2013年12月4日
酒樽屋(たるや)、遠方への発送相次ぐ
師走である。酒樽屋(たるや)は酒蔵へ納める酒樽の製造に追われて一般のお客様へ送るべき、
漬物樽(たる)や味噌樽(たる)の発送が遅れております。
御迷惑をおかけして申し訳ありません。
酒樽(たる)の需要期と漬物樽(たる)を使う時期が悪い事に重なっているのです。
��2月中旬には正常に戻す予定です。
2013年11月27日
酒樽屋(たるや)の虫養ひ
西宮の竹葉亭で鰻丼を食す。竹葉亭は本家である白鹿に対し悦蔵さんと言われている白鷹が作った禄水苑の中にある。
竹葉と清酒とは深い縁があります。
鰻と樽酒も相性が良いらしい。
〒662-0926
西宮市鞍掛町5-1
TEL (0798)37-3939
2013年11月25日
かつて酒樽屋(たるや)だった企業三社
明治末期まで近畿だけで数百軒あった酒樽屋も日露戦争の後,一升瓶の出現と相まって激減、その後昭和40年頃に石油製品の普及により木桶と共に減少。
全国のかなりの樽屋は酒樽製造から一升瓶用の木函製造に移行。更には木函はプラスチック函になり、近年の紙パックの出現、その上ペットボトルや減菌レトルトパックまで登場。
清酒自体の需要縮小もあって、酒樽は「伝統」という名の下、酒文化の象徴として残るしか道はないのか.........................
現在阪神間に酒樽屋は4軒、全国でも10軒程度のみ。当然樽職人の数も推して知るべし。
樽谷包装産業は江戸時代は樽屋だった筈で,その後一升瓶の木函製造から現在はパレットや段ボールなどの製造へ。ご子息とは奇遇で昔、私と同じアパート隣室の住人だったことも。
京都容器光陽は元の名を「京都容器」という樽屋で、祖父同士が親友。
奈良の「吉野容器」と共に一時、大規模に樽製造業を営む。
現在は、やはり梱包資材やパレット製造。灘の酒蔵へも多数納品。
写真は同氏のBlogより
特殊容器製造へ転換した樽徳商店の会長宮本博司さん自作の樽
同氏の木樽への思いは殊のほか深し。
たるや竹十にも来訪、吉野郡川上村まで吉野杉を仕入れに行かれた。
同氏は専門が土木工学、元国交省の役人を勤め全国のダム建築に関わった由。
上の三社は時代の流れに逆らうことなく益々発展して行く中、たるや竹十は今も変わらずコツコツと樽(たる)を作り続けております。
全国のかなりの樽屋は酒樽製造から一升瓶用の木函製造に移行。更には木函はプラスチック函になり、近年の紙パックの出現、その上ペットボトルや減菌レトルトパックまで登場。
清酒自体の需要縮小もあって、酒樽は「伝統」という名の下、酒文化の象徴として残るしか道はないのか.........................
現在阪神間に酒樽屋は4軒、全国でも10軒程度のみ。当然樽職人の数も推して知るべし。
樽谷包装産業は江戸時代は樽屋だった筈で,その後一升瓶の木函製造から現在はパレットや段ボールなどの製造へ。ご子息とは奇遇で昔、私と同じアパート隣室の住人だったことも。
京都容器光陽は元の名を「京都容器」という樽屋で、祖父同士が親友。
奈良の「吉野容器」と共に一時、大規模に樽製造業を営む。
現在は、やはり梱包資材やパレット製造。灘の酒蔵へも多数納品。
写真は同氏のBlogより
特殊容器製造へ転換した樽徳商店の会長宮本博司さん自作の樽
同氏の木樽への思いは殊のほか深し。
たるや竹十にも来訪、吉野郡川上村まで吉野杉を仕入れに行かれた。
同氏は専門が土木工学、元国交省の役人を勤め全国のダム建築に関わった由。
上の三社は時代の流れに逆らうことなく益々発展して行く中、たるや竹十は今も変わらずコツコツと樽(たる)を作り続けております。
2013年11月24日
樽(たる)作りは道具作りからはじまる
何でも、物づくりは道具づくりからはじまります。
和樽(たる)をつくる道具は総じて樫等の堅い木を使うのですが、あると重宝するのが鉄の「玄能」です。
正式には「玄翁」と書き、「玉藻前伝説」に由来します。
狐が化けて鳥羽上皇の寵愛を一身に受けていたところ、某陰陽師にその姿を見破られ、今度は堅い石に変身して身を守ろうとし誰も手が出せなく困っていた時に曹洞宗の和尚、玄翁さんが現れ大きな槌で石を砕いたという伝説。
ところで現代では「玄翁」どころか金槌を使う大工さんが激減。
どこに行っても売っていないので新調しました。(先日来たMAC TOOLSの車の中はプラスチックの反動ハンマーしかなかった、あとは鉄ハンマー、訳せば「玄能」)
この世界も奥深く「ヒシ貫」こと長谷川重郷作、「丸増」こと相田浩樹作など在銘の高級品がずらり。
それでも気に入った槌がなく特注!!!!!!!!
