蟻道(ぎどう)」と呼び、ここから水分が漏れます。

この黒い線は本当に蟻が通った跡だと思っていましたが、実はこの年輪の年に何か大きな雷や地震など、気象に大きな異変があった証拠なのです。

因みに台風で杉の木が大きく揺れた時には「うて」と言って、今度は横に罅(ひび)が入ってしまいます。
「うて」は杉樽の材料としては致命的でタガを締めると木は折れてしまいます。
建築材として使う時には支障はありません。

この他、「陽疾(あて)」といって岩石等が多い山で育った木は杉材も地質に負けないように硬くなってしまいます。これも杉樽材には不向きです。
樽職人の間の隠語で「あて」というのは酒の肴の事ではなく、悪いことの謂(い)いに用いられています。

こうした材料の選択も親方の重要な仕事のひとつなのです。

2006年4月23日

幼稚園の卒園式に樽太鼓演奏







神戸市西区の「木津幼稚園」から、新しく樽太鼓(たる太鼓)12丁の注文を頂き、早速納品しました。

この木津幼稚園では卒園式で樽太鼓演奏が披露されたのです。
樽太鼓は「たるや竹十」のもの。
子供たちのエネルギーを思いっきり発散させてあげたいという園長先生の願い通りになりました。

写真は「神戸新聞」の地域ニュース記事です。新聞では「樽」という漢字を使うことが出来なくなりました。
「樽太鼓」も「たる太鼓」、或いは「和太鼓」になってしまいます。
木偏に尊の「樽」という漢字が新聞紙上から、消えたことは寂しい限りです。

ボランティアで園児に指導をしている坂本睦子さんは19歳。
各地で賞を総なめにしている神戸市立西高等学校和太鼓部の元副部長です。

また、この高校の太鼓を指導しているのは「和太鼓松村組」の同校教師松村公彦氏です。

2006年4月8日

樽屋 上海には行けず





遂に中国本土で滾石(クンシー)楽隊の公演が実現。
公称15000人で、中国人はほとんどいなかったとか。
チケットは残っていたらしいから、思い切って行けばよかったなあ。

キースは人民服を着ていたという偽情報は写真から嘘だと判断できます。
チャーリーがこの日、赤いTシャツを着ていたのは偶然かな。


Reuter/Nir Ellis

AP/G.Salvatore
中国の歌手崔健と"Wild Horses"を共演!
まさか中国語ではなかったと思う。
但し、ミックとの共演に緊張した彼の歌はハチャメチャだったとか。
仕方ありませんね。



日本からそのまま行った機材の一部
©taruya

上海体育館
�� Start Me Up
�� You Got Me Rocking
�� Oh No Not You Again
�� Bitch
�� Wild Horses
�� Rain Fall Down
�� Midnight Rambler
�� Gimmie Shelter
�� Tumblin' Dice
��0 This Place Is Empty (kieth)
��1 Happy (kieth)
��2 Sympathy for the Devil
��3 Miss You
��4 It's Only Rock And Roll
��5 Paint It Black
��6 JJ Flash

��7 Can't Always Get What You Want
��8 Satisfaction

投稿者 diva : 10:46 | コメント (0)

2006年4月6日

名古屋にASTERあり









ストーンズの公演後に行った店が名古屋新栄の名門JAZZ喫茶「ASTER」
なんと、50年もやっているらしい。昭和32年!はしりでしょうね。
今も続けていることが奇跡!
マスターの橋本都直男さんは74歳とは思えないほど、カッコよかった。
若い時はさぞ、もてたんだろうな。
初めてなもので店の場所がわからなく路に迷い、電話をしたら、マスター自ら遠くから手を振って迎えに来てくれた。何で僕達だとわかったんだろう。
後でわかった事だけど、ASTERを知らなかったらモグリだと言われる位に有名な店だった。
残念ながら、最初の会話が「もう店は閉めるんだ」
実際は場所を移して、再開するらしい。また名古屋に行く時は絶対に寄ろう。

十代をJAZZ喫茶で過ごした私にマスターが選んでかけてくれた一枚がCHARLIE ROUSEの
「MOMENTE’S NOTICE」(勿論LP,CDともに廃盤)!!!

投稿者 diva : 10:44 | コメント (4)

2006年4月5日

樽屋 STONES名古屋公演へも行く



                                                            

”MISS YOU”を演りながら、六人を乗せたBステージが前へせり出して行く・・・・・

 
今回、殆どリードギターを務めたロン・ウッド。そして,いつもの最後の四人の挨拶(もう一回観ることが出来るかなあ?)


��00トンの機材の一部。手前のノートパソコンは多分、デイヴ・ヒルの照明用?

