2015年3月6日

酒樽(さかだる)の底とフタを竹釘で継ぐ

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啓蟄であります。春であります。柳も新芽を吹き、花々が咲き始めました。

樽(たる)にとっては虫が出て来てもらっては困るのです。
樽(たる)の蓋(ふた)の白い部分(白太)や、タガの竹を虫が食べ始めるので。

ところで、昨日の底蓋の規廻し(ブンマワシ)の前に「モリツケ」という作業があります。
��〜6枚の板を竹釘で継いでいく訳です。決して木工用ボンドは使いません。
木工用ボンドに毒性は無いと言われているものの、アレルギー体質の方もおられますし、
水や酒に触れると白濁する点が審美的ではないと思うのです。





2015年3月5日

樽太鼓の規廻し(ぶんまわし)

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規廻し(ぶんまわし)です。規とは要するにコンパスです。
製図などに使用する物の大型版です。
樽太鼓(たるたいこ)、漬物樽、味噌樽は勿論、酒樽などに塡める
ソコとフタを丸く加工する際に見当を付けておく簡単な道具です。
昔のまま、木製の規廻しを使うと微妙な誤差が出ますので、
今では主に写真の上に乗っている金属製の物も使います。

誤差が出ますと銑(せん)という刃物を使い修正すると同時に
断面を滑らかに仕上げます。銑廻しと言います。

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こちらは「引き回し」の作業です。大きな帯鋸(のこ)で印を付けた通りに丸くして行きます。
印の線の中心を切るか,外側を切るか、内側を切るかで直径は当然変ってしまいます。
そして、大切な点は真円ではなく、ほんの少し楕円に廻し切る事です。
写真で見ると右端と左上の部分を木頭(きがしら)と言うのですが、
この部分を他より少し大きく取って楕円にします。
タガを締める事により木目が縮まり、酒樽(たる)になった時に真円になる訳です。
逆に真円のソコやフタで樽(たる)を作ると逆の楕円型に仕上がってしまいます。
良い樽(たる)とは言えません。



2015年3月4日

京都店 三月の開催日

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��月は6日(金曜日)と7日(土曜日)に京都店を開きます。
午後1時から夕方6時まで。
時節柄、味噌樽を中心に販売する予定です。

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京都市左京区田中里の前町49の2
洋菓子店 リモールの隣です。

連絡は090−5012−3755まで


2015年3月3日

酒樽屋の雛祭り

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今年は三月になっても酒樽が忙しく、たるや竹十の雛人形を飾る事が出来なかったので、
市内某所の蔵元に展示されている雛人形の写真を拝借しました。
雛祭りと樽太鼓や漬物樽、味噌樽とは余り関係がありません。
酒粕から作る事が多い甘酒と少し関係がある程度です。


2015年3月2日

五十年後のホワイトハウス或いはカザルスの息づかい

��961年11月、当時のアメリカ大統領J.F.ケネディ夫妻はホワイトハウスに
��5歳のパブロ・カザルスを招きました。
ピアノはミエチスラフ・ホルショフスキー、ヴァイオリンはアレクサンダー・シュナイダーという大御所揃い。
数曲の演奏のあと最後にカザルスは故郷カタルーニャの平和を願って古民謡「鳥の歌」を演奏し喝采を浴びました。
カタルーニャの鳥はPEACE、PEACE、PEACEと啼くと言われています。
永らく入手困難だった、この名盤CDも今は容易に購入可能です。

この演奏会の2年後、1963年にケネディは暗殺されました。



約50年後の2012年2月、アメリカ国旗を象徴した「RED WHITE &BLUES」なるコンサートを現大統領バラク オバマが、同じホワイトハウスで催しています。
ミックジャガー、ジェフベック、バディガイ、BBキングらを招き、
コンサートの最後に「Sweet Home Chicago」を演奏、
バディガイの誘いにミックからマイクを受取り自身も歌を披露。

