2009年9月30日

樽太鼓に明け暮れた九月でした

DSC07373.JPG

昔なら、九月は年末用の酒樽をつくる時期だったのですが、
最近は秋祭りや学校の音楽会に使う樽太鼓の製作に終始しました。
その九月も今日で終わりです。
樽太鼓は修理も、ずいぶん致しました。




2009年9月23日

酒樽屋は酒樽をつくる所です

DSC00278.JPG

大型連休も終わりです。
酒樽屋の九月には休みはありません。
昔から、温度や湿度の関係から秋の彼岸までは酒樽を作ってはいけないと言われておりました。
竹や杉の伐採も夏を避けます。
仕方がないので樽太鼓や、太鼓樽(酒樽の半製品で、タガが二本だけ入っている物)、
あるいは樽(たる)の底や蓋(ふた)を作り、職人たちの仕事つなぎに苦慮して来たものです。
最近の夏は漬物樽や味噌樽、または店舗展示用の樽(たる)を額に汗しながら作っています。
エアコンは厳禁。扇風機の風すら酒樽を乾燥させるので、最小限の使用にとどめています。

酒樽の注文を頂きながら長らく待ってもらっていた全国のお客様に
ようやく樽を発送することが出来る様になりました。
これから年末にかけて酒樽製造と樽太鼓や漬物樽、味噌樽と注文が重なり、忙しくなりそうです。



2009年9月19日

樽屋の目の前で酒樽の鏡開き

DSC00289.JPG

毎年恒例になってきましたが、「樽屋竹十」の向かいに位置する「沢の鶴資料館」でジャズコンサートがあり、
正式な鏡開きが執り行なわれ、その後の休憩時間を利用して「振る舞い酒」がありました。
酒樽は当然、「樽屋竹十」が用意しましたけれど、やはり底も含めて吉野杉の酒樽。

今年は、去年忙しくて寄贈出来なかった事もあり、
また、張り切って「甲付酒樽」を選んだせいか参加者の評判は上々。皆さん、おかわりの行列
「この酒を買いたいのですが、何と言う銘柄ですか?」という質問と共に周辺の五合瓶を駆逐して、美味しい おいしいの連発。
尋ねられた係の方も「これは樽酒です。中身は単なる上選(昔の一級酒)です」と対応するしかなく、瓶詰めの樽酒は吉野杉の酒樽を使っていいないので、同じものだと答える訳にもいかず、返答は「×?▽♡◉♪♪♬♨............」でした。

写真を見ても判るように樽酒に於いて「底」が、いかに重要な要素である事を再認識しました。
空になるまでもう一息。一昨年はあっという間に空っぽになったのに。
残暑のせいと、飲酒運転取締が厳重になったことも原因でしょう。

f24aa5a22347b1dadfe6a14adae6e249.jpg

でも、この日の主役は、この夏94歳で亡くなったレスポールだったのかも知れません。



2009年9月17日

木製樽太鼓(タルたいこ)と木製漬物樽(つけものタル)ばかりが

DSC00241.JPG

やはり、季節のせいでしょうか。木製の樽太鼓(たるたいこ)や同じく木製の漬物樽(つけものたる)ばかり出荷しております。
漬物樽(つけものたる)は木製ということが再評価されて、個人の方々からの注文が殆どですから数量は一個や二個なのですけれど、樽太鼓(たるたいこ)の御注文は数十個単位なので、荷造りの手間も容易ではありません。

樽太鼓(たるたいこ)は楽器としてだけでなく、椅子に使ったり、店舗の装飾に使われる例が増えております。

2009年9月15日

幻の夜行列車、またはブルーノートの頂点

B0000A5A0T.01._SS500_SCLZZZZZZZ_V1115817119_.jpg

1957年の9月15日、ジョン・コルトレーンブルーノート社長、アルフレッド・ライオンの要請で「ブルートレイン」を録音します。
コルトレーン31歳、リー・モーガンがトランペット、ポール・チェンバースのベース、そしてピアノにケニー・ドリューという豪華メンバー。
今から50年以上も前の話なのですね。
ブルーノートで唯一のコルトレーンなのに一番人気のある定盤です。
昨年紹介した、マイルスの字幕入別テイクが評判良かったので、
第二弾も遅まきまがら紹介しておきます。

BLUE TRAIN TAKE7

蛇足ながらブルーノートだから、ブルー トレインかと思っていたら、
ブルーノートのブルーはブルーズのブルーだそうです。
巷では一夜にして売り切れたビートルズのリマスター版BOXの話題で持ち切りですが、
コルトレーンにも初回限定CDがあり、こちらは2枚組で20万円!!!