セットリスト2006/4/5 (Wed)  
1. Jumpin'Jack Flash
2. It's Only Rockn'Roll
3. She's So Cold
4. Oh No, Not You Again
5. Ruby Tuesday(日本公演では名古屋だけ)
6. Rain Fall Down
7. You Got Me Rocking
8. Gimme Shelter
9. Tumbling Dice 
10. This Place Is Empty (Keith )
11. Happy (Keith )
12. Miss You(B Stage)
13. Rough Justice (B Stage)
14. Get Off My Cloud(B Stage)
15. Honky Tonk Women (B Stage)
16. Sympathy For The Devil
17. Paint It Black
18. Start Me Up
19. Brown Sugar
--Encore--
21. You Can't Always Get What You Want
22. (I Can't Get No) Satisfaction

 世界一のロッケンロールバンド、ローリングストーンズの日本最終公演。

ワールドツアーは今回で最後になるのではないかと思い、東京公演に行ったら、かつて無いほど最高の出来。だから、樽屋は急遽名古屋にも行ったのです。
 
ストーンズのメンバーは総勢200人のスタッフ共々、プライベートジェットで国内も移動の筈が、前日ミック以外の三人は新幹線で名古屋にやって来たとか。偶然同じ「のぞみ」に乗り合わせた人は握手とサインをしてもらったそう。いいなあ。僕たちは「上り」だったもんなあ。ミックは京都の友達の家に行ってたのかな。
裏情報によれば、名古屋のBのオーナーがミックとキース御一行様だけに鰻をご馳走したらしい。

今回、お疲れ気味のキースに代わり、ロニーが前面に出て、このツアー中にチャーリー達メンバーとストーンズナンバーのJAZZのCDを出したティム・リースとチャックのシンセが音を後押し。全面的に変えたPAで音響は抜群。 比類なきコンサートでした。

惜しむらくは、札幌、埼玉でがんばり過ぎたのか、オフの日の花見で疲れたのか、東洋最終公演は上海だという意識があったのか、名古屋では全員お疲れ気味。
ミックは何度も水を飲みにチャーリーの所に戻り、キースは左手オープンで何度も、お座り。東京などでは演ったミックのブルースハープから始まる”Midnight Rambler"が名古屋では抜けていたのは残念。

東京のバックステージには二人の寿司職人が常駐。クルーは食べ放題だったらしいけど、名古屋では何を食べていたのかな。

マスコミでは還暦を強調されているけれど、ビル・ワイマンは今年、古稀なのです。
ビルの抜けた前回のLICKS TOURはただの懐かしのヒットメドレーになってしまい、自己模倣にがっかりしましたが、ジャズとブルースが芯になっている、この二人のリズム隊が基盤になっていたからSTONESも、ここまでやってくる事が出来たことに違いないと思います。

やっぱり、名古屋も良かった。
だけど、伝記の迷訳を来日に合わせて出した出版社の社長(キースと同い歳)は大音響のせいで、難聴になってしまい現在入院中とか。もったいないなぁ。
 
尚、最高の出来と言われている四月二日の埼玉アリーナの様子は五月二十七日夜十時にWOWWOWで放送予定。その夜の観客総数は公称15000人だったとか。

漬物樽(つけものたる)と味噌樽(みそたる)四斗の杉樽をつくる





たくさん杉樽の注文を頂いたので、伐りたての真っ青な真竹を結って、一番大きな四斗の杉樽を作りました。
杉樽の出来上がりがいいと、売るのが惜しくなります。
漬物樽ですから、杉材の色は黒いのですが、飾って置きたくなります。
杉樽職人は、それ位じゃないといけないんでしょうね。

そんなことでは、商売になりません…



右隣は二年経った、一斗の杉樽。
タガの色は、あっという間に褪せて行くのです。

一度使った、杉樽を「一空樽(いちあきだる)」と呼びます。
二級の造り酒屋が使います。関東には、そういう古樽業者があります。
杉樽の消費は、昔から殆どが東京だからです。関西にはありません。

「樽拾い」という正月後の季語がある位です。 
江戸時代、酒屋で働く丁稚の小遣い稼ぎでした。 
当時のリサイクルです。

 雪の日や、あれも人の子樽拾い  冠里
                                                            

2006年4月4日

樽屋の雛祭り





樽屋も、雛祭りをします。
これは享保雛という江戸後期文化爛熟期の「おひなさま」です。

雛道具はみんな小さくて、かわいいので、マニアの間でも人気なのです。
生活用具が殆どあるわけですから、杉樽、漬物樽、味噌樽、盥、手桶・・・・・・
明治頃までの道具類は、なんでもあります。
樽太鼓は、ありません。