恥ずかしながら、今まで「玄能」は両方に打面がある槌だとしか知らなかったのですが、
片面は平面だけど、裏面は僅かに曲面が上がっていて締め打に使うとか。
和樽(たる)つくりに釘打は必要ないので(押し蓋の持ち手を除く)両方が平面の竹十用特製。
写真では一番上が量産品(若干軽いので小さい樽を作る時でも頼りない)比べると見るからに悪そうだけど、値段は安くないんです。柄の材も悪くクリアラッカー仕上げが致命的。
真ん中が長年愛用している使い具合の良い昔の玄能。ただ柄が折れたので短く応急処置中。
下が特注品、未だ柄は付けていない。見るからに良さそう。いい仕事が出来そうな気がする。
酒樽屋(たるや)、針金細工の展覧会を見に行く
古い友人、針金屋銀蔵こと林雄三君が神戸大丸で展覧会をしているというので、仕事の帰りに立ち寄る。
同じく神戸北野町にあったベイビューヴィラの同窓生毛糸屋の山田さきこ氏が手伝っていた。
帰りは銀子も伴ってカフェイスタンブールでトルコ料理を食す。
林雄三氏は今夜もたるや竹十の客間に泊まっている。
大丸の展示即売は26日までだけど、12月14日から23日まで京都のイシスで展示実演
2013年11月22日
小雪(しょうせつ)、すなわち和樽屋(たるや)の繁忙期
気が付いたら,十一月も終わりに近づいております。
小雪(しょうせつ)です。十二月七日の大雪(だいせつ)を経て暦の上では冬がはじまります
和樽屋(たるや)にとって、一年で一番忙しい時期です。
今年は例年に比べると未だ極寒までは未だ遠く、少し力仕事を続けると汗ばむ位です。
すなわち、漬物樽、味噌樽の時期に急ぎの樽太鼓の修理が加わり、そこへ本業の酒樽の注文が年末まで殺到、てんやわんやでおおわらわの年末がはじまるのです。
最近、変った用途に和樽(たる)が利用されて驚くことが多くなりました。
今回の写真の二丁は和菓子屋さんが餡だったか粉かを混ぜるための鉢の更に台に使うとのこと。
��だったと思う。曖昧で失礼)、ほかにもガラスを磨くための和樽(たる)等々。これは樽(たる)の中に研磨剤とガラス玉を一緒に入れ、回転させて丸く加工するらしいのだけれど、同種の方法は神戸に沢山ある真珠加工業者の間では常識のようで。この古典的な手法を踏襲されている真珠屋さんは未だあります。海鮮類や野菜等でも木製の和樽(たる)を使う方が鮮度が圧倒的に落ちない由。うなぎ屋さんやあなご屋さんからの注文も絶えません。
あるいは地元の桶屋さんが高齢のため廃業してしまい、それまで使っていた鮒寿司用の桶が手に入らなくなってたるや竹十にたどりついた方。年齢に関係なくネット環境にない方で雑誌新聞やテレビに取り上げてもらったら、メモされていたのか暫くしてから問い合わせて来られます。
2013年11月21日
鏡開きの新酒とボジョレーヌーボー
2013年11月20日
灘五郷の和樽屋(わだるや)と民俗学者宮本常一
たいそう珍しい雑誌(冊子)です。長年探しもとめていてようやく見つけました。
実は絶対に手に入らないだろうと半ば諦めていたのです。
いはゆる稀覯本と呼ばれている非常に高価な書物の場合は金額さえ気にしなければ入手し易いものですが、むしろ、このような50頁前後の不人気雑誌で売価も数百円(あるいは数十円)となると逆に探し難いものなのです。
他の方々にとっては価値はないでしょうが、和樽(たる)屋のとっては必須書です。
宮本常一氏監修の近畿日本ツーリスト昭和62年12月発行「あるくみるきく」250号という冊子です。
