2009年12月29日

酒樽屋のお八つ  その弐拾捌 瓦煎餅

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神戸の名勝「湊川神社」の筋向かいにある有名な「菊水總本店」の瓦煎餅です。
創業は明治元年といいますから、140年の老舗、湊川神社に参る人々のお土産の定番でした。
本店は震災前までは確か木造三階建ての立派な店舗だった記憶があります。

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「名所独案内」等にも、そんな光景が見えます。


誠に残念ながら、来年の一月末で全店閉店解散だそうです。
軽い食事も出来て、菊水茶も美味しい神戸を代表する名店の一つです。
UCC傘下になってからか、良い珈琲も飲めるようになっていて便利でした。

神戸らしい店が次々なくなっていって、寂しくなります。
来月中に、もう一度行ってみよう。

湊川神社は神戸では「楠公さん」と親しまれ、また多くの漢詩人にも詠まれました。

宿生田                 

千歳恩讐兩不存,
風雲長爲弔忠魂。
客窗一夜聽松籟,
月暗楠公墓畔村 菅茶山


酒樽屋の失敗

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酒樽(さかだる)にせよ、漬物樽(たる)、味噌樽(たる)など、どんな樽(たる)でも、
短冊形の吉野杉を丸く組み立て、底と蓋(ふた)を込め、最後に竹の箍(たが)で締める訳ですが、
写真の部分が切れてしまうと箍(たが)本来の強度を失ってしまいます。
酒樽、漬物樽、味噌樽など、洩れないように作らねばならない樽は勿論のこと
樽太鼓なども使用中に竹がはじけてしまう可能性があるので、箍(たが)を巻き直さねばなりません。
長い竹の太い部分を「元」(もと)、先端付近の細い部分を「末」(すえ)と呼ぶのですが、
箍(たが)を巻いた(結ったとも謂う)時に「元」の下が切れた箍(たが)は、
切れ易いので不良品として廃棄します。

写真の内、下の箍(たが)は正常な状態、上の箍(たが)が「元下(もとした)」の切れたものです。
樽(たる)に巻いて(結って)力がかかり、切れる場合や、最後の仕上げの際に誤って切ってしまう時、
あるいは初めから竹自体の細胞が切れ易い場合など様々です。

とにかく「元下(もとした)」の切れた樽(たる)は長持ちしません。

この部分を「元下(もとした)」と呼びます。
箍(たが)の中で一番大事な部分です。

2009年12月27日

酒樽(さかだる)の荷造り



酒樽が出来上がっても、遠い地域に発送するためには梱包が必要です。
この酒樽は最初から樽本体から蓋(ふた)を外しています。
「鏡開き」は難しいものではないのですが、初めての方も多いので
蓋(ふた)を樽(たる)から抜いてしまった空樽の依頼が最近は増えました。
別途に一升瓶入の清酒を10本発送して、新年会などの現場で木樽に酒を入れる訳です。
この方法は吉野杉の香りが清酒に付くための時間が短く、
杉の木香が弱いので本来の樽酒を楽しむことが出来ない点が短所なのですが、
何日か前から空樽へ清酒を入れておき、木香が付いた頃を見計らって、
一旦別の容器に移して当日、その酒を樽に戻すと樽酒が楽しめます。
ちょっと面倒ですね。
蓋(ふた)を外した樽(たる)に清酒を入れて移動すると、こぼれますから仕方がありません。

この紐の掛け方は「三ツ輪掛け」といって菰(こも)を巻かない裸の酒樽の輸送に使う方法です。本来は荒縄を使います。
今は「仮巻」とも呼びますけれど、本当の仮巻とは酒樽に無地の菰を巻く事なのです。

この巻き方は簡単そうに見えますが丸いものを綺麗に梱包することは意外に難しいものです。
それに、たくさん巻かねばならないので、スピードが早くないと仕事になりません。

雑誌に親方が !?

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酒樽(さかだる)とまったく関係ないのですけれど、「SUMAI no SEKKEI」(住まいの設計)という住宅雑誌の2月号に親方の書庫が掲載されました。書庫には樽は勿論のこと、吉野杉や酒、醗酵食品、灘五郷や全国各地の酒どころ等々の資料があります。今回はそれを離れての紹介なのですが…
個人的には私の前のページ(100頁)に掲載されている大和田茂さんの自転車工房に興味を抱きました。彼も「さかしま」を読んだことがあるそうで、ちょっと驚きました。
樽屋の親方は書物も好きですが、ロードレーサーにも子供の頃から惹かれて続けております。

今、書店に並んでいるでしょうから、機会がありましたら立ち読みして笑ってやって下さい。



2009年12月25日

酒樽屋のクリスマス

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酒樽屋にとって,クリスマスの前後は一年で最も忙しい時期です。
街の賑わいとは縁遠く、毎晩遅くまで樽を作っております。
もちろん周辺の蔵元も同様です。
近所の教会の前を通り、光る樅の木が目に入る時だけ聖夜なんだなと思い出します。

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夕暮は、こんな感じの「六甲カトリック教会
入り口付近に「聖母子像」のレプリカがあり、プレートに下のように書かれております。

From the citizens of Antwerp
in memory of the victims of the Kobe earthquake
January 17,1995