 

2006年4月3日

樽屋 谷崎潤一郎旧宅「お伽噺の家」に行く





大谷崎は関東大震災から逃れ、京都を経て、大正十三年春、神戸に初めて総面積300坪のT氏の家を借りました。

当時は西側にあった二階建てのクリスマスケーキのような母屋の洋館から神戸港が一望出来たことでしょう。その母屋は既に人手に渡り、書斎として使われていた、この小さな別棟だけが阪神大震災にも耐え、数少ない神戸に残る大谷崎の旧居でした。

平成十一年に借家人K氏が出てから空き家になり、残念ながら、この度所有者の意向で解体が決定した為、支援団体が借り受け、四月一日と二日の二日間、内部を一般公開したのです。

樽屋も梅見がてらに家族で見学に行ってきました。

住みやすいようにK氏が改装したので、元の面影は全くありません。
平凡な安普請の平屋です。
でも前庭(実際は空地)だけは、たっぷりあります。井戸もありました。
大谷崎もこの井戸で釣瓶桶を使って水を汲んでいたのでしょうか。


見なかったら後悔するけれど、見たらがっかりするといった「物件」です。
何度もこの前を通ったことはありましたが、奥まっている上に五段の階段の上に建つ凡庸な家なので、『北畑戸政の家』として存在は知ってはいても今まで見つける事が出来ませんでした。

『痴人の愛』は、舞台となった、この「お伽噺の家」と奈良ホテルで執筆されたのです。


解体は七月の予定ですから、外部は未だしばらく見ることが出来ます。
神戸市東灘区本山北町3-9-11 本山第一小学校東隣 
谷崎年譜で、北畑戸政249の1と表記されている建物です。 


当時のままかどうか分かりませんが「赤い屋根」です。それもスレートの。



「マッチの箱のやうに白い壁で包んだ外側」



「ところヾに切ってある長方形のガラス窓」

 

「正面のポーチの前に、庭といふよりは寧ろちょっとした空地がある」

 
大正14年7月 改造社刊

酒樽屋、他人の誕生日を祝う。HAPPY BIRTHDAY! !





ロン・ウッド 6月1日で59歳 Happy Birthday Ronnie!



チャーリー・ワッツ 6月2日で65歳  Happy Birthday Charlie!


本来なら、スペインで誕生日をむかえる筈が、おちゃめな怪我人が出たので予定は大幅に変更。
ツアーは、その不死身のメンバーが復活したので、7月11日のミラノから再出発。
あと21公演だ。

2006年4月2日

樽屋のおやかたの誕生日





今日はエイプリルフールですが、嘘ではありません。本当にXX回目の誕生日なのです。

「アラン・カスケヴィッチ」の樽斗ミックスでお祝いしました。
パッションフルーツ、オレンジ、胡桃、ココナッツ、杏子、カシューナッツ、レーズン、グランベリー、ピスタチオ・・・・などのドライフルーツがたっぷり。

閉店後のお店を開けてもらい、あれこれ選んでいると、
奥から出てきたカスケヴィッチさんからもお祝いの言葉あり。
"Bon Anniversaire!!!"

2006年3月31日

樽太鼓(たいこだる)と太鼓樽(たるだいこ)





「樽太鼓」は楽器や椅子などに使われますが、樽屋では「太鼓樽」といえば、竹のタガを入れる前のこの状態を、「太鼓」または「太鼓樽」と呼び慣わします。

(革を張った楽器の太鼓を一般に「樽太鼓」と言うこともあります)

樽屋では、暇な時期に「太鼓樽」を沢山作り置きします。
「たるや竹十」では「太鼓樽」の他に「樽太鼓」も作って置かねばなりません。

樽太鼓に使う竹は冬に切った物でないと強度の点でダメなのです。



ここまでが腕の見せ所。
殆ど完成に近いのですが、このあと、竹を巻き、タガを締めていくという力仕事が待っていて、真冬でも汗びっしょりになります。

本日、樽太鼓(たるたいこ)が沢山、出荷されました。





三月と四月は樽太鼓を音楽の授業に取り入れられている学校から、樽太鼓の注文がよく来ます。
樽太鼓が学校に届くと、子供たちは大喜び。やっぱり新しい樽太鼓は音が良いのです。

2006年3月27日

樽屋 突然の桜の開花に驚く





東京は、二日前の寒雨とうって変わり、桜満開!
丁度日曜日ですから、都庁前の新宿公園では早々とブルーシートで席取りの準備をする人たちがゾロゾロ。
杉樽を持って行ってくれるかな?
このブルーシートというもの、桜にとって甚だ迷惑な存在なのです。