表紙の桶師は岩城好一さん、右側の軒先に隠れて顔を少し出して指導しているのが、同じく常峰巌さん(私の師匠なのですが40代で逝去),本文中に桶仙の名川隆義さん(宣言通り60代半ばに引退)、竹屋の松下栄二郎さん、そして阪神大震災のため死去、廃業を余儀なくされた元兵庫県和樽工業組合理事長、庄伊右衞門さん経営の庄製樽所と、同所職人の木村さん親子(共に廃業)、樽丸師だった吉野の栗山晴昇さん(引退して40代の大口孝次さんが後継)らが登場して、まことに身近な文献です。
��0年程前のこの雑誌。当然ながら写真を見るとみんな若い。
灘五郷が日本一の酒どころの矜持を持って一番活気があった好い時期です。
唯一今も現役でたるや竹十の竹を割ってくれている竹屋の松下さんが未だ20代だった頃。
ありがたい事にこの冊子は後年「農文協」から御長男の宮本千晴さんと弟子筋の尽力により「「あるくみるきく双書第8巻、近畿2」別名「宮本常一とあるいた昭和の日本」として、昭和59年発行の「吉野の木霊」なども一緒に再録されて単行本になっていて便利です。全25巻ですが、300冊近い月刊誌を網羅することは出来ませんでした。
農文協版との違いは原本では色刷り頁が多い事と、野田の小川浩さんが取材した千葉の樽事情が割愛されている点です。
「昭和と言う世は、百姓がサラリーマンになり、大工が役人になり,商店の息子が絵かきになる世の中だ。みんな思い思いに思い思いのことをする。親のあとを子がついでいくというようなことはすくなくなった。ではいったい誰があとをつぐのだ。その思い思いの行動が伝統をたちきっていく。一つの文化は一〇年や二〇年では築けない。二台や三代もかかるものだ。自分でできなかった仕事は誰に完成してもらえばよいのか。自分だけではできないことをさらにうけついでさらに発展させていく人(仲間)をつくらねばならぬ。」 歩く民俗学者、宮本常一
2013年11月19日
清酒用の和樽(たる)を分解する
和樽屋(たるや)の虫養ひ、または三都味くらべ
神戸や大阪の人たちが京都で蕎麦屋や饂飩屋に入り「たぬき」を注文するとビックリします。
出てくるのは、なんと「あんかけうどん」又は「あんかけそば」なのです。
神戸,大阪では「たぬき」と言えば、甘辛く味付けした油揚げがのっている「そば」を指します。
油揚げがのっている饂飩が「きつね」、麺が蕎麦にかわったら「たぬき」です。
これが阪神間の日常です。「けつね」或いは「しのだ」と注文しても通じます。
京都において「たぬき」という食べ物は「あんかけ」なのです。金沢方面も同じ由。
京都で「たぬき」と注文すれば、生姜がたっぷりのっているか添えられているか、
素うどん(そばの場合もあり)のあんかけが出て来るだけです。油揚げのきざみがのっている場合もあり。
あくまで油揚げは「きざみ」なのです。
逆に京都の人が神戸や大阪に来て「たぬき」を注文したら、
油揚げの「きつねそば」が出て来てがっかり?????されるでことでしょう。
さらに関東では「天かす」をのせた麺を「たぬき」と呼ぶそうで。
ことほどさように三都の中でも食文化の違いが、はっきりしております。
あんかけの場合は京の寒い夜を腹の中から暖める為かなと思いきや、真夏にもあるんですね。
それがどーしたという、狐と狸の話題であります.。
やぐ羅
〒605-0075
京都市東山区四条通大和大路西入る(南座向い)
営業時間 11:30~21:00
定休日 不定休 075-561-1035
2013年11月17日
店舗設計の際に展示用に使うディスプレー和樽(たる)
新しい店舗を作るとき、お店の内外から日本的な雰囲気を醸し出す演出として、
ディスプレー用の和樽(たる)がよく使われます。
樽太鼓を展示用に綺麗な材料で出来る限り美しく作ったり、