2009年12月18日

年末や正月に木製樽を使って本物の樽酒を。

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ここ数日、関西も突然寒くなってまいりました。
寒い時にはビールではなく、やはり清酒(日本酒ともいうらしい)です。

いよいよ新年が近づいてまいりました。
年末のカウントダウンに樽酒で鏡開きをされる方や、正月に御家庭で樽酒、
あるいは忘年会や新年会に木製樽詰の本物の樽酒の予約が殺到しております。

正月に呑むためには5日から7日前に酒樽に清酒を詰めておかねば樽酒にはなりません。
そうすることによって、吉野杉の香りが丁度良い程度に酒についてくるというわけです。
これ以上の期間、酒樽に清酒を詰めたままにして置くと逆に味が落ちて参ります。
丁度、気温が低い時期ですから2週間位は大丈夫ですが、暖房の効いた屋内においた場合は
この限りではありません。

樽酒の鏡開きが不安だという方には、写真のように最初から蓋(ふた)を外したタイプもご用意出来ます。


ガラスの味がする一升瓶や、ましては紙の味たっぷりの紙パックの酒は廉価で、便利ですが、新年位は日本文化の象徴でもある酒樽詰めの樽酒で正月を祝うのもいいものです。

2009年12月17日

酒樽における封印された星☆

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酒樽に酒を詰め終わると「天星」と呼ぶ木栓を蓋(ふた)と同じ高さまで叩き込み、
封紙を張り、蔵元の印を押して天星の封印が完了です。
樽を床に水平に置いて木栓を叩いてもなかなか上手く入りません。
酒樽を少し斜めに起こした位置で木槌で「天星」を叩けば、気持ちよく蓋の中に入って行きます。
「天星」は高野槙という柔らかい材料で出来ていて、酒の滲み等がありません。
木製の風呂桶に使う材料だからです。
今では高野山から来たものより木曽産の方が普及しています。

星の封印は簡単な作業なのですが、当然ながら酒税法のもと外部の人間が手を下してはいけないのです。
これは酒樽屋の仕事の範疇ではなく、造り酒屋の仕事です。
小売りの酒販店や居酒屋の人々が酒樽に酒を詰める行為も禁じられています。★

2009年12月15日

木製芯樽の復活を望む

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よく神社等に奉納されている菰巻き樽(たる)の中身は実は酒樽ではないのです。
菰を解くと木製の酒樽が出て来ると思いきや、実は発泡スチロールでした。
このような樽を飾り樽と呼びます。略して「かざり」とも言います。
昔は良質ではない材料を使って酒樽屋が木製樽をつくっていました。
当時は樽屋では、その木製樽を芯樽と呼んでいました。

一般に販売されているものでもなく、また入手することも困難な商品です。
��買う人も余りいないでしょう)
中が見えないとはいうものの、やはり飾り樽の中も木製に戻したいものです。


2009年12月14日

樽作りに疲れた時にはラヂオ體操を




樽づくりに限った事ではなく、何事も物つくりの際には背中をまるめ、根をつめて作業を進めるものですから必ず肩が凝りますし、姿勢も悪くなってしまいます。
たった今、パソコンに向っているこの時にも、随分眼が疲れますし肩も凝ります。
間をおいて、適度の休憩をとった方が、かえって効率が良くなるものです。

子どもの頃に一番苦手だった「ラヂオ體操」が最近は妙に人気です。
今ではテレビでも放映するから「テレビ體操」と言い換えられておりますが、
やはり「ラヂオ體操」と呼ぶ方が、断然、親しみが持てます。
訊けば80年以上前にアメリカで考案されたものだそうです。
第一、第二のほかに幻の第三もある事までは知りませんでした。

時間が許せば、樽づくりの合間に、みんなで「ラヂオ體操」をするようにしたいものです。
近所の会社でも始業前に朝礼の後、社員全員がラヂオ體操をしている光景をよく目にします。
   





「........僕は柔い掌をひるがえし
深呼吸する
このとき
僕の形へ挿される一輪の薔薇」

     村野四郎第二詩集 北園克衛装釘「體操詩集」昭和14年刊より
 
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2009年12月12日

酒樽屋がつくる一番ちいさい漬物樽

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小さい漬物樽の御注文が多く、作り置きが売り切れてしまったので、
��2月の半ば、酒樽製造に忙しい時期なのですが本来の仕事が終わった後に時間を作ってまとめて作ることにしました。
画像は五升(9リットル)樽(タル)。高さが九寸(約27センチ)なので、27型と呼んでいます。

実は、この寸法が酒樽屋がつくることの出来る最小の寸法なのです。
稀に樽屋が三升や一升の樽(タル)をつくることもありますが、樽屋にとっては難しいものです。
これらは桶屋(おけや)、その中でも「こんこん屋」という主に小さな道具をつくる桶師の仕事なのです。



酒樽屋 古い感じを出した店舗展示用の樽(タル)を作る

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樽屋の倉庫の奥から古い樽(タル)をいくつか探し出して来て、更にその樽(タル)に古い竹箍(タガ)を組上げて、店舗用の展示樽をいくつか作りました。
左側は参考までに普通の木製樽、右側が古色を出した木製樽。
お客様の依頼だったのですけれど、面白い雰囲気の樽(タル)が出来上がりました。
着色などの細工は一切しておりません。
何十年も前に作った樽(タル)の様ですが、
この樽(タル)は単なる「古樽」ではない水の洩れない新品なのです。
酒樽屋は注文さえあれば、こんな不思議な木製樽を作る事も出来るわけです。

