2013年11月27日
酒樽屋(たるや)の虫養ひ
西宮の竹葉亭で鰻丼を食す。竹葉亭は本家である白鹿に対し悦蔵さんと言われている白鷹が作った禄水苑の中にある。
竹葉と清酒とは深い縁があります。
鰻と樽酒も相性が良いらしい。
〒662-0926
西宮市鞍掛町5-1
TEL (0798)37-3939
2013年11月25日
かつて酒樽屋(たるや)だった企業三社
明治末期まで近畿だけで数百軒あった酒樽屋も日露戦争の後,一升瓶の出現と相まって激減、その後昭和40年頃に石油製品の普及により木桶と共に減少。
全国のかなりの樽屋は酒樽製造から一升瓶用の木函製造に移行。更には木函はプラスチック函になり、近年の紙パックの出現、その上ペットボトルや減菌レトルトパックまで登場。
清酒自体の需要縮小もあって、酒樽は「伝統」という名の下、酒文化の象徴として残るしか道はないのか.........................
現在阪神間に酒樽屋は4軒、全国でも10軒程度のみ。当然樽職人の数も推して知るべし。
樽谷包装産業は江戸時代は樽屋だった筈で,その後一升瓶の木函製造から現在はパレットや段ボールなどの製造へ。ご子息とは奇遇で昔、私と同じアパート隣室の住人だったことも。
京都容器光陽は元の名を「京都容器」という樽屋で、祖父同士が親友。
奈良の「吉野容器」と共に一時、大規模に樽製造業を営む。
現在は、やはり梱包資材やパレット製造。灘の酒蔵へも多数納品。
写真は同氏のBlogより
特殊容器製造へ転換した樽徳商店の会長宮本博司さん自作の樽
同氏の木樽への思いは殊のほか深し。
たるや竹十にも来訪、吉野郡川上村まで吉野杉を仕入れに行かれた。
同氏は専門が土木工学、元国交省の役人を勤め全国のダム建築に関わった由。
上の三社は時代の流れに逆らうことなく益々発展して行く中、たるや竹十は今も変わらずコツコツと樽(たる)を作り続けております。
全国のかなりの樽屋は酒樽製造から一升瓶用の木函製造に移行。更には木函はプラスチック函になり、近年の紙パックの出現、その上ペットボトルや減菌レトルトパックまで登場。
清酒自体の需要縮小もあって、酒樽は「伝統」という名の下、酒文化の象徴として残るしか道はないのか.........................
現在阪神間に酒樽屋は4軒、全国でも10軒程度のみ。当然樽職人の数も推して知るべし。
樽谷包装産業は江戸時代は樽屋だった筈で,その後一升瓶の木函製造から現在はパレットや段ボールなどの製造へ。ご子息とは奇遇で昔、私と同じアパート隣室の住人だったことも。
京都容器光陽は元の名を「京都容器」という樽屋で、祖父同士が親友。
奈良の「吉野容器」と共に一時、大規模に樽製造業を営む。
現在は、やはり梱包資材やパレット製造。灘の酒蔵へも多数納品。
写真は同氏のBlogより
特殊容器製造へ転換した樽徳商店の会長宮本博司さん自作の樽
同氏の木樽への思いは殊のほか深し。
たるや竹十にも来訪、吉野郡川上村まで吉野杉を仕入れに行かれた。
同氏は専門が土木工学、元国交省の役人を勤め全国のダム建築に関わった由。
上の三社は時代の流れに逆らうことなく益々発展して行く中、たるや竹十は今も変わらずコツコツと樽(たる)を作り続けております。
2013年11月24日
樽(たる)作りは道具作りからはじまる
何でも、物づくりは道具づくりからはじまります。
和樽(たる)をつくる道具は総じて樫等の堅い木を使うのですが、あると重宝するのが鉄の「玄能」です。
正式には「玄翁」と書き、「玉藻前伝説」に由来します。
狐が化けて鳥羽上皇の寵愛を一身に受けていたところ、某陰陽師にその姿を見破られ、今度は堅い石に変身して身を守ろうとし誰も手が出せなく困っていた時に曹洞宗の和尚、玄翁さんが現れ大きな槌で石を砕いたという伝説。
ところで現代では「玄翁」どころか金槌を使う大工さんが激減。
どこに行っても売っていないので新調しました。(先日来たMAC TOOLSの車の中はプラスチックの反動ハンマーしかなかった、あとは鉄ハンマー、訳せば「玄能」)
この世界も奥深く「ヒシ貫」こと長谷川重郷作、「丸増」こと相田浩樹作など在銘の高級品がずらり。
それでも気に入った槌がなく特注!!!!!!!!