逆にエイジングと言って古色を付けたり発注の際の打ち合わせで様々な和樽(たる)が出来上がります。
吉野の山で樽(たる)の材料をあらかじめ最大56ミリに切ってしまうので、
基本的に高さが56センチまでの和樽(たる)は廉価に出来ますが、
それ以上の高さの樽(たる)は原木の段階から別注なので時間と費用がかさみます。
技術的にも一尺八寸(約560ミリ)より背が高くなると突然高価になります。
御注意下さい。
例えば、味噌ラーメン屋さんの前に味噌樽(たる)、醤油ラーメン屋さんに醤油樽(たる)等々という例もかつて有り。
写真の和樽(たる)は蓋(ふた)を70ミリ落として商品を陳列出来るように加工した店舗設計用樽(たる)
この形態の和樽(たる)も上に赤毛氈を敷いたりして使い勝手が良いので人気です。
下げる深さは何センチにでも加工で来ますので御相談承ります。
2013年11月16日
三年間使って下さっている漬物樽(つけものたる)
2013年11月15日
和樽屋(たるや)が来年使う樽用手帳
和樽屋(たるや)用に使う来年の手帳は別の物に変えようと思っていたけれど、気に入った手帳がなく、今年と同じLEUCHTTURM1917(ロイヒトトゥルム)の手帳に決定。
予約していた物がようやく入荷。発音が難しいからか余り普及していない、
ドイツでは切手やコインのファイルで有名な会社らしい。
イタリアのCIAKやMOLESKINEのようなオシャレ度は低くく
あくまで独逸的に地味で質実剛健、品質本意。
和樽(たる)の注文メモや製作予定、樽(たる)の約束期日などを書いておくには重宝しました。
実際今年一年間ズボンの後ポケットに入れて
酷使したにも関わらず製本も崩れず、表紙もさほど傷まず。
早速、日本の祝日を赤ペンで○印しておこう。
本当は「冬至」などの二十四節気の季節の節目もない上、赤い文字の「祝日」の記載がないのは非常に不便なのですけれど、財布同様一年間身につける数少ない物体ですからデザインを優先してしまいます。
黒色のみの表紙表紙なので自身でカラフルにカスタマイズしないと行方不明になりがち。
携帯電話と違って失くした時に電話を鳴らせば反応しません。そんな機能を開発してくれないかな。
キーホルダーと財布もしかり。外出直前に見つからないとパニックになります。
2013年11月14日
和樽(たる)屋に来訪者相次ぐ
和樽屋(たるや)にはメールやFAX,お電話による御注文が圧倒的です。
殊に電話の方は木製の和樽(たる)を初めて使われる方や、意外な目的に使われたりするため、
様々な質問をされてこられ、こちらも興味深く聞き入ってしまうが多々あります。
樽(たる)のことなら御遠慮なく何でも訊いて下さって結構ですが、味噌や漬物の事になりますと専門家ではないので、逆に何年も和樽(たる)を使われている先輩諸兄に当方が質問する事が多くなり、醤油等は作った事がないのですけれど中途半端に詳しくなりました。
いつか私も醤油作りと本格的な奈良漬け作りに挑戦してみようと思っております。
ただ、樽屋竹十の丁度向かいに販売のみですが奈良漬屋さんがあるので完成品を買ってしまいます。
木製和樽(たる)という商品の性格上、実際にご自身の目で御覧になり手で触ってみてから判断したいと言う熱心な御客様が月に何人か来られます。
写真の方も御姉妹で他府県から来られ、随分悩まれれて木製和樽(たる)を数個お買い求めになられました。
今は製作工房なので遠くから来られた御客様を充分おもてなしする事が出来ず遺憾に感じております。
樽屋竹十のショップは別の場所に来年早々オープンの予定です。
近日中に詳細を御案内致します。