2006年3月26日

樽屋 かわほり堂に行く




東京神田猿楽町にある、謎の古書店「かわほり堂」に行って来ました。
初めての人は探しにくい所にあります。そして、たいそう入りにくく、その上、土曜日だけしか開いていません。開店から数年なのに、見事に江戸漢詩の和本と花柳文学の書物が充実していました。
入り口の蝙蝠の絵は金子國義さんによるものです。

親方は鏡花本を二冊、樽屋の女房はピカソ挿画の「変身譚」を購うことになりました。



  
 

 

2006年3月24日

樽屋 A BIGGER BANG TOURに行く










樽太鼓ではなく、チャーリー・ワッツがグレッチの太鼓とシンバルを叩くのを聴きに行きました。
癌、交通事故と一年に四回の入院というハンディなんて、微塵も感じさせないグルーヴのデカい塊!

たるや竹十は以前、宇崎竜童さんの太鼓バンド竜童組、そして泉谷しげる氏率いるユニット「LOOSER」の太鼓番、村上ポンタ秀一氏に、それぞれ四斗の樽太鼓を送った事があるのですが、残念ながら、本番では使われませんでした。



続きを読む "樽屋 A BIGGER BANG TOURに行く"

2006年3月23日

漬物好きの樽屋の親方は京漬物がお気に入り





「高倉屋」さんの漬物です。
京、錦市場に店があります。

高倉屋さんの店頭には「たるや竹十」の漬物樽が並んでいる筈です。
ほかの漬物屋さんは皆さん、漬物樽の上にビニールを敷いて商品を並べておられますが、見栄えが悪いだけではなく、呼吸している杉樽の効力が発揮できません。
高倉屋さんだけは直接並べられています。

漬物たちと樽は喜んでいることでしょう。

2006年3月22日

花見前の樽屋は大忙し





この時期、樽屋の竹十は四斗樽や、二斗樽をたくさん作って各地に発送します。
三月も半ばを過ぎると、各蔵元は花見に持って行く酒樽の準備にかかるのです。

一般のお客さんも注文に来られて、今の樽屋は年末に次ぐ繁忙期です。

昔は、桜見といえば酒樽を持参することが風習でした。
今ではドイツ人の真似をしてビールを呑む人が増えましたが、
日本人にとって桜といえばやっぱり清酒なのです。

樽屋 春を食す (其の二)





先日、神戸市長田区の丸五市場で「イカナゴくぎ煮コンテスト」が開催され、同区在住の某夫人の作品が最優秀賞に選ばれたそうです。
��0年間守り続けた姑秘伝の味がグランプリに輝き、商品化されました。
地元の珍味販売業者が、その伝来のレシピにもとづき、100キロ限定で販売される予定。
この時期、同種の催しが、神戸各地で開かれますけれど、商品化は珍しい事です。

写真↓は樽屋のおやかたが酒粕と交換して入手した貴重な品。
くぎ煮発祥の地、垂水区在住、佐方夫人の傑作 
高嶋夫人作(樽屋日誌3月16日参照)と甲乙付け難し





これは、錆びた本当の鉄釘。
子供の頃、ひもを付けた磁石で路に落ちている古釘を集めて屑鉄屋に持って行き、お小遣いにしたものです。

2006年3月20日

樽屋のお向かいコンサートの夕べ





菜の花の咲く頃、樽屋の向かいの資料館でコンサートが催されます。
レクイエムロードチャリティコンサートという名で毎年催されてきました。

今日も日没を待って、阪神大震災の際、「たるや竹十」の地元、神戸市灘区で亡くなった934人と同じ数の行灯に火が入れられました。



なだ区の花は、なの花なのです。
奥に見えているのが「たるや竹十」です。
地元の子供たちが作った行灯を灯すのも、この菜の花から採集した菜種油です。




コンサートも半ばを過ぎ、裸足の蔵人たちによる「酒造り唄」が披露されました。
「秋洗い唄」という桶や樽を洗う際に唄ったもので、勿論、アカペラです。



会場近くを流れる都賀川沿いにも、この行灯が海まで並びました。

2006年3月18日

樽屋は桶の輪替もする





ひと昔前までは、どの町にも自転車に割り竹を積んだ「輪替屋」という職人が市中をまわって、各家庭の毀れた「盥(たらい)」を修理したり、「寿司半切(ちらし寿司を作る際は必需品)」や「風呂桶」などの傷んだ竹や銅線の輪を替えたりしていました。

