2013年11月20日

灘五郷の和樽屋(わだるや)と民俗学者宮本常一

DSC_0819.jpg

たいそう珍しい雑誌(冊子)です。長年探しもとめていてようやく見つけました。
実は絶対に手に入らないだろうと半ば諦めていたのです。
いはゆる稀覯本と呼ばれている非常に高価な書物の場合は金額さえ気にしなければ入手し易いものですが、むしろ、このような50頁前後の不人気雑誌で売価も数百円(あるいは数十円)となると逆に探し難いものなのです。
他の方々にとっては価値はないでしょうが、和樽(たる)屋のとっては必須書です。
宮本常一氏監修の近畿日本ツーリスト昭和62年12月発行「あるくみるきく」250号という冊子です。
表紙の桶師は岩城好一さん、右側の軒先に隠れて顔を少し出して指導しているのが、同じく常峰巌さん(私の師匠なのですが40代で逝去),本文中に桶仙の名川隆義さん(宣言通り60代半ばに引退)、竹屋の松下栄二郎さん、そして阪神大震災のため死去、廃業を余儀なくされた元兵庫県和樽工業組合理事長、庄伊右衞門さん経営の庄製樽所と、同所職人の木村さん親子(共に廃業)、樽丸師だった吉野の栗山晴昇さん(引退して40代の大口孝次さんが後継)らが登場して、まことに身近な文献です。
��0年程前のこの雑誌。当然ながら写真を見るとみんな若い。
灘五郷が日本一の酒どころの矜持を持って一番活気があった好い時期です。
唯一今も現役でたるや竹十の竹を割ってくれている竹屋の松下さんが未だ20代だった頃。

ありがたい事にこの冊子は後年「農文協」から御長男の宮本千晴さんと弟子筋の尽力により「「あるくみるきく双書第8巻、近畿2」別名「宮本常一とあるいた昭和の日本」として、昭和59年発行の「吉野の木霊」なども一緒に再録されて単行本になっていて便利です。全25巻ですが、300冊近い月刊誌を網羅することは出来ませんでした。
農文協版との違いは原本では色刷り頁が多い事と、野田の小川浩さんが取材した千葉の樽事情が割愛されている点です。

「昭和と言う世は、百姓がサラリーマンになり、大工が役人になり,商店の息子が絵かきになる世の中だ。みんな思い思いに思い思いのことをする。親のあとを子がついでいくというようなことはすくなくなった。ではいったい誰があとをつぐのだ。その思い思いの行動が伝統をたちきっていく。一つの文化は一〇年や二〇年では築けない。二台や三代もかかるものだ。自分でできなかった仕事は誰に完成してもらえばよいのか。自分だけではできないことをさらにうけついでさらに発展させていく人(仲間)をつくらねばならぬ。」    歩く民俗学者、宮本常一




0 件のコメント:

コメントを投稿