隔世の感があります。同じEAST ROOMという部屋とは思えません。



2015年3月1日

酒樽作り 解説再録 其の弐

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写真は菊正宗酒造、嘉宝蔵の会場にて

��側拵え
こうして出来上がった杉材は竹のタガの中に丸く梱包していたので「樽丸」と呼びます。一丸で33尺、並べると約10mで、一丸で5^6個の樽が出来ます。
先ず、銑と言う刃物を使って、木の厚みを外側と内側から揃えます。
その後、この正直台という銑をはめ込んだ危険な台感で側面を削ります。「正直押し」といいます。判りにくいのですが,真ん中を僅かに膨らませます。
正直に押さないと洩れるので、「正直」と言います。
これは洋樽をバラした物ですが、こんな風になっています。
こうすることによって、洩れが出にくい上に少ない材料で樽を作る事が出来る訳です。この下準備が非常に大事なのです。
今日,こうして菊正宗の前掛けをしていますが、これは宣伝をしている訳ではなく、削る時に使う「腹当て」と言う道具を挟むための必需品なのです。

��樽を立てる
底用と蓋用のふたつの仮輪をしっかり持って、拵えた「榑(くれ)」を15〜16枚並べます。途中5〜6枚の『輻(や)』を均一にいれます。
左手でしっかり仮輪を持って前に倒しながら,組むので作業台(見世板と言う)は少し前に傾いています。榑の内径と底や蓋の外形が一致するように組み合わせます。パズルが終わったら逆さまに向けます。
底に鉄仮輪をいれて固定します。全体を上下して歪みをなくします.小槌で榑の段差を揃えます。
口輪と言う蓋を支えるタガを入れます。大槌と締め木でタガを下まで叩きます。
「真ちゅう」と言う底のゲージを填めて、替わりに鉄仮輪を抜きます。
これで樽の形が整いました。少し真ん中が膨らんでいるのがわかるでしょうか。

 5内外を削る
底が入る部分を「つっこぼり」という丸鉋を使い段差をなくします。
底を込めます。バットの様な叩き棒で押し込み、立て棒と言うゲージで深さを測ると同時に底を水平に整えます。ここで容量が決まります。
銑を裏返して、蓋が入る部分の小口を揃えるために切って行きます。
「アリ切り」と言う道具で蓋が入る部分に溝を作ります。
溝に沿うように蓋を込めます。込め易いように蓋は竹釘で継いであります。
底も同じです。
日本に今,樽屋は10軒ほどしかないんですが木工用ボンドを使わないのは菊正宗とあと2軒だけです。
この間、小西六というボンド会社の社長に会う機会があったんですが、そこの社長から樽にはボンドを使わないでくれと逆にたのまれました。別に毒性もなにもないんですけど。
「目違いかき」又は「はらむき」と言う細い銑で外側の段差を取り、綺麗にします。次に入れて行くタガの力が均一にかかるようにする意味もあります。
残りのタガを入れて行きます。




  6タガと仕上げ
有馬から山陰にかけての真竹を割って、角を削ったものを巻いた物を樽に入れて行きます。
口輪の補助をする「重ね」または「かしら」と言うタガ。
一番太い「胴輪」又の名を「大中」、そして「小中」次いで「三番」という底を支える重要なタガを入れます。少し堅く締めます。三番が切れたりした時に酒が洩れない役目をしている「二番」をいれます。
底の段差を銑で削り取り化粧します。中側も内銑で整えます。
尻輪,止め輪,又は泣き輪と言う最後のタガを作ります。
四回巻きます。本当は全部のタガを巻きたかったのですが長くて危険なので、一番短い泣き輪だけを実際に巻きます。
泣き輪だけは力任せに叩けず,削るのも難しく、職人泣かせなので「泣き輪」と言うそうです。
全部で7本のタガが入りました。中国では「七」が一番縁起が良い数字だそうで、13世紀、宋の時代に樽の技術が到来した時から7本だったと言います。
ひっくり返し。酒の注ぎ口に「天星」を入れると仕上がりです。
あとは無駄なタガの先を切り、少し水を容れたところへ空気を送り洩れの検査をします。
蓋が丸くて昔の手鏡の様なので蓋の事を「カガミ」とも呼びます。
これを開くので鏡開きと言う訳です。

昔はこの四斗樽を一日に20個つくる事が出来なけれれば樽職人とは呼べませんでしたし、
そういう職人を四人以上かかえていて、注文があれば一日に四斗樽80〜100丁を蔵元に納めなる能力がなければ樽屋とは言えませんでした。
��3石(約6000リットル)の大桶で出来上がった酒を一気に樽に詰め替える必要があった訳です。