2009年12月5日

酒樽屋のお八つ  その弐拾漆 ゆべし

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平安の武将、坂上田村麻呂が二羽の丹頂鶴に育てられたという伝説に因んだ形をした、
「ゆべし」です。
という訳で福島県郡山市独特の三角型をしていて、柚の代わりに芥子の実がまぶしてあります。

かんの屋 本店文助
〒963-0911 福島県郡山市西田町大田字宮木田39
TEL:0247-62-2016
営業時間 AM 8:30~PM 7:00 (年中無休)

2009年12月4日

酒樽屋 平山郁夫美術館へ足湯桶を送る

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作日、お亡くなりになった平山郁夫氏の生地である生口島に建つ同氏の美術館からの依頼で、「足湯桶」を10個作りました。
一昨日UPした「ハンダルセット」を改造して「桶もどき」を作りました。
何回ものメールや電話のやりとりの後、足場桶を納品し、係の方々にたいへん気に入って頂いた直後に急逝されました。
平山氏は療養中だったとのことで、御元気になって鎌倉から生口島(いくちじま)へ帰られた折には、この「足油桶」を使って頂こうと話していた矢先でしたので酒樽屋もたいへん驚きました。

生口島は尾道から今治へ和樽長い橋の途中にあり、そのしまなみ海道を自転車で和樽のが恒例になっています。その途中で生口島で皆さんに休息してもらおうという訳です。




2009年12月1日

酒樽屋から酒樽が発送される

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新酒が出る時期になりますと、酒樽の注文も多くなります。
写真の酒樽は「ハンダルセット」と呼ばれる、上部半分だけの特殊な樽(タル)です。
四斗樽は72リットル入りですから、一升瓶に換算すると40本分。
なかなか全部を呑みきれるものではありません。
どうしても酒樽の半分位の清酒が残ってしまいます。
そこで、酒樽の真ん中にもう一枚底を入れた二重底の樽の需要が増える訳ですが、
下半分が無駄だという理由から、写真の酒樽のように上部だけを吉野杉で作り、
下には発泡スチロールの台を入れて菰で巻くという変則樽です。
��0年程前に某大手酒造メーカーと樽屋竹十が共同開発し、同業者に散々バカにされた商品ですが、その後全国の樽屋が竹十に製造工程の見学に来て、今では各地で定番になりましたが、そろそろ役目を果たしつつある感がないとは言えません。





酒樽屋が作る木製樽(タル)

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明日から師走です。

��1月は本業の酒樽(タル)に加えて、宮樽太鼓や漬物樽、味噌樽の御注文が重なり、
ずいぶん長く「酒樽屋日誌」をUPで来ませんでした。

毎年、気温が下がる頃に樽屋は忙しくなるのです。
丁度この頃に新酒が出ますし、晩秋の宮樽太鼓の催しが盛んになります。
各地の学校では音楽会に樽太鼓を使って下さるし、
結婚式では酒樽による鏡開きも復活して来ました。
漬物作りや味噌作りに木製樽(タル)が最適だと言う事にようやく皆さんが気付きはじめて下さったようです。
更に接着剤を一切使わない「樽屋竹十」の木製樽(タル)を評価して下さるようになり、
御陰様で大忙しでした。

夜遅くまで響く樽作りの音に我慢して下さった近所の皆さん、申し訳ありませんでした。


2009年10月23日

ルドルフ二世の酒樽

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アルチンボルドが2点(1点は工房作)来ています。(上の酒樽の絵は不出展)
だまし絵」11月3日まで

兵庫県立美術館

〒651-0073
神戸市中央区脇浜海岸通1丁目1番1号[HAT神戸内]
TEL:078(262)0901

秋祭りと酒樽

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全国各地で秋祭りや運動会があります。
その度に、かつて忘れられていた酒樽や樽太鼓が使われる風習が復活してきて、
酒樽屋は大忙しです。
年々、活発になっているようです。

樽屋の隣町でも「だんじり」が出ました。



2009年10月22日

カナダの鏡開き

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先日、カナダへ送った弊店の酒樽が無事届いたようです。

今年の四月からメールのやりとりが始まって、約半年の打ち合わせの末、T氏御夫妻のカナダでの披露宴に樽屋竹十の酒樽をお使いいただきました。
結婚披露のパーティーは、カナダと日本、両国の文化を取り入れた工夫が現地の皆さんに評判だったそうで、樽屋にとってもこの上なくうれしいことでした。


おめでとうございます。
末永くお幸せに。





2009年10月21日

酒樽屋のお八つ  その弐拾陸 シュウクリーム

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近所の洋菓子屋がつくる、シュウクリームです。
「創作」と称す奇を衒った「いまどき洋菓子」と違って、
「普通」なところが好みです。