プラスチック製品の登場と中国産の安価な製品の到来で職人が減り、今では全国でも「輪替屋」は皆無でしょう。
近所に桶屋さんが残っている町は幸運です。
本来、樽屋がする仕事ではないのですが、
そんな訳で「たるや竹十」は、数年前から桶の修理も手がけるようになりました。



竹を細く割って薄く削ぐ作業が至難の業なのです。



竹のタガに替えるだけで、ぐっと雰囲気が出てきました。

 

出来上がった桶と、右は最初に入っていてた銅もどきの「たが」
最近は、殆ど銅線をねじる職人はいなくなり、
既製品の、ねじられた物を溶接したりしているので修理は不可能です。

2006年3月17日

樽屋が全盛期だった頃の神戸の港






昔は神戸の中心は兵庫付近でしたから、図は今の三ノ宮よりもう少し西側の港でしょう。
「神戸市立博物館蔵」


酒屋、たる屋の蔵が建ち並ぶ地域。「たるや竹十」付近の遠浅の海。
写真の小舟に新酒の入った杉樽を載せ、この沖に停泊している樽廻船に積み込んで江戸へ下っていきました。


ご存知「メリケン波止場」。
今は味気なくなってしまいましたが、時折、ビルのように巨大な客船が入港して、
見物客が大勢押し寄せます。対岸にはコンテナヤードが見えます。

大きな機械を使い、一夜で荷役を終えてしまうので、外国人の船員も少人数ですし、逗留することなく次の国へ出航し、外人バァで幾夜も明かすという風習も次第になくなってしまったのです。


同じ「メリケン波止場」の明治期発行彩色絵葉書。
少し前までは居留地の異人館を除くと、こんな風情でした。

樽屋 春を食す





今日は知人から「いかなごの釘煮」を頂戴したので、夕餉の御飯がすすみます。
うちは女房が京都人なので「いかなご」はこしらえず、神戸の名人の作品が食卓に上るのです。

「いかなご」は漢字では玉筋魚。
スズキ目の魚で、出来上がりが錆びた釘のようなので「釘煮」と言います。

神戸では春を告げる風物詩のひとつで、露地を歩いていると、どの家の台所からも「いかなご」をつくっている香りが漂ってきます。

決して出来上がった物を買う人はいません。(最近はスーパーマーケットにも既製品が出現)
どこのオバちゃんも自分のレシピで何キロも作って友人に送ったりします。
ですからスーパーや市場は,この時期になると「いかなごコーナー」が出来、郵便局では配達用の専用パックを無料で配布します。

活きのいい「いかなご」を求めて、魚屋にオバちゃんの行列が出来るのは、
他府県の人から見たら異常事態です。

むかしは、いかなごも杉樽に入れて明石港や垂水港から町に運んでおりました。



写真は高嶋夫人の名作

2006年3月15日

「神戸太鼓」という名の「樽太鼓」(たるたいこ)





ある宵、神戸の元町通りを散歩していたら、何やら祭りらしく、諏訪山にある神戸小学校の生徒たちも参加していました。彼らが叩いている樽太鼓は「たるや竹十」が作った杉樽の太鼓ではありませんか。

元町通りの一本南にあるのが、南京町(中華街)。
いまでこそコジャレたお店が増え、人通りも増えましたが、かつては外人バアが立ち並び、怪しげな店の林立する夜道の漫歩が憚れるような異空間だったのです。

いまは華やかな中華街も、昭和40年代までのそこは入るのに勇気がいるような汚い料理店が数軒並んでいるだけで、横浜の同名の地域とは比較にならない所だったのです。
神戸市の恥部のひとつでしたが、いまでは一大観光地となり、さらにコギタナイ雑居ビルの中を、それ風に改造した小ブチック村には他府県からわざわざ買い物にやってくる程に変貌しました。

地震の翌日にはふだん通り営業した強いエネルギーを持った町でもあるのです。

 
「神戸太鼓」とは神戸小学校の命名だそうです

2006年3月14日

樽屋が作ったバケツは「杉バケツ」





杉の桶に植物を活けると、昨日の穴子と同様、信じられないほど長持ちして元気。
しかも水が腐りにくいのです。
持ち運びやすいように、竹の取手を付けました。

さる御屋敷を訪ねた折、門に水を撒く時にプラスチックのバケツを使っておられ、余りに無粋なので、樽屋としては、見るに見かね、「杉バケツ」を作って差し上げました。
以来、花器として、また、手水鉢として、お茶会にも登場する位に出世しました。

切花とは植物同士ですから、相性はぴったり。
人間国宝の先生方が焼かれたどんな陶磁器よりも、ラリックのフラワーベースより花々は喜んでいる筈です。

ホワイトディには、お花も良いのではないでしょうか。

 挿花は奥田美代子氏



一週間ほどで、こんなに根が生えてくるなんてビックリ!
                                                                                                      

