2013年11月25日

かつて酒樽屋(たるや)だった企業三社

明治末期まで近畿だけで数百軒あった酒樽屋も日露戦争の後,一升瓶の出現と相まって激減、その後昭和40年頃に石油製品の普及により木桶と共に減少。
全国のかなりの樽屋は酒樽製造から一升瓶用の木函製