2009年9月14日

ディスプレイ用樽(タル)すなわち売場樽(タル)フランスへ行く

DSC00060.JPG

店舗の前などで商品を展示するための樽(タル)です。
ディスプレイ用樽(タル)とか、売場樽(タル)あるいは上げ底樽(タル)と呼びますが、
他の樽(タル)と違い正式名称はありません。
強いて言えば酒樽(タル)における二重底がこれに相当します。
いま程、多く使用されなかった時期は古樽(タル)を各店が改造していたものですが、
最近は古樽(タル)もあまり手に入らなくなってきたこともあり、
酒樽屋が新しいものを最初から作るケースが増えてまいりました。

水を入れても洩れないタイプと、
単に底が上から15センチ位のところに収まるタイプの2種があります。
前者では洩れないように上の底の部分にも竹箍(タガ)1〜2本入れます。
これは酒樽における容量半分の樽と同じ方法でつくります。

写真の樽(タル)はフランスで催される展示会で商品を陳列するために特別に作った物で、
見えている底は取り外しが自在で、必要のない時は商品を底の下に収納するように出来ています。海外発送が得意な「たるや竹十」ですけれど、
この度は発注元の方が他の物品と一緒に空輸されました。

尚、手前に写っている小さい樽(タル)は9リットルの漬物樽。
大きさが判り易い様に並べてみました。

2009年9月13日

日曜日も樽太鼓(たるたいこ)

DSC04973.JPG

本来、酒樽屋は6月杉から9月のはじめまで、酒樽の受注が減るため仕事も少なくなります。
丁度、この時期は暑い上に力仕事の疲れが出て木桝ので休養を兼ねて のんびりと過ごし、忙しい冬場に備えるものでした。

繁忙期の年末用に酒樽を作って置けば良いと思われがちですけれど、湿気の多い梅雨の時期と真夏の猛暑を越した酒樽は年末には乾燥しきって使い物にならないのです。
その点、樽太鼓は乾燥しきった材料を硬杉る位の竹箍(たが)で締めるので多少のつくり置きが可能です。

昨年あたりから樽太鼓の御注文が切れ目なく続くので、休日返上で樽太鼓作りに明け暮れております。
昔の酒樽屋は、この時期、底と蓋(ふた)を作る位の仕事しかありませんでした。

ありがたいことに、樽太鼓は楽器として用途以外に店舗のディスプレイにもお使いいただきますので、受注が増えてまいりました。






2009年9月12日

毎日出荷される樽太鼓と、その保管

DSC00216.JPG

白露の侯、夏祭りで酷使された樽太鼓の修理やら、秋祭り、小学校では秋の音楽会に向けて、
あるいは、店舗設計の材料として全国各地に向け「樽太鼓」が発送されて行きます。
漬物樽や味噌樽は一丁か二丁の発送ですが、樽太鼓は何十個単位の依頼になる事が多いので、
梱包作業も片手間では出来ません。

樽太鼓は催しが終わると、長期保管しなければならないものなのですが、決してビニール袋には入れないで下さい。新聞紙で何重にも巻いて冷暗所に保存して下さい。
理想的な環境は「冷蔵庫の中」ですが、これは現実的ではありませんね。
樽太鼓は杉と竹という植物で出来た製品ですから、白菜やダイコンと同じような扱いをして頂きたいのです。
ビニール袋は便利ですし、乾燥も防ぐ事ができますが、頻繁に開け閉めして新鮮な空気を入れてやらないと、先ず竹の箍(タガ)が腐ります。その後、樽本体にも黴が発生します。

自然素材と石油製品は、やはり相性が悪いようです。






2009年9月11日

カナダへ渡る鏡開き用の酒樽

DSC00203.JPG

最近、海外で行われる結婚式に樽酒の鏡開きを取り入れることが小さなブームです。
「たるや竹十」では海外発送も承っております。
運賃が中の酒樽を上まらないように、もっぱら郵便局のEMSを利用しています。
郵便ですから当然、切手を張らないと行けない訳ですが、その額が日常使用している物から
余りに乖離しているので、いつも違和感を抱きます。
この日も北米行き3.5キロ未満で6、100円。
現行切手の最高額は1、000円なのですね。5,000円切手を下さいと言ったら、
そんなものはないのですと局の方が恐縮されておりました。

海外での鏡開き、樽酒がもっと普及すればいいのですが............
ちなみに、この酒樽は空っぽで、中に入れる清酒は現地で調達するそうです。
海外発送の場合は、このケースが殆どです。