手前か「五升漬物樽(27型つけものたる)」真ん中が「味噌樽(みそたる)の小」右端は「一斗漬物樽(つけものたる)34型」
奥に見えるのは「四斗樽(56型)」を分解して再生漬物樽(つけものたる)を作る途中のものです。
樽(たる)の大きさの目安になるかと思い、敢えて一緒に撮りました。
2013年11月13日
樽(たる)用の竹が到着
かつて樽(たる)のタガに使う竹は京都の嵯峨野から、その後は少し南の大山崎から、
運んでおりましたが、ここ近年は前二カ所の竹の大量伐採が不可能になったので、
六甲の裏山、有馬近郊の薮に入り切り出して来ます。
日本中に竹は必要以上に自生しており、樽(たる)や桶(おけ)を作る人も数少なく、
壁下地に使う細い竹、海苔栽培の筏用竹、箒(ほうき)の柄などに竹を使う機会が激減し、
更に中国産の安い竹に駆逐され、ハタキの柄等は殆どプラスチック化、
それ以前にハタキ自体も余り見かけませんね。
原竹(丸いままの竹)を麓の工場まで運んでくれていた業者も少なくなって来ました。
寒い時期に足元がぬかるんでいる上に重い竹を担ぎ出すのは重労働なのです。
長い竹の運搬も容易ではありません。
今、神戸で和樽用の竹を割る事の出来る職人は二人だけになってしまいました。
原竹の入手も困難ですが、和樽繁忙期の年末になると竹を割って削る職人の手配にも苦慮します。吉野杉と樽丸職人の関係より事は深刻かも知れません。
2013年11月10日
樽(たる)づくりの過程で出て来る大鋸屑(おがくず)の行方
2013年11月7日
酒樽屋の秋
今年も、はや立冬です。長い夏と台風が過ぎて、ようやく秋らしくなりました。
偶然ですがプロ野球が終わりますと酒樽屋は忙しくなります。
唯一、灘五郷付近を本拠地にする某球団が優勝した時は徹夜が続く程、
酒樽(たる)の注文が殺到します。
幸か不幸か今年はその心配がありません。
通常の酒樽製造に専念出来ます。
以前にも記しましたが、灘五郷は南を海に面する一帯でした。
ここから樽廻船が酒樽(たる)を積んで江戸へ向かい、吉野からは大量の杉原木が届いた湊です。
山を削り、海を埋め立てる政策の市なので海が無くなってしまいましたが、
たるや竹十の浜には少しだけ海が残っており、船が行き来したり、
釣り人が誤って海に落ちたりもします。
2013年10月28日
酒樽(サカダル)完成後に使っていた三ツ目錐(きり)
酒樽(さかだる)を作ると酒を容れる所と出す所が必要になります。
現在は下の写真の電気ドリル、少し前だと手回しドリルを使っていましたが、
この「三ツ目錐(きり)」の時代が非常に長かった様で昭和の最後まで使っていました。
この道具は樽作りだけではなく「穴」をあける際の大工道具ではなかったかのと想像します。
われわれの業界では樽屋よりも小売りの酒屋さん、造り酒屋の必需品でした。
大小2種あります。直径六分(約18ミリ)と八分(約24ミリ)、その他に天星の穴用もありました。
いまでは、こんな電気道具が主流です。こちらの方が綺麗に切れるので仕方がありません。
三ツ目錐は頻繁に研がねばならず、うまく使いこなすには熟練を要しました。
樽(たる)を作る工程で最後に使う道具です。
2013年10月25日
酒樽屋のお八つ 其の參拾伍 六珈
2013年10月23日
吉野の材木市で樽材を買ふ
本来、吉野杉は酒樽(さかだる)のために植林されてきたものなのですが、木樽(たる)の需要が減って来ると同時に、その無節の麗しさ、色目の美しさから建築材として脚光を浴びるようになり、樽材用の原木はその残り物の感すらありました。
良き時代が続いた後、輸入材や合板が大量に使用されて高価で加工が難しい無垢の杉が売れなっていきます。同時に和樽(たる)に適した杉材も市場に出て来ない事態が発生します。