恥ずかしながら、今まで「玄能」は両方に打面がある槌だとしか知らなかったのですが、
片面は平面だけど、裏面は僅かに曲面が上がっていて締め打に使うとか。
和樽(たる)つくりに釘打は必要ないので(押し蓋の持ち手を除く)両方が平面の竹十用特製。
写真では一番上が量産品(若干軽いので小さい樽を作る時でも頼りない)比べると見るからに悪そうだけど、値段は安くないんです。柄の材も悪くクリアラッカー仕上げが致命的。
真ん中が長年愛用している使い具合の良い昔の玄能。ただ柄が折れたので短く応急処置中。
下が特注品、未だ柄は付けていない。見るからに良さそう。いい仕事が出来そうな気がする。
酒樽屋(たるや)、針金細工の展覧会を見に行く
古い友人、針金屋銀蔵こと林雄三君が神戸大丸で展覧会をしているというので、仕事の帰りに立ち寄る。
同じく神戸北野町にあったベイビューヴィラの同窓生毛糸屋の山田さきこ氏が手伝っていた。
帰りは銀子も伴ってカフェイスタンブールでトルコ料理を食す。
林雄三氏は今夜もたるや竹十の客間に泊まっている。
大丸の展示即売は26日までだけど、12月14日から23日まで京都のイシスで展示実演
2013年11月22日
小雪(しょうせつ)、すなわち和樽屋(たるや)の繁忙期
気が付いたら,十一月も終わりに近づいております。
小雪(しょうせつ)です。十二月七日の大雪(だいせつ)を経て暦の上では冬がはじまります
和樽屋(たるや)にとって、一年で一番忙しい時期です。
今年は例年に比べると未だ極寒までは未だ遠く、少し力仕事を続けると汗ばむ位です。
すなわち、漬物樽、味噌樽の時期に急ぎの樽太鼓の修理が加わり、そこへ本業の酒樽の注文が年末まで殺到、てんやわんやでおおわらわの年末がはじまるのです。
最近、変った用途に和樽(たる)が利用されて驚くことが多くなりました。
今回の写真の二丁は和菓子屋さんが餡だったか粉かを混ぜるための鉢の更に台に使うとのこと。
��だったと思う。曖昧で失礼)、ほかにもガラスを磨くための和樽(たる)等々。これは樽(たる)の中に研磨剤とガラス玉を一緒に入れ、回転させて丸く加工するらしいのだけれど、同種の方法は神戸に沢山ある真珠加工業者の間では常識のようで。この古典的な手法を踏襲されている真珠屋さんは未だあります。海鮮類や野菜等でも木製の和樽(たる)を使う方が鮮度が圧倒的に落ちない由。うなぎ屋さんやあなご屋さんからの注文も絶えません。
あるいは地元の桶屋さんが高齢のため廃業してしまい、それまで使っていた鮒寿司用の桶が手に入らなくなってたるや竹十にたどりついた方。年齢に関係なくネット環境にない方で雑誌新聞やテレビに取り上げてもらったら、メモされていたのか暫くしてから問い合わせて来られます。
2013年11月21日
鏡開きの新酒とボジョレーヌーボー
2013年11月20日
灘五郷の和樽屋(わだるや)と民俗学者宮本常一
たいそう珍しい雑誌(冊子)です。長年探しもとめていてようやく見つけました。
実は絶対に手に入らないだろうと半ば諦めていたのです。
いはゆる稀覯本と呼ばれている非常に高価な書物の場合は金額さえ気にしなければ入手し易いものですが、むしろ、このような50頁前後の不人気雑誌で売価も数百円(あるいは数十円)となると逆に探し難いものなのです。
他の方々にとっては価値はないでしょうが、和樽(たる)屋のとっては必須書です。
宮本常一氏監修の近畿日本ツーリスト昭和62年12月発行「あるくみるきく」250号という冊子です。
表紙の桶師は岩城好一さん、右側の軒先に隠れて顔を少し出して指導しているのが、同じく常峰巌さん(私の師匠なのですが40代で逝去),本文中に桶仙の名川隆義さん(宣言通り60代半ばに引退)、竹屋の松下栄二郎さん、そして阪神大震災のため死去、廃業を余儀なくされた元兵庫県和樽工業組合理事長、庄伊右衞門さん経営の庄製樽所と、同所職人の木村さん親子(共に廃業)、樽丸師だった吉野の栗山晴昇さん(引退して40代の大口孝次さんが後継)らが登場して、まことに身近な文献です。
��0年程前のこの雑誌。当然ながら写真を見るとみんな若い。
灘五郷が日本一の酒どころの矜持を持って一番活気があった好い時期です。
唯一今も現役でたるや竹十の竹を割ってくれている竹屋の松下さんが未だ20代だった頃。