アンファン・シャントゥール(Enfants Chanteurs)
神戸市灘区篠原本町2−4−19
078-881-3344


2009年10月20日

酒樽(さかだる)における呑み口(のみくち)の立て方

これが出来ないと、いくら酒樽(さかだる)が目の前にあっても、
美味しい樽酒(たるざけ)を呑む事が出来ません。
「鏡開き」をするなら、このままでも樽酒(たるざけ)を呑む事は出来ます。
「鏡開き」の段取りに関しては、また別の機会に詳細を記述します。

��最初に用意する道具 
木槌(直径3センチから4センチ位)
清潔な布
小型のプライヤー
*よく切れるカッターナイフ(菰巻きに立てる場合のみ)


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上の写真が「呑み口」セットです。
①先ず、「呑み口」セットを写真のように二つにはずします。

正確には上の尖った物を「呑み」と呼び、ヒノキで出来ており、
下の赤い丸印の付いた円筒形の穴が貫通した物を「呑み口」と謂います。
これは桐の木で出来ていて、太さ(直径)から「八分」と「六分」の二種があります。



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②酒樽を寝かせます。
その時、写真のように木栓「ダボ」を上にしておきます。
酒樽をブロックなどでしっかり安定させます。
ブロックや木片などで酒樽の底部、または両側に置いて樽が転ばないようにします。
さらに寝かした樽の、床に接している部分に木槌を挟み込んで、樽の上部を水平にします。
このように丸い酒樽を動かないようにし、また水平にすることで作業がやり易くなり、きれいに仕上がります。

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③木製栓「ダボ」をプライヤーで挟みます。
プライヤーを注意深く動かしながら緩めて行き、最後に完全に抜きます。
ダボ穴周辺は酒で濡れ易いので、その際に溢れた酒を清潔な布で拭き取ります。
この工程を怠ると黴の発生原因となります。

本来の抜き方は、小槌の柄の先を利用して左右に少しずつ叩き、緩んだ頃合いを見て、手で掴み抜くのですが、プライヤーで挟む方が簡単です。


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抜いた「ダボ」は後で酒樽を漬物樽や樽太鼓等に再利用する際には必要になりますので、失わないないようにします。
因みに「ダボ」も昔は杉の芯材で作りましたが、滲みにくいという利点から、今は高野槙が主流です。地方によっては「腹星(はらぼし)」とも呼びます。



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④先に準備していた呑み口の赤い印の入った方を、開いた穴に木槌で軽く垂直に叩き込みます。
余り強く叩くと酒樽の穴が割れて洩れの原因になりますので、ゆる過ぎるかなと思われる位が程よい強さです。
緩ければ更に叩けば良いのですが、強過ぎると割れてしまった酒樽の穴は元には戻りません。
この力加減が「呑み口立て」の中で最も重要なポイントです。


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❸菰(こも)が巻かれている場合は縄に結んでいる赤い紙を目印にして、その下部にある「ダボ」を探り、木槌の柄などを使って菰を左右に押し開き空間を作ります。

「ダボ」が酒樽の正面に来ている場合は、「ダボ」のある部分をカッターナイフで四角い小窓のように菰を小さく切り取って、その部分から裸樽の場合と同じように「ダボ」を抜きます。



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❹裸樽の場合のように、呑み口を軽く叩き込みます。この時も細心の注意が必要です。
歪まないよう垂直に数回に分けて叩きます。

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⑤「呑み口」セットの残った方の先が尖った「呑み」をそっと「呑み口」に差し込みます。
この時は道具を使いません。少し緩めに差し込むだけで、木と木が密着するため手の力で充分なのです。
決して、木槌を使わないで下さい。湿気を含むと後で抜けなくなりますから。


これで「呑み口」を立てる事が出来ました。


後は酒樽を元のように縦に起こし、適度な高さの台に乗せ、必ず「片口」のような大きめの容器に一旦、酒を酌んでから盃やぐい呑み、桝など好みの器に移します。
台に乗せるかわりに、机のような所に酒樽を置き「片口」を机の下に持ち、流れ出る酒を受け取るという方法もあります。
「片口」が見近にない場合は、趣は無くなるものの中位のボゥルで代用することも可能です。



なお、一度立てた「呑み口」は決して抜かないで下さい。
水道の蛇口等と違い、酒樽の「呑み口」は少しずつ緩めて、加減を見つつ隙間から酒を出す道具です。
抜いてしまうと、酒樽から勢いよく酒が吹き出してしまいます。
何らかの不具合から酒が出にくい時は酒樽の蓋に錐(キリ)で小さな空気穴を開ける場合もあります。



トクットクッと「呑み口」から注がれる樽酒。
一段と清酒の美味しい季節になってまいりました。

2009年10月16日

収穫の秋、漬物樽、味噌樽

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長らく入院していたパソコンがOSを新たにして、帰って来ました。
季節はすっかり秋です。
十月も半ば、杉枡や漬物樽、味噌樽の注文が増えて来ました。
特に野菜の収穫期には漬物樽の依頼が毎日のようにあります。

味噌樽作りは漬物樽を作るより難しく、漬物樽作りも酒樽より技術を要します。
一見、酒樽が一番難しそうですが、そうではないのです。
どこが違うのか説明すると長くなるので、またの機会に譲りますけれど、
とにかく漬物樽と味噌樽は長期保存に耐えなければなりませんが、
酒樽は一回切りという大きな違いがあります。
漬物樽や味噌樽を作っていて一番嬉しいのは、御礼のメールやFAXを頂いた時です。
最近、感動的なメールを頂いたので、ご本人の了解を得て転載致します。