写真に見える原木の小口にチョークで書かれてている数字は、その容積と価格です。
ここ数年、山には杉は沢山生えていても搬出の手間賃が出ないと言う理由から市場に杉が出て来ない状態が続いていて、樽材の入手が非常に困難になってまいりました。
2013年10月22日
酒樽屋(さかだるや)への訪問者
「聞き書き甲子園」といという特殊な取材があって、岡山県立矢掛高等学校から女子高生が来訪。
阪神間の住民にとって「甲子園」と聞かされても近所の町である西宮市の一地名か、
某プロ野球球団の本拠地くらいを想起するしかないので、高等学校を思う事はちょっと困難です。
全く「和樽(たる)」についての知識を持っていない方に樽(たる)について約3時間ばかり
実演を含めて説明しました。
先ず、吉野杉の白太と赤味の違いを理解してもらうために丸太を用意しました。
ゼロからの説明は自身の頭の整理にもなるので、有意義なのですが少し疲れます。
2013年10月20日
伊豆大島の酒樽(さかだる)
台風26号の影響で大変な被害を受けている伊豆大島ですが、未だ埋まったままの人もたくさんいるというのに季節はずれの台風27号がやって来て救援活動も一時中止なのが大変無念です。
伊豆大島では酒樽を使って海水による塩業が盛んで、運んでいる樽(たる)は塩用だったかも知れません。たるや竹十が贔屓にしている天然塩製造の熊本や天草の塩業の方々も元は伊豆大島を手本にしたと言います。
龍ノ口遺跡を紹介したのが坪井正五郎であることは余り知られていないようです。
右側の女性が頭に載せている物は何か不明です。当時から女性の労働力に負うところが大きかった画像です。東南アジアの各国では今でも男より女性がよく働くのが特徴です。
さるにても日本に限らず最近は異常気象が非常に多く、地球も段々おかしくなって来ました。
写真は衣装や風俗から見ても戦前のものと思われます。
左の女性が担いでいるのは四斗(72リットル)樽ですけれど、軽々と持っているところから空樽(からだる)でしょう。四斗樽の中へ実際に酒を容れますと80キロ位になるので相当な力持ちでも持ち上げられません。昔はフォークリフト等がなかったので、とんでもない力持ちの人が酒樽の運搬に従事しておりました。樽運びに専従している職業もあって、その専門的な職業名は失念しましたが、鬼留だとか力石とか相応しい姓でした。神戸では後に大きな運送会社に発展した事業所も何カ所かあります。
2013年10月18日
酒樽屋の虫養ひ その拾陸 蕎麦
2013年10月11日
𥶡(タガ)転がし用の竹タガを探して酒樽屋(さかだるや)へ来客
「樽(たる)転がし」や「箍(タガ)転がし」という懐かしい遊びがあります。
昔は現代の様に高価な玩具やゲーム機などがありませんでしたから、
身近にある「樽(たる)」を遊び道具に使っていたものです。
ことほどさように、最近まで「樽(たる)」や「箍(たが)」が生活の一部だった訳です。
今では𥶡(たが)を探して京都から電車で来店される時代になってしまいました。
京都の桶屋さんは高級になり過ぎて竹タガを用いず、銅(あか)タガを巻く方が主流のようです。
2013年10月10日
出張酒樽屋(さかだるや)またの名を輪替屋(わがえや)
古い話ばかりで恐縮ですが、昭和40年代前半頃まで各町角村に「輪替屋」がやって来た物です。各家には必ず盥(たらい)、半切り(はんぎり)、お櫃(ひつ)、風呂桶、漬物樽(つけものたる)、味噌樽(みそたる)等々の木製品があふれていて、その修理に追われていたものです。