ありがたい事にこの冊子は後年「農文協」から御長男の宮本千晴さんと弟子筋の尽力により「「あるくみるきく双書第8巻、近畿2」別名「宮本常一とあるいた昭和の日本」として、昭和59年発行の「吉野の木霊」なども一緒に再録されて単行本になっていて便利です。全25巻ですが、300冊近い月刊誌を網羅することは出来ませんでした。
農文協版との違いは原本では色刷り頁が多い事と、野田の小川浩さんが取材した千葉の樽事情が割愛されている点です。
「昭和と言う世は、百姓がサラリーマンになり、大工が役人になり,商店の息子が絵かきになる世の中だ。みんな思い思いに思い思いのことをする。親のあとを子がついでいくというようなことはすくなくなった。ではいったい誰があとをつぐのだ。その思い思いの行動が伝統をたちきっていく。一つの文化は一〇年や二〇年では築けない。二台や三代もかかるものだ。自分でできなかった仕事は誰に完成してもらえばよいのか。自分だけではできないことをさらにうけついでさらに発展させていく人(仲間)をつくらねばならぬ。」 歩く民俗学者、宮本常一
2013年11月19日
清酒用の和樽(たる)を分解する
和樽屋(たるや)の虫養ひ、または三都味くらべ
神戸や大阪の人たちが京都で蕎麦屋や饂飩屋に入り「たぬき」を注文するとビックリします。
出てくるのは、なんと「あんかけうどん」又は「あんかけそば」なのです。
神戸,大阪では「たぬき」と言えば、甘辛く味付けした油揚げがのっている「そば」を指します。
油揚げがのっている饂飩が「きつね」、麺が蕎麦にかわったら「たぬき」です。
これが阪神間の日常です。「けつね」或いは「しのだ」と注文しても通じます。
京都において「たぬき」という食べ物は「あんかけ」なのです。金沢方面も同じ由。
京都で「たぬき」と注文すれば、生姜がたっぷりのっているか添えられているか、
素うどん(そばの場合もあり)のあんかけが出て来るだけです。油揚げのきざみがのっている場合もあり。
あくまで油揚げは「きざみ」なのです。
逆に京都の人が神戸や大阪に来て「たぬき」を注文したら、
油揚げの「きつねそば」が出て来てがっかり?????されるでことでしょう。
さらに関東では「天かす」をのせた麺を「たぬき」と呼ぶそうで。
ことほどさように三都の中でも食文化の違いが、はっきりしております。
あんかけの場合は京の寒い夜を腹の中から暖める為かなと思いきや、真夏にもあるんですね。
それがどーしたという、狐と狸の話題であります.。
やぐ羅
〒605-0075
京都市東山区四条通大和大路西入る(南座向い)
営業時間 11:30~21:00
定休日 不定休 075-561-1035
2013年11月17日
店舗設計の際に展示用に使うディスプレー和樽(たる)
新しい店舗を作るとき、お店の内外から日本的な雰囲気を醸し出す演出として、
ディスプレー用の和樽(たる)がよく使われます。
樽太鼓を展示用に綺麗な材料で出来る限り美しく作ったり、
逆にエイジングと言って古色を付けたり発注の際の打ち合わせで様々な和樽(たる)が出来上がります。
吉野の山で樽(たる)の材料をあらかじめ最大56ミリに切ってしまうので、
基本的に高さが56センチまでの和樽(たる)は廉価に出来ますが、
それ以上の高さの樽(たる)は原木の段階から別注なので時間と費用がかさみます。
技術的にも一尺八寸(約560ミリ)より背が高くなると突然高価になります。
御注意下さい。
例えば、味噌ラーメン屋さんの前に味噌樽(たる)、醤油ラーメン屋さんに醤油樽(たる)等々という例もかつて有り。
写真の和樽(たる)は蓋(ふた)を70ミリ落として商品を陳列出来るように加工した店舗設計用樽(たる)
この形態の和樽(たる)も上に赤毛氈を敷いたりして使い勝手が良いので人気です。
下げる深さは何センチにでも加工で来ますので御相談承ります。
2013年11月16日
三年間使って下さっている漬物樽(つけものたる)
2013年11月15日
和樽屋(たるや)が来年使う樽用手帳
和樽屋(たるや)用に使う来年の手帳は別の物に変えようと思っていたけれど、気に入った手帳がなく、今年と同じLEUCHTTURM1917(ロイヒトトゥルム)の手帳に決定。
予約していた物がようやく入荷。発音が難しいからか余り普及していない、
ドイツでは切手やコインのファイルで有名な会社らしい。
イタリアのCIAKやMOLESKINEのようなオシャレ度は低くく
あくまで独逸的に地味で質実剛健、品質本意。
和樽(たる)の注文メモや製作予定、樽(たる)の約束期日などを書いておくには重宝しました。