秋に漬け物樽を注文した者です。
京都の実家の木樽が壊れ、母がプラスチックで新調しようとしていたのですが、
どうしても呼吸をする木の魅力を残したくて私(北海道在住の娘です)が
こちらで探して注文させて戴いた次第でした。

最初はどれだけ違うのか分からずに今年も大根を
漬けてみたのですが、今年の出来は格別でした!
年末年始にみんなで集まったのですが、
幼稚園の孫は漬け物とご飯ばかりおかわりするほど
美味しかった様子でした。
手間のかかっている物をみんなで囲んで食べるのは
何ともみんな幸せな感じがしました。ありがとうございました。


話はこちら北海道に変わりますが、ここでも樽を作っている方がいます。
以前富良野に住んでおり、麓郷という所の職人さんから購入した事があります。
ドラマ「北の国から」の土地ですが、本当に小さな町です。
��0歳代であろうご主人がそこのオンコ(イチイ)の木を使って
一つずつ丁寧に作っておられました。
とてもあたたかなご主人とお話しながら、奥様の作った自家製味噌を
味見させてもらい、作り方まで教えてもらいました。
汗かきの赤ちゃんに綿100%の肌着を着せてあげるように
発酵食品には木がぴったりだな、と感じました。

ただ、残念なのは後継者がいないというお話でした。
全国にあまりないのかな、と思っていたのですが、
インターネットでみるとこうしてしっかり作っておられる方がいて
とても嬉しくなりました。
樽での漬け物や味噌づくりはゆっくり長年かけてうまくなろうと
思っています。たるや竹十さんのご活躍これからも応援しています。



こんなメールを頂くと夜なべの疲れもすっかり無くなってしまいます。
全国各地にあった桶屋さんが、どんどん消えていくのは寂しい限りです。
富良野近郊の桶屋さんは今もお元気そうなのでうれしく思いました。

2009年10月2日

木樽で作った吉野杉製の椅子

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酒樽や樽太鼓を作る時に底や側の組み合わせを少し変えれば、例えば写真のように背の高い椅子型仕様の樽(タル)が出来ます。
この度、そんな形の物を作って欲しいという依頼があったので、いくつか拵えました。

写真のうち、手前に見えるひとつだけ小さい物は普通の一斗の樽太鼓。
奥に見える小型の2個は五升の底と蓋(フタ)と二斗樽の側を組み合わせた物。
残りの7個が一斗樽の底と蓋(フタ)に二斗樽の側を組み合わせた物。

これらは椅子として作りましたが、変形樽太鼓として使えば面白いかも知れませんし、
あるいは店舗設計の際にディスプレイ樽として使う事も出来る訳です。



2009年10月1日

「日本酒」の日改め「酒の日」

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心無しか涼しくなってまいりました。
今日10月1日は「日本酒の日」だそうです。
全国各地でイベントがあり、多くの酒樽が鏡開されます。

日本の酒なのですから、「日本酒」等と媚びた呼び名にせず、
堂々と「酒」あるいは「清酒」と名乗ってもらいたいものです。
ビールをドイツ酒、シャンパンをフランス酒、テキーラをメキシコ酒と呼んでいるようなもので、少々恥ずかしい思いがします。
外国でも「サケ」で通用する訳ですから、早急に「日本酒」という奇妙な表現はやめましょう。

 酒という漢字を分解すると、水(癸)と酉で、ミヅのトリとは癸酉の意です。
 
 
「酉」は本来「酒を醸造する器(つぼ又はかめ)」を意味していますが、大きい意味では「樽(タル)」です。
「樽」のつくりである「尊」も「かめ」から来ているのですが、この話は別の機会に。
「酒」のさんずいは当然、酒造に不可欠の「水」ですけれど、「御津(水・蜜・密)の多留・
暦の10番目に位置することと、新米の収穫期であることから、この日が選ばれたそうです。
足る」でもあります。
「酒」に似た漢字に「配(くばる)」がありますが、
これを分解すると、酉(とり)と己(おのれ・ツチのトリ)になります。

 配(ハイ)とは己酉。
酉は酒壷を意味していますし、己は、そのカメに人が膝まずく姿の象形文字でもあります。
常に暦と連動して醸造を続けて来た名残でしょう。

どことなく、こじつけ気味の説明ですが、
白川静氏が亡くなられたので、詳しい事が判りません。
ちょうど新酒の季節ですし、日本のボジョレ・ヌーボーのような物だと思っておけば良いのでしょう。
この頃から清酒業界は一気に忙しくなるのです。

��0月1日はウラジミール・ホロビッツや服部良一の誕生日でもあり、音楽的にも何か関わりがあるのかも。
確かに醗酵中の酒に心地よい音楽を聴かせると味が良くなると言われています。
近くの蔵元では醸造蔵の中でドリカムのCDを聴きながら仕事をしています。
出来上がった酒は、やはり若い味でした。因果関係を調べた訳ではありませんが。

2009年9月30日

樽太鼓に明け暮れた九月でした

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昔なら、九月は年末用の酒樽をつくる時期だったのですが、
最近は秋祭りや学校の音楽会に使う樽太鼓の製作に終始しました。
その九月も今日で終わりです。
樽太鼓は修理も、ずいぶん致しました。