同時期には「鋳掛屋(いかけや)」という鍋や釜など金属製品の修理を生業とする業者をどの町でも見かけたものです。
石油製品が席巻し、使い捨てが美徳と勘違いされる時代が来るまで町には職人が大勢いました。
写真は明治後期とおもわれる「輪替屋(わがえや)」とその丁稚(でっち)です。
キャプションには「A Cooper」とあり、これも当時流行していた着色絵葉書屋の勘違いでしょう。
牧場主の息子と言われているゲーリー・クーパーの英国での祖先は樽屋(たるや)だったのかも知れません。
画像は共に記載はありませんが、F.ベアトの弟子日下部金兵衞の撮影によるものと思われます。
町の風俗を歩きながら撮影したのではなく、道具や背景を用意して写真館で撮ったとおもわれます。また、絵葉書に於いて撮影者を特定する事は金兵衞以外には今でも稀でしょう。
金兵衞が横浜で写真館を営んでいたのは有名ですが、最晩年92歳で死去するまで芦屋の上宮川町の知人宅に寄寓していた事は余り知られておりません。
画像は神戸市立博物館所蔵のカタログより(輪替屋の絵葉書は金兵衞作と特定されておらず)
2013年10月8日
酒樽屋(さかだるや)の寒露
暦の上でも、例年でも、すっかり秋の筈なのに、まだまだ暑い日が続きます。
酒樽屋(さかだるや)では吉野杉による蓋(ふた)の乾燥作業です。
いったい何時になったら「秋」が来るんでしょうね。
樽材の乾燥は、かつて神戸の浜で行っていたのですが、
広い場所が必要なのに神戸に「浜」が殆ど無くなったので
昭和40年位から現地吉野で作業するようになりました。
最近では「おおばい」とい重ね方をせず、井の字型に積み上げます。
奥から二番目が底用、手前の黒い板は樽酒用の木香樽の底に使います。
2013年8月29日
酒樽屋 残暑休暇の御知らせ
2013年8月22日
酒樽屋へ飛んできた「赤とんぼ」
レイコ・クルックの新刊「赤とんぼ」がようやく樽屋にも届きました。(長崎文献社)
著者を駅まで迎えに行き、樽屋に着く前に彼女を待ち受けていたのは「アルルの女」でした。
そして「赤とんぼ」とは夕焼け小焼けではなく、海軍九三式中間練習機{KY5Y1}の事なのです。そして長崎に原爆投下。この重大な子供の頃の記憶を当時の目線で淡々と記述しているところが、むしろ怖い。まさに「小さか村」の「小さか生き証人」が書いた貴重な一冊です。
神戸では「海文堂書店」に大量入荷中
トークショーが神戸であります。
2013年8月24日(土)16:00〜18〜00
会場 フォアベルクホール 078−221−8800
神戸市中央区磯辺通4−2−14フォアベルク日本 神戸ショール–ム地下
kobeshowroom@vorwerk.co.jp
定員100名の小さな会場なので御予約下さい。
兵庫県立美術館で「ルノワール展」がひらかれていたのです。
彼女にとっての「アルルの女」はビゼーの曲の方です。
2013年7月3日
2013年7月2日
酒樽屋に新人加入
今日から七月です。昔ですと七月は一年で一番酒樽(さかだる)の需要が少ない暇な時期なのですが、
たるや竹十の夏は樽太鼓(たるたいこ)やディスプレー樽(たる)を中心とした酒樽(さかだる)以外の樽(たる)の御注文が増えて生産が追いつかないため樽職人を一人増やしました。
今の体制では冬期の酒樽(さかだる)と味噌樽(たる)の生産の時期が重なる繁忙期に、
昨年の同様、せっかく御注文下さった皆さまにお待ちいただく事になりそうだからです。
因みに今年の八月は猛暑が予想されるので、申し訳ありませんが思い切って三週間ほどの休暇を頂く予定です。
2013年6月27日
2013年6月26日
酒樽屋、朝からラヂヲ出演