2006年3月13日

樽屋 焼穴子を食す





穴子は苦手だったのですが、到来物に焼穴子。
清酒を振りかけて焙り、こわごわ食べてみましたら、スコブル美味!
今まで食べなかった数十年が惜しい。それとも、ここの焼穴子が特別なのかな。

生きた鰻や穴子を保管しておく時に老舗では杉樽に、きれいな水をはって用います。
魚函もプラスチックや発泡スチロールのものより、杉樽の方が鱗が取れないので長生きする訳です。

2006年3月12日

樽屋 醤油メーカーの映像取材を受ける

先日、ヒガシマル醤油のT氏が来店。「うすくち醤油の歴史」のヴィデオ撮影隊がやってきました。

目的は、吉野杉の原木がどのようにして樽丸(樽の材料)になって行くかを調べるため、
あちこち訪ね歩いた結果、「たるや竹十」に到った由。樽丸についての仔細は後日UPします。

醤油も、昭和40年までは杉樽を用いて流通していました。当時、醤油樽には赤味材、酒樽には甲付と決まっていたのですが、、それ以降は特級酒(今の特撰)には甲付、一級、二級酒(今の上撰、佳撰)には赤味を使うようになったのです。
現代でも甲付のみを踏襲している蔵もあれば、赤味に統一した蔵など、さまざまです。



かつて、ヒガシマル醤油では社内に樽工場を持ち、昭和初期には50人もの樽職人たちが働いておりました。醤油製造工場の職人は40人だったそうですから、いかに運搬容器としての樽の需要が多かったかを窺い知ることが出来ます。
当時は樽職人が行き来していたので、「たるや竹十」とも密接な関係にありました。

   

2006年3月11日

壮観 !!  樽、十丁の鏡開き





さるパーティで、壇上に四斗樽を十丁並べての鏡開きがありました。
樽屋から見ても、まことに迫力あり。

樽屋、限定一丁の樽をつくる


かつて「お祝い」といえば「清酒」。



即ち一升瓶という時代もあったのですが、年々減ってきています。

同じ一升入りでも、「たるや竹十」のお奨めは「杉樽」です。



この杉樽は、私の周辺で一番人気なのですけれど、難を言えば中身より容器の方が高価になってしまう事。
それでも、限定一枚のオリジナルラベルを貼った、片手で持てる杉樽は、お祝いや贈り物等に大変喜ばれます。

高さは僅か16センチ、直径21センチ、このラベルはお客様の手書きによるものです。

2006年3月10日

樽屋の作った「ちりばこ」(樽屋は何でも作らなければならない)





今日の製作依頼は「ちりばこ」です。案外、気の利いた「塵函」って無いものです。
なるべく、古い感じでという注文だったので、倉庫から昔の材料を探し出してきました。



これも、三つ作るためにだけ道具を拵えました。
竹だけは新しい物を使わなければなりません。



このビニール袋が樽屋としては不満なので、これが見えないように後日、少し改良する予定です。
「たるや竹十」だけの裏技があるのです。

今まで、無粋なプラスチックの「ごみばこ」を使っていたので随分、お店の雰囲気が変わりました。

樽屋は小さい「樽太鼓」も作ることが出来る





某市の幼稚園から依頼があって、一番小さい樽太鼓を16個作りました。
樽は小さくなるほど、作るのが難しくなります。道具も一から誂えなければなりません。
次回の注文が、いつになるか分からないのですが、小さいから少し安い値段に設定せざるを得ません。随分贅沢な話です。
小さい樽太鼓は小学校の低学年の音楽授業にも使われます。
居酒屋などの椅子にも使われます。




大きい物をつくる方がずっと楽です。作る事が出来ない樽屋の職人さんも多いそうです。



こうして、トラックに積み終わり、運送会社に託すと、ほっとします。
子供たちも、きっと喜んでくれる事でしょう。

2006年3月8日

小学校の音楽の授業は樽太鼓(たるたいこ)





各地の幼稚園、小学校で「樽太鼓」が生徒たちに喜ばれています。
神戸市の小学校は殆ど、音楽の授業に樽太鼓を使ってくれています。

山梨の石和南小学校や兵庫県の氷上養護学校、また川崎市の小学校でも「樽太鼓(たるたいこ)」を使ってくれています。
「たるや竹十」の「樽たいこ」は何年も良い音が出るように特別な方法で作っております。
痛んできましたら、いつでも修理が出来ますから、釘やボンドは使用しないで下さい。
また、使う前に水をかける方法も避けてください。あとから樽のタガがゆるんで来ます。