2009年9月23日

酒樽屋は酒樽をつくる所です

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大型連休も終わりです。
酒樽屋の九月には休みはありません。
昔から、温度や湿度の関係から秋の彼岸までは酒樽を作ってはいけないと言われておりました。
竹や杉の伐採も夏を避けます。
仕方がないので樽太鼓や、太鼓樽(酒樽の半製品で、タガが二本だけ入っている物)、
あるいは樽(たる)の底や蓋(ふた)を作り、職人たちの仕事つなぎに苦慮して来たものです。
最近の夏は漬物樽や味噌樽、または店舗展示用の樽(たる)を額に汗しながら作っています。
エアコンは厳禁。扇風機の風すら酒樽を乾燥させるので、最小限の使用にとどめています。

酒樽の注文を頂きながら長らく待ってもらっていた全国のお客様に
ようやく樽を発送することが出来る様になりました。
これから年末にかけて酒樽製造と樽太鼓や漬物樽、味噌樽と注文が重なり、忙しくなりそうです。



2009年9月19日

樽屋の目の前で酒樽の鏡開き

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毎年恒例になってきましたが、「樽屋竹十」の向かいに位置する「沢の鶴資料館」でジャズコンサートがあり、
正式な鏡開きが執り行なわれ、その後の休憩時間を利用して「振る舞い酒」がありました。
酒樽は当然、「樽屋竹十」が用意しましたけれど、やはり底も含めて吉野杉の酒樽。

今年は、去年忙しくて寄贈出来なかった事もあり、
また、張り切って「甲付酒樽」を選んだせいか参加者の評判は上々。皆さん、おかわりの行列
「この酒を買いたいのですが、何と言う銘柄ですか?」という質問と共に周辺の五合瓶を駆逐して、美味しい おいしいの連発。
尋ねられた係の方も「これは樽酒です。中身は単なる上選(昔の一級酒)です」と対応するしかなく、瓶詰めの樽酒は吉野杉の酒樽を使っていいないので、同じものだと答える訳にもいかず、返答は「×?▽♡◉♪♪♬♨............」でした。

写真を見ても判るように樽酒に於いて「底」が、いかに重要な要素である事を再認識しました。
空になるまでもう一息。一昨年はあっという間に空っぽになったのに。
残暑のせいと、飲酒運転取締が厳重になったことも原因でしょう。

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でも、この日の主役は、この夏94歳で亡くなったレスポールだったのかも知れません。



2009年9月17日

木製樽太鼓(タルたいこ)と木製漬物樽(つけものタル)ばかりが

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やはり、季節のせいでしょうか。木製の樽太鼓(たるたいこ)や同じく木製の漬物樽(つけものたる)ばかり出荷しております。
漬物樽(つけものたる)は木製ということが再評価されて、個人の方々からの注文が殆どですから数量は一個や二個なのですけれど、樽太鼓(たるたいこ)の御注文は数十個単位なので、荷造りの手間も容易ではありません。

樽太鼓(たるたいこ)は楽器としてだけでなく、椅子に使ったり、店舗の装飾に使われる例が増えております。

2009年9月15日

幻の夜行列車、またはブルーノートの頂点

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1957年の9月15日、ジョン・コルトレーンブルーノート社長、アルフレッド・ライオンの要請で「ブルートレイン」を録音します。
コルトレーン31歳、リー・モーガンがトランペット、ポール・チェンバースのベース、そしてピアノにケニー・ドリューという豪華メンバー。
今から50年以上も前の話なのですね。
ブルーノートで唯一のコルトレーンなのに一番人気のある定盤です。
昨年紹介した、マイルスの字幕入別テイクが評判良かったので、
第二弾も遅まきまがら紹介しておきます。

BLUE TRAIN TAKE7

蛇足ながらブルーノートだから、ブルー トレインかと思っていたら、
ブルーノートのブルーはブルーズのブルーだそうです。
巷では一夜にして売り切れたビートルズのリマスター版BOXの話題で持ち切りですが、
コルトレーンにも初回限定CDがあり、こちらは2枚組で20万円!!!





2009年9月14日

ディスプレイ用樽(タル)すなわち売場樽(タル)フランスへ行く

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店舗の前などで商品を展示するための樽(タル)です。
ディスプレイ用樽(タル)とか、売場樽(タル)あるいは上げ底樽(タル)と呼びますが、
他の樽(タル)と違い正式名称はありません。
強いて言えば酒樽(タル)における二重底がこれに相当します。
いま程、多く使用されなかった時期は古樽(タル)を各店が改造していたものですが、
最近は古樽(タル)もあまり手に入らなくなってきたこともあり、
酒樽屋が新しいものを最初から作るケースが増えてまいりました。

水を入れても洩れないタイプと、
単に底が上から15センチ位のところに収まるタイプの2種があります。
前者では洩れないように上の底の部分にも竹箍(タガ)1〜2本入れます。
これは酒樽における容量半分の樽と同じ方法でつくります。