2013年6月20日
欧羅巴での古樽(たる)の使い方
2013年6月15日
酒樽屋 テレビ局スタジオに出演
いよいよ暑い季節になってまいりました。JCOMというケーブルテレヴィジョンのスタジオに呼び出され、漬物樽(つけものたる)と一緒に生出演と相成りました。
今までは樽工房へ取材に来て下さいましたが、こちらから出向く事は初めてかも。
リハーサルの時はうまくいったと思いましたが本番生放送となると、そうは行きません。
詳しくはスタッフのブログ6月14日分を参照下さい。
2013年2月24日
一度使った酒樽(さかだる)を再生する
2013年2月8日
みんなで酒樽屋を見学する
神戸商工会議所主催の「灘の酒蔵と樽職人の仕事ツアー」へ5組、10名の方々がいらっしゃいました。
見学希望の依頼は100名を超えていたらしく、大変人気の企画だったようです。
狭い「たるや竹十」に10名の方が入って来られるといっぱい、これが限界です。
酒樽屋に来られた時は沢の鶴での利き酒の後なので、皆さん上機嫌、
丁度作っていた四斗樽の製作工程、正直押し、側立て、輻の加減、丸かんな掛け、竹箍巻き等
各工程を興味深く見て頂きました。
2013年2月2日
各地の酒蔵で蔵開きが開催
菊正宗 新酒を楽しむ会
沢の鶴 蔵開き
立春が過ぎたとはいへ、まだまだ寒い時期が続きますが
全国の酒蔵では「寒造り」の終盤を迎え、新酒の御披露目となります。
そこで蔵を開放して「しぼりたての新酒」を振る舞おうという趣旨です。
菊正宗では酒樽作り実演を開催するので、当酒樽屋も協力する予定です。
沢の鶴 蔵開き
立春が過ぎたとはいへ、まだまだ寒い時期が続きますが
全国の酒蔵では「寒造り」の終盤を迎え、新酒の御披露目となります。
そこで蔵を開放して「しぼりたての新酒」を振る舞おうという趣旨です。
菊正宗では酒樽作り実演を開催するので、当酒樽屋も協力する予定です。
2013年1月28日
2013年1月22日
酒樽職人の仕事体感ツアーが
「灘の酒蔵と樽職人の仕事ツアー」と題するが企画されました。
地の利からか酒蔵は「沢の鶴」樽屋は「竹十」が選ばれました。
写真は本日1月22日の朝日新聞朝刊神戸欄です。
��月7日 午後1時〜3時 定員は作業中のため、10名(5組)限定です。
それでも混雑するだろうなあ。
お話があったのが昨年の秋だったので、正月が明ければ何とかなるだろうと安易に考えておりました。
主催は神戸商工会議所 参加費300円(お土産の枡代です) 078−367−2010
応募者多数の場合は抽選です。
誰も応募しなくて中止になれば楽なのですが。
本当は近所の鰻屋さんを訪問して「樽酒とうなぎの相性」を味わってもらう予定でしたが、
この店も10人+主催者全員が入る事が出来ないだろうという事と、鰻の高騰もあって、
断念するしかありませんでした。
2013年1月21日
2013年1月11日
2013年1月10日
酒樽屋への訪問者多し
酒樽屋というものが日本中でも十軒以下になってしまったこともあり、
その珍しさからか、訪問される方が多くなりました。
未だ、店舗が完成しておりませんが、酒樽の製作工程等を撮影されたり、
偶然、作り置きしていた木製樽などを御買いもとめて下さったりされます。
古い樽の修理を依頼に突然来られる方も多いのですが、
店主が酒蔵へ出かけていたりして留守の事も多いので、出来るだけ
御電話で予約されてからの御来店を御願いします。
基本的に弊店の木製樽はオーダーメイドなので、御来店下さっても在庫がない場合があります。
木樽も「生もの」なので、沢山作っておく事が出来ないのです。
登録:
投稿 (Atom)