樽太鼓に釘を打たないで下さい

DSC00104.JPG

樽太鼓の箍(たが)に釘を打ったり、木工用ボンドを使用したりしないで欲しいのです。
修理の作業が大変面倒になり、ひどい場合は修理が不可能になってしまいます。
樽太鼓は保管が悪いと乾燥して竹の箍(たが)がゆるみ、下に落ちて来ます。
仕方がないので、安易に釘を打ったり化学製品の接着剤を塗ったりする方がおられますが、
これによって樽太鼓の音が良くなる事は決してありません。

DSC00228.JPG

上は箍(たが)にボンドを塗り過ぎて、輪の取替えが出来なくなったもの、
下の右は大量の釘を打ち付け、更に蓋(ふた)をボンドで固定してしまったもの、
下左は樽の蓋(ふた)の替わりに丸く切ったベニヤ板をボンドで貼付け、更にビス止めしたもの。(このような加工を施しても無駄に手間がかかるだけで良い音が出ることはないのです)
どれも修理が困難です。どうしても修理をするとなれば新品を買うより高い費用を要します。




2009年9月10日

吉野杉を使った木樽の作り方 その7 輪締め

DSC00212.JPG

巻いた竹の箍(タガ)を締めることを「輪締め」と呼びます。
左手の締め木を右手に持つ大きな木槌で叩いて箍(タガ)を締めていきます。
何人もの酒樽職人が槌を振り続ける独特の大音響は冬の風物詩とも言えたのですが、
実際は近所の住民の方々にも迷惑をかけますし、
酒樽職人たちも40代,50代で耳が聴こえにくくなるのが通例です。

DSC00210.JPG

あらかじめ、手で締めた箍(タガ)をさらに強く締めるため、
今では、この工程のみ唯一機械を使用します。

酒樽屋の中でも樽屋竹十の職人たちは最後まで機械の導入を拒みました。
昭和40年代に小豆島の醤油樽屋から製樽機械一式を譲り受けた事があったのですが、
酒樽職人たちは、まるで汚い物を見るかのように扱い、機械は工房の片隅に長く放置されていました。
恐らく、この機械が導入されると自分たちの仕事が無くなると危惧していたのでしょう。
この製樽機械一式は後日、職人たちの冷たい眼に耐えられず別の製樽業者の工場へ譲られて行きました。

「竹十」では、ようやく昭和50年代に酒樽業界で一番最後に「樽輪締機」を新調、設置することになります。
千葉県野田市に「川鍋製作所」という日本で唯一の「樽輪締機」を作る工場がありました。
昔、野田には沢山の醤油樽屋があったからでしょう。全国の樽屋がここに発注、修理を依頼していました。「竹十」も長く、ここに世話になりました。
現在は、別の仕事をされているようです。

��7歳まで現役だった、樽屋竹十の一番職人(たくさんいる職人のリーダー格で技術も名人級です)は唯一の機械である「樽輪締機」も使いませんでした。
殆どの酒樽職人たちが喜んで「樽輪締機」を使うなか、彼は目の前に楽な機械があるにも関わらず、最後まで手締めの酒樽を作り続けました。
しかし、ある日に作った酒樽の出来具合に納得出来ず、自ら引退を宣言したその一週間後に亡くなりました。
彼の最後の酒樽は若い私の目では,どこも悪い所がないものでした。

尋常小学校に通いながら酒樽技術を習得し、90年間を樽一筋に生きた見事な人生です。
彼が伝え聞いた文政二年の創業当時の話等を殆ど耳が聴こえなかったにもかかわらず、私に話してくれたものです。


現在「竹十」が使っている写真の輪締機は近所の鉄工所と共同開発した改良型の二代目です。



2009年9月8日

江戸の世に遊ぶための小さな道具 煎茶器 

%E6%98%8E%E7%9F%B3.jpg

樽屋竹十が創業された文政二年とは柏木如亭が亡くなった年でもあり、
菊池三渓が生まれた年でもあります。
漢詩や煎茶が盛期をむかえていた時期です。
文人墨客へ対する、造り酒屋の旦那さん達の援助がなければ成り立たなかった世界でもありました。
酒樽屋の親方たちも当時は、その末席に位置していたようです。

旦那衆のなかでも代表的な人物が大阪の木村蒹葭堂
伊丹の岡田利兵衛です。両者共に造り酒屋を営んでおりました。
旦那衆はこのような席を文化的な社交の場とみなし、当時の文人達を自宅に逗留させたり、
書画を買い上げたりしつつ自宅を解放し知的サロンを開催して、
情報交換を兼ねながら自身の文化的レベルを高めていきました。
現在では残念ながら、そのような粋を極めようとする老舗の旦那衆が少なくなくなりました。
前述の木村家、岡田家ともに現在は酒造を営んでおりません。

明石市立文化博物館で「兵庫の陶磁 煎茶の器」という展覧会があります。
��月29日から9月27日まで
兵庫県の陶磁器、すなわち珉平や三田を中心に京焼も含めた展示。
チラシの紫泥大茶罐は黄檗山萬福寺所蔵の宣興窯。高さが12センチ以上あります。まさに「ヤカン」ですね。



2009年9月7日

樽屋へ見学者が続く

DSC00061.JPG

なぜか、夏が終わりに近づくと酒樽屋には来訪者が続くのです。
酒樽屋の向かいが観光バスのルートに含まれているからだけではないようで、
今となっては珍しくなった酒樽屋の仕事の現場を見ておこうという方々が多いようです。

DSC09906.JPG

そして、HPをご覧になった方が、未だ店が完成していないのに漬物樽、味噌樽、樽太鼓あるいは酒樽を現物を見て比較された上で直接購入されるケースも多々あります。
早く「店」を完成させなければ!!!






2009年9月5日

木樽製造における困難

DSC00039_2.jpg

木樽の側がタガの圧力に負け、バランスを崩して割れてしまった訳です。
このようになった状態と、そのような樽を「どさ」と呼びます。

『どさ』とは佐渡(さど)の倒置語で、江戸時代、賭博で捕まると佐渡へ島流しになったことから、賭場に役人が踏み込むことを『どさ』と呼びました。
一旦島流しになるとなかなか戻ることは出来なかったといいます。

また、復元不能という意味から『土左衛門』の略という説もあります。
実際には底等を替えれば復元は可能ですけれど、「修理」という作業は
何に於いて同じですが、新品を作る作業の倍以上の時間と労力を要します。

樽を作っている者から言わせると、本当に「どさっ」という感覚で壊れるので、
この方が現実的です。

2009年9月4日

酒樽屋のお八つ  その弐拾陸 ラスク

DSC00141.JPG

折角買って来たバゲットが残ってしまったので、知らない間に樽屋の女房がシナモンラスクを作ってくれていました。
ORANGINAのグラスに入っているのは、お中元の定番「カルピス

ラスクはバゲットを薄く切って、150度位のオーブンで10分ほど焼いた後、表面に溶かしバターを塗り、シナモンとブラウンシュガーをたっぷりのせて、
再度オーブンで10分くらい焼きます。
なかなかの美味です。
材料のパンは舊藤井パン製

DSC03073.JPG

MOISANのフリュートが心斎橋そごうの閉店に伴って関西では買う事が出来なくなって、まことに残念です。
毎朝パリまで出かける訳にもいきませんし。

市販のラスク

2009年9月3日

李白と酒樽

800px-Libai_shangyangtai.jpg北京 故宮博物院(旧紫禁城)蔵

前有一樽酒行二首其二 李白

李白の雑言古詩に詠ふ。

 「前に一樽の酒有るの行(うた)」

  琴奏龍門之綠桐  琴は奏す 龍門の綠桐
  玉壺美酒清若空  玉壺の美酒 清きこと空の若し
  催弦拂柱與君飲  弦を催し柱を拂って君と飲む
  看朱成碧顏始紅  朱を看て碧と成し顏始めて紅なり
  胡姫貌如花     胡姫は貌(かんばせ)花の如く
  當壚笑春風     壚に當たりて春風に笑ふ
  笑春風 舞羅衣   春風に笑ひ 羅衣を舞はしむ
  君今不醉欲安歸  君今醉はずして安(いづく)にか歸らんと欲する
 
李白は杜甫に「李白一斗詩百篇」と「飲中八仙」の中で詠はれる程の酒好きで有名ですが、
当時の一斗は現在の約18,039.......リットルより遥かに少なかったそうで、
一斗樽詩百篇ではなかった訳です。
李白に限らず、漢詩に度々出て来る「樽」は酒を象徴した謂いで、
よく「金樽」とか「一樽」とか詠まれていますが、「一壷」と同じ意味でしょう。
同じく、杜甫が李白を詠んだ詩。ここにも「一樽」が出て来ます。

 
 春日憶李白 
   白也詩無敵         白や詩敵無し
   飄然思不群         飄然として思ひ群せず
   清新愈開府         清新なるは愈開府
   俊逸鮑参軍         俊逸なるは鮑参軍
   渭北春天樹         渭北 春天の樹
   江東日暮雲         江東日暮の雲
   何時一樽酒         何れの時か一樽の酒
   重與細論文         重ねて与に細かに文を論ぜん

ところで、「李白」という銘柄の清酒がありますが、島根県松江市の蔵元が醸造しているものです。