写真の樽(タル)はフランスで催される展示会で商品を陳列するために特別に作った物で、
見えている底は取り外しが自在で、必要のない時は商品を底の下に収納するように出来ています。海外発送が得意な「たるや竹十」ですけれど、
この度は発注元の方が他の物品と一緒に空輸されました。

尚、手前に写っている小さい樽(タル)は9リットルの漬物樽。
大きさが判り易い様に並べてみました。

2009年9月13日

日曜日も樽太鼓(たるたいこ)

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本来、酒樽屋は6月杉から9月のはじめまで、酒樽の受注が減るため仕事も少なくなります。
丁度、この時期は暑い上に力仕事の疲れが出て木桝ので休養を兼ねて のんびりと過ごし、忙しい冬場に備えるものでした。

繁忙期の年末用に酒樽を作って置けば良いと思われがちですけれど、湿気の多い梅雨の時期と真夏の猛暑を越した酒樽は年末には乾燥しきって使い物にならないのです。
その点、樽太鼓は乾燥しきった材料を硬杉る位の竹箍(たが)で締めるので多少のつくり置きが可能です。

昨年あたりから樽太鼓の御注文が切れ目なく続くので、休日返上で樽太鼓作りに明け暮れております。
昔の酒樽屋は、この時期、底と蓋(ふた)を作る位の仕事しかありませんでした。

ありがたいことに、樽太鼓は楽器として用途以外に店舗のディスプレイにもお使いいただきますので、受注が増えてまいりました。






2009年9月12日

毎日出荷される樽太鼓と、その保管

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白露の侯、夏祭りで酷使された樽太鼓の修理やら、秋祭り、小学校では秋の音楽会に向けて、
あるいは、店舗設計の材料として全国各地に向け「樽太鼓」が発送されて行きます。
漬物樽や味噌樽は一丁か二丁の発送ですが、樽太鼓は何十個単位の依頼になる事が多いので、
梱包作業も片手間では出来ません。

樽太鼓は催しが終わると、長期保管しなければならないものなのですが、決してビニール袋には入れないで下さい。新聞紙で何重にも巻いて冷暗所に保存して下さい。
理想的な環境は「冷蔵庫の中」ですが、これは現実的ではありませんね。
樽太鼓は杉と竹という植物で出来た製品ですから、白菜やダイコンと同じような扱いをして頂きたいのです。
ビニール袋は便利ですし、乾燥も防ぐ事ができますが、頻繁に開け閉めして新鮮な空気を入れてやらないと、先ず竹の箍(タガ)が腐ります。その後、樽本体にも黴が発生します。

自然素材と石油製品は、やはり相性が悪いようです。






2009年9月11日

カナダへ渡る鏡開き用の酒樽

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最近、海外で行われる結婚式に樽酒の鏡開きを取り入れることが小さなブームです。
「たるや竹十」では海外発送も承っております。
運賃が中の酒樽を上まらないように、もっぱら郵便局のEMSを利用しています。
郵便ですから当然、切手を張らないと行けない訳ですが、その額が日常使用している物から
余りに乖離しているので、いつも違和感を抱きます。
この日も北米行き3.5キロ未満で6、100円。
現行切手の最高額は1、000円なのですね。5,000円切手を下さいと言ったら、
そんなものはないのですと局の方が恐縮されておりました。

海外での鏡開き、樽酒がもっと普及すればいいのですが............
ちなみに、この酒樽は空っぽで、中に入れる清酒は現地で調達するそうです。
海外発送の場合は、このケースが殆どです。



樽太鼓に釘を打たないで下さい

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樽太鼓の箍(たが)に釘を打ったり、木工用ボンドを使用したりしないで欲しいのです。
修理の作業が大変面倒になり、ひどい場合は修理が不可能になってしまいます。
樽太鼓は保管が悪いと乾燥して竹の箍(たが)がゆるみ、下に落ちて来ます。
仕方がないので、安易に釘を打ったり化学製品の接着剤を塗ったりする方がおられますが、
これによって樽太鼓の音が良くなる事は決してありません。

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上は箍(たが)にボンドを塗り過ぎて、輪の取替えが出来なくなったもの、
下の右は大量の釘を打ち付け、更に蓋(ふた)をボンドで固定してしまったもの、
下左は樽の蓋(ふた)の替わりに丸く切ったベニヤ板をボンドで貼付け、更にビス止めしたもの。(このような加工を施しても無駄に手間がかかるだけで良い音が出ることはないのです)
どれも修理が困難です。どうしても修理をするとなれば新品を買うより高い費用を要します。




2009年9月10日

吉野杉を使った木樽の作り方 その7 輪締め

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巻いた竹の箍(タガ)を締めることを「輪締め」と呼びます。
左手の締め木を右手に持つ大きな木槌で叩いて箍(タガ)を締めていきます。
何人もの酒樽職人が槌を振り続ける独特の大音響は冬の風物詩とも言えたのですが、
実際は近所の住民の方々にも迷惑をかけますし、
酒樽職人たちも40代,50代で耳が聴こえにくくなるのが通例です。

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あらかじめ、手で締めた箍(タガ)をさらに強く締めるため、
今では、この工程のみ唯一機械を使用します。