写真は神戸小学校

清酒を杉樽に詰口する(樽屋の仕事ではない)



樽酒はタンクから直接、生酒を樽(たる)に入れるのではなく、酒税の関係から面倒ですが、皆さんがいつも目にする一升瓶から一本ずつ入れるのです。30年位前は大桶に太いホースを繋いで樽詰していました。
勿論、沢山こぼれたり、あふれたりします。細かいことは気にしない大らかな時代だったのですね。
でも清酒を胃の中に入れて帰る事は許されますが、瓶などに入れて蔵から出ると、即、脱税になる事は今も昔も変わりません。



先ず、一升瓶の清酒を用意します。今日は二斗樽(36リットル)ですから、瓶は20本必要です。
むかしは一升瓶は木函の10本入りでしたが、今はプラスチックの6本入りなので、よく計算違いをするそうです。この場合も6本入り3ケース+2本。



碁盤目に穴の空いた木製の道具(名前?)を用意します。小瓶用など各種あり。
他の道具と同様よく使い込んだ物の方が手になじみます。



こんな大きな漏斗を使います。昔は杉桶の物を使っていました。
左に見える黒い棒状のものは、一升瓶の王冠抜きの道具。鉄パイプを使いやすいように加工しただけの物です。



一升瓶を順次、「板格子」の孔に突き注して、お酒を詰めていく訳です。
一度に10本位突き注すので、空瓶を抜く順番を間違えると、ひっくり返って、また大事な清酒がこぼれてしまいます。瓶が割れた時などと同様、税制上「亡失」と書いて、こぼれた酒も税務署に提出しなければなりません。
樽に酒を詰める行為は酒税法等の問題から造り酒屋にのみ認められている事なので、酒販の免許を持った一般の小売店にも許されていません。

たるや竹十

2006年3月5日

樽屋、杉樽を出荷する





��月26日にエントリーした東京、大塚の「江戸一さん」から、注文が入ったので、早速、杉樽を届けました。
これは、「仮巻き」といって菰を巻かない裸の樽です。正式には薄い菰をくるんでいましたが、数年前から、それも略して本当の「裸樽」に縄を「三つ輪がけ」して出荷しています。樽屋にとっては折角つくった樽をコモで隠されるのは長年の風習とはいえ、不本意なことです。
菰屋さんには悪いのですが「杉樽たる」は、やはり木目の美しい吉野杉と青竹を見てもらいたいものです。

「江戸一さん」以外ですと季節限定ですが、横浜の「キンパイ酒店」でも杉樽の樽酒を呑むことが出来ます。
どちらの居酒屋さんでも、使い終わった杉樽は近隣の小学校などに引き取られていくそうです。
樽太鼓として、第二の人生をおくる訳です。
ただし一度、酒を入れた杉樽は乾燥してしまって、楽器としては、余り良い音は出ません。
↓のように竹のタガを締め直してやらないと半年位の命です。

2006年3月3日

樽屋は樽太鼓(たるたいこ)の季節になりました。




少し、暖かくなってまいりました。
お歳暮用の杉樽、お正月の酒樽、さらに旧正月の為の樽酒・・・・・・・・などの出荷が終わり、
春のお花見に使う一斗樽や、四斗樽で容量が一斗という特殊な樽をつくるまでの空いた期間に樽屋は「樽太鼓」たるだいこ(太鼓樽とは別物)をまとめて作り置きしておきます。
四月の新学期に幼稚園や小学校の音楽の授業に使うからです。
高さや雰囲気が丁度いいので居酒屋の椅子にも、しばしば使われます。

樽は本来、液体を入れる容器として確立した物ですから、風と光、そして温度湿度の変化に弱いのですが「たる太鼓」はメンテナンスさえ、しっかりしていれば、数年は楽器として使用できます。
それでも蓋が、ささくれだって来たりした時には竹のタガごと蓋を新品に取り替えることが出来ます。
費用は新品の半額位かかりますけれど、また何年も太鼓として使う事ができます。
��ANCIAのレストアと同じ作業をします。バラバラになっていても復元させますから、ご安心下さい。

たるや竹十

 

写真は一斗樽(18リットル)、高さも直径も約34センチです。

2006年3月1日

樽屋のおやかたはロードレーサーも大好き(自転車中毒!)