実際今年一年間ズボンの後ポケットに入れて
酷使したにも関わらず製本も崩れず、表紙もさほど傷まず。
早速、日本の祝日を赤ペンで○印しておこう。
本当は「冬至」などの二十四節気の季節の節目もない上、赤い文字の「祝日」の記載がないのは非常に不便なのですけれど、財布同様一年間身につける数少ない物体ですからデザインを優先してしまいます。
黒色のみの表紙表紙なので自身でカラフルにカスタマイズしないと行方不明になりがち。
携帯電話と違って失くした時に電話を鳴らせば反応しません。そんな機能を開発してくれないかな。
キーホルダーと財布もしかり。外出直前に見つからないとパニックになります。
2013年11月14日
和樽(たる)屋に来訪者相次ぐ
和樽屋(たるや)にはメールやFAX,お電話による御注文が圧倒的です。
殊に電話の方は木製の和樽(たる)を初めて使われる方や、意外な目的に使われたりするため、
様々な質問をされてこられ、こちらも興味深く聞き入ってしまうが多々あります。
樽(たる)のことなら御遠慮なく何でも訊いて下さって結構ですが、味噌や漬物の事になりますと専門家ではないので、逆に何年も和樽(たる)を使われている先輩諸兄に当方が質問する事が多くなり、醤油等は作った事がないのですけれど中途半端に詳しくなりました。
いつか私も醤油作りと本格的な奈良漬け作りに挑戦してみようと思っております。
ただ、樽屋竹十の丁度向かいに販売のみですが奈良漬屋さんがあるので完成品を買ってしまいます。
木製和樽(たる)という商品の性格上、実際にご自身の目で御覧になり手で触ってみてから判断したいと言う熱心な御客様が月に何人か来られます。
写真の方も御姉妹で他府県から来られ、随分悩まれれて木製和樽(たる)を数個お買い求めになられました。
今は製作工房なので遠くから来られた御客様を充分おもてなしする事が出来ず遺憾に感じております。
樽屋竹十のショップは別の場所に来年早々オープンの予定です。
近日中に詳細を御案内致します。
手前か「五升漬物樽(27型つけものたる)」真ん中が「味噌樽(みそたる)の小」右端は「一斗漬物樽(つけものたる)34型」
奥に見えるのは「四斗樽(56型)」を分解して再生漬物樽(つけものたる)を作る途中のものです。
樽(たる)の大きさの目安になるかと思い、敢えて一緒に撮りました。
2013年11月13日
樽(たる)用の竹が到着
かつて樽(たる)のタガに使う竹は京都の嵯峨野から、その後は少し南の大山崎から、
運んでおりましたが、ここ近年は前二カ所の竹の大量伐採が不可能になったので、
六甲の裏山、有馬近郊の薮に入り切り出して来ます。
日本中に竹は必要以上に自生しており、樽(たる)や桶(おけ)を作る人も数少なく、
壁下地に使う細い竹、海苔栽培の筏用竹、箒(ほうき)の柄などに竹を使う機会が激減し、
更に中国産の安い竹に駆逐され、ハタキの柄等は殆どプラスチック化、
それ以前にハタキ自体も余り見かけませんね。
原竹(丸いままの竹)を麓の工場まで運んでくれていた業者も少なくなって来ました。
寒い時期に足元がぬかるんでいる上に重い竹を担ぎ出すのは重労働なのです。
長い竹の運搬も容易ではありません。
今、神戸で和樽用の竹を割る事の出来る職人は二人だけになってしまいました。
原竹の入手も困難ですが、和樽繁忙期の年末になると竹を割って削る職人の手配にも苦慮します。吉野杉と樽丸職人の関係より事は深刻かも知れません。
2013年11月10日
樽(たる)づくりの過程で出て来る大鋸屑(おがくず)の行方
2013年11月7日
酒樽屋の秋
今年も、はや立冬です。長い夏と台風が過ぎて、ようやく秋らしくなりました。
偶然ですがプロ野球が終わりますと酒樽屋は忙しくなります。
唯一、灘五郷付近を本拠地にする某球団が優勝した時は徹夜が続く程、
酒樽(たる)の注文が殺到します。
幸か不幸か今年はその心配がありません。
通常の酒樽製造に専念出来ます。
以前にも記しましたが、灘五郷は南を海に面する一帯でした。
ここから樽廻船が酒樽(たる)を積んで江戸へ向かい、吉野からは大量の杉原木が届いた湊です。
山を削り、海を埋め立てる政策の市なので海が無くなってしまいましたが、
たるや竹十の浜には少しだけ海が残っており、船が行き来したり、
釣り人が誤って海に落ちたりもします。
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