酒樽屋の中でも樽屋竹十の職人たちは最後まで機械の導入を拒みました。
昭和40年代に小豆島の醤油樽屋から製樽機械一式を譲り受けた事があったのですが、
酒樽職人たちは、まるで汚い物を見るかのように扱い、機械は工房の片隅に長く放置されていました。
恐らく、この機械が導入されると自分たちの仕事が無くなると危惧していたのでしょう。
この製樽機械一式は後日、職人たちの冷たい眼に耐えられず別の製樽業者の工場へ譲られて行きました。

「竹十」では、ようやく昭和50年代に酒樽業界で一番最後に「樽輪締機」を新調、設置することになります。
千葉県野田市に「川鍋製作所」という日本で唯一の「樽輪締機」を作る工場がありました。
昔、野田には沢山の醤油樽屋があったからでしょう。全国の樽屋がここに発注、修理を依頼していました。「竹十」も長く、ここに世話になりました。
現在は、別の仕事をされているようです。

��7歳まで現役だった、樽屋竹十の一番職人(たくさんいる職人のリーダー格で技術も名人級です)は唯一の機械である「樽輪締機」も使いませんでした。
殆どの酒樽職人たちが喜んで「樽輪締機」を使うなか、彼は目の前に楽な機械があるにも関わらず、最後まで手締めの酒樽を作り続けました。
しかし、ある日に作った酒樽の出来具合に納得出来ず、自ら引退を宣言したその一週間後に亡くなりました。
彼の最後の酒樽は若い私の目では,どこも悪い所がないものでした。

尋常小学校に通いながら酒樽技術を習得し、90年間を樽一筋に生きた見事な人生です。
彼が伝え聞いた文政二年の創業当時の話等を殆ど耳が聴こえなかったにもかかわらず、私に話してくれたものです。


現在「竹十」が使っている写真の輪締機は近所の鉄工所と共同開発した改良型の二代目です。



2009年9月8日

江戸の世に遊ぶための小さな道具 煎茶器 

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樽屋竹十が創業された文政二年とは柏木如亭が亡くなった年でもあり、
菊池三渓が生まれた年でもあります。
漢詩や煎茶が盛期をむかえていた時期です。
文人墨客へ対する、造り酒屋の旦那さん達の援助がなければ成り立たなかった世界でもありました。
酒樽屋の親方たちも当時は、その末席に位置していたようです。

旦那衆のなかでも代表的な人物が大阪の木村蒹葭堂
伊丹の岡田利兵衛です。両者共に造り酒屋を営んでおりました。
旦那衆はこのような席を文化的な社交の場とみなし、当時の文人達を自宅に逗留させたり、
書画を買い上げたりしつつ自宅を解放し知的サロンを開催して、
情報交換を兼ねながら自身の文化的レベルを高めていきました。
現在では残念ながら、そのような粋を極めようとする老舗の旦那衆が少なくなくなりました。
前述の木村家、岡田家ともに現在は酒造を営んでおりません。

明石市立文化博物館で「兵庫の陶磁 煎茶の器」という展覧会があります。
��月29日から9月27日まで
兵庫県の陶磁器、すなわち珉平や三田を中心に京焼も含めた展示。
チラシの紫泥大茶罐は黄檗山萬福寺所蔵の宣興窯。高さが12センチ以上あります。まさに「ヤカン」ですね。



2009年9月7日

樽屋へ見学者が続く

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なぜか、夏が終わりに近づくと酒樽屋には来訪者が続くのです。
酒樽屋の向かいが観光バスのルートに含まれているからだけではないようで、
今となっては珍しくなった酒樽屋の仕事の現場を見ておこうという方々が多いようです。

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そして、HPをご覧になった方が、未だ店が完成していないのに漬物樽、味噌樽、樽太鼓あるいは酒樽を現物を見て比較された上で直接購入されるケースも多々あります。
早く「店」を完成させなければ!!!






2009年9月5日

木樽製造における困難

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木樽の側がタガの圧力に負け、バランスを崩して割れてしまった訳です。
このようになった状態と、そのような樽を「どさ」と呼びます。

『どさ』とは佐渡(さど)の倒置語で、江戸時代、賭博で捕まると佐渡へ島流しになったことから、賭場に役人が踏み込むことを『どさ』と呼びました。
一旦島流しになるとなかなか戻ることは出来なかったといいます。

また、復元不能という意味から『土左衛門』の略という説もあります。
実際には底等を替えれば復元は可能ですけれど、「修理」という作業は
何に於いて同じですが、新品を作る作業の倍以上の時間と労力を要します。

樽を作っている者から言わせると、本当に「どさっ」という感覚で壊れるので、
この方が現実的です。

2009年9月4日

酒樽屋のお八つ  その弐拾陸 ラスク

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折角買って来たバゲットが残ってしまったので、知らない間に樽屋の女房がシナモンラスクを作ってくれていました。
ORANGINAのグラスに入っているのは、お中元の定番「カルピス

ラスクはバゲットを薄く切って、150度位のオーブンで10分ほど焼いた後、表面に溶かしバターを塗り、シナモンとブラウンシュガーをたっぷりのせて、
再度オーブンで10分くらい焼きます。
なかなかの美味です。
材料のパンは舊藤井パン製

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MOISANのフリュートが心斎橋そごうの閉店に伴って関西では買う事が出来なくなって、まことに残念です。
毎朝パリまで出かける訳にもいきませんし。

市販のラスク