トリノのオリンピックも無事終了。冬季は自転車競技がないので、ちょっと不満。
日誌上のトリノの話題も,しばらく休憩。
自転車といえばミラノなのですが、GIOSだけはトリノ産なのです。

2006年2月27日

トリノといえば LANCIA!(樽の町にカロッツェリアが沢山)





オリンピックといえば、トリノ。しかし、樽屋のおやかたにとっては、ピエモンテ州トリノ市はLANCIAとALFA ROMEOの街。多くの自動車会社がオリンピックの公式スポンサーになっております。
今はイタリアの殆どの自動車会社がFIAT傘下になってしまいました。
両社も然り。

樽屋のおやかたの憧れは、むかしのLANCIA。故障ばかりらしいですが、色気はたっぷり。

フルヴィアスポーツS カロッツェリアZagatoデザイン
 モンテカルロの後姿 名門カロツェリア Pininfarinaのデザイン

樽屋が何軒も軒を並べていた灘五郷も時代と共に町並みが変わって行きます。
��ARROZZERIAと呼ばれる、何十年前のボロボロの車を新車に変身させる工房がいくつか出来ています。ここもその一社で、近所なので時々遊びに行きます。

この二台はコンディションが悪いので、これから、レストアしていくわけです。
こうやって、先ず車を丸裸にする工程から始まります。
エンジンやシャーシ、ミッションなど全てを新品に換えます。
世界中探しても入手不可能なパーツはここで作ります。
外装だけ板金塗装するのではありません。


 
まっかなアルファはジュリエッタ  BERTONE1954年作
 
 

樽屋のおやかたが持っているのは、まだ、この水色のミニチュアカーだけ‥‥
��URELIA B24 SPIDER 1955製

杉樽で樽酒が呑める店





東京、大塚の「江戸一」さんでは「泉正宗」醸の清酒が「たるや竹十」謹製の特上四斗樽から直に呑むことが出来ます。
灘から江戸へ運ばれていく間に、まろやかな吉野杉の木香が灘の生一本と一体になります。
昔は、日本酒といえば樽酒で、この呑み方が当たり前でした。






       雑誌「サライ」2002年6号(通巻305号)より

2006年2月25日

樽屋、樽酒で陣中見舞い



 

アヴァンギャルド書家米岡満寿美さんの個展がギャラリーミウラで催されました。
樽屋ですから、花束代わりに「おうち樽酒」(高さ、僅か16センチ)を持参しました。杉樽の腹書(表のラベル)には
米岡酒造の満寿美と和紙に手書きしたら好評でした。限定一部の一升樽です。
「真澄」という銘柄は存在しますが、「満寿美」という地酒は、この夜限りの幻の酒です。

10日遅れのヴァレンタインデー たる屋、チョコレートを貰う





但し、上質の酒粕と交換せり。
今、話題の表参道ヒルズのJEAN-PAUL HEVINで行列して買われた由。



スカラ座のチョコレートは「マイチョコ」です。トリノが本社のCAFFARELの限定品。




ミラノのスカラ座では生誕250年を記念して「フィガロの結婚」を上演中。

 

2006年2月17日

たる屋、雑誌に取り上げられる。





大人組という京阪神限定の雑誌3月号に「おやかた」が登場しました。
「おやかた」は樽屋という職業柄、ビールが呑めない体質なのです。
「トリアエズビール」は大嫌いなのです。
清酒御用達の「たる屋」だからです。



大人組の表紙





これはLEONEというトリノの会社が作っているドロップです。因みに創業は1857年です。

2006年1月15日

60年代のトリノ風景 たる屋とは関係ありませんが。





��.アントニオーニの映画の一シーンを想わせます。
��0年後に、ここでオリンピックが開催されるとは誰も想像しなかったでしょう。
BUITONI社も、創業が1827年で「たる屋竹十」と同じ頃です。有名なパスタ屋さんですね。
パスタも昔は「樽」で運んでいました。



PIAGGIO社は戦後の創業です。

2006年1月7日

「漬物たる」は杉樽で







上から、四斗、二斗、一斗用の漬物タル
それぞれ、落とし蓋が付属します。

京、錦の漬物樽(つけものたる)です

DSC02155.JPG

京都の錦市場です。ここの打田漬物は、遠い親戚にあたります。でも竹十の漬物樽は使っていません。例年通り年末は大変な賑わいでした。

たるや竹十」の漬物樽が並んでいます。










錦市場に並ぶ京野菜たち

2006年1月4日

フランス料理店で杉樽の鏡開きをする





神戸、北野町のレストラン[GENTI OSIER]で新年に四斗の酒樽の鏡開きをするというので、届ける。
フランス料理と樽酒(たるざけ)は意外なほど良く合うのです。
この店のオーナー高柳好徳さんは伝説の美木剛氏のジャンムーラン
の元メンバー。





異人館倶楽部パートⅡ