 







酒樽作り 解説再録 其の壱

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「菊正宗での酒樽作り」担当した解説を再録

   1、杉について
 
四斗と言うのは約72リットル、この中に一升瓶で40本分入ります。
昔は酒樽と言いますと、この四斗樽だけでした。
木は殆ど奈良県吉野郡の川上村の物を使います。
ここに持って来た物が吉野杉の100年ものです。細く見えますが年輪はしっかり100本以上あります。
吉野の杉は苗を1メートル四方に一本、他の地方では3メートル四方に一本植えますから百年後にはこの三倍くらいの太さに育ちます。
吉野杉だけは「いじめ」が許されていまして、吉野では密に植えて根元に陽が当たらないようにします。
そうすると生えて来た枝は自然に枯れて下に落ちていきます。若い間は枝打ちしなくていいんですね。
いじめていじめて育てますから、木目が細かくなり、1センチに8本。
陽を求めて天へ天へと伸びて行きますから根元と木の先の直径が殆ど変わらない様なまっすぐな木が出来る訳です。
��mの原木で元と末に3センチの誤差しか出ない程です。
��0年程経ちますと間伐もはじめますから1ヘクタールに1万本植えた杉のうち樽に使える木はその4分の1程の2000〜2500本です。
��東京ドームに4万5千本植えて、そのうちの一万本が樽になる計算)

おまけに川上村と言うところは日本でも有数の雨の多い地域で、山奥ですから適度に気温も低くて、年中「もや」がかかっている特殊な地域で杉の色が綺麗で、
酒との相性が良くて、液体を漏らさない特性があり、節がありません。節があると、そこから酒が洩れます。
何より香りが良いので酒を容れると味が最高です。

秋田杉は寒い地域ですし木目も密ですが、色が悪くてアクが強く酒がまずくなり、樽材として致命的なのは、滲み易い点です。
九州の杉は暖かいので木目は荒いのですが色はピンク色をしていて、綺麗で滲まないし値段は安いと良い事ずくめなんですが,
残念ながら香りが全くないノで樽酒には不向きです。木曽や北山杉は香りが酒には向いていなくて樽酒にすると呑めた物じゃありません。
四斗樽を作るには杉の丸太を一尺八寸に切ります。楽器の尺八と同じ長さですね.約54センチ強です。
これを丸みの付いた斧の様な物で,木目にそって割る訳です。決して鋸は使いません。木目が切れるからです.木目が切れるとそこから酒が漏れるのです。
この外側が白くて内側が赤い部分を甲付(こうつき)と呼び、一本の木から一カ所しか取れないマグロの「大トロ」のような部位です。江戸時代は酒樽と言えば甲付樽だけでした。
赤味は醤油や油,酢などを運ぶのに使われました。


 2、樽廻船
桶と違って樽と言う物は完全に輸送容器なんです。
明治の中頃に一升瓶が登場するまで全ての酒は杉の樽に詰められて、ここ魚崎の浜や御影の浜から樽廻船に積まれて江戸へ下って行きました。
その間、約一週間 丁度いい具合に木の香りが付いて江戸では「下り酒」と呼ばれて珍重されました。
左手に富士山を眺めながら下るので「富士見酒」とも言いました。
江戸近郊の酒は下って来ないので「下らない」と二級品扱いです。
上方のお金持ちは、この「下り酒」をもう一度船に積ませて二度富士山を見た酒を飲んで粋がっておりました。
見学された方もおられるでしょうが、こちらで樽が沢山並んでいる樽酒貯蔵場は「貳度富士酒」という高級酒を作っている場所と言える訳で、動かない樽廻船であります。
このあとで実演があります「菰まき」の菰と言う物は、この樽廻船で運ぶ際に船が揺れますから樽と樽がぶつかって傷つかないようにしたプロテクターだったのです。
各蔵元がよその酒樽と区別し易いように年々競って派手になって来たようですけれど、
菰屋さんには悪いんですが樽屋としましては、折角丁寧に作った樽をコモで隠してしまう事は残念に思います。
出来るだけコモを巻かず裸のままの樽(たる)で酒を呑んで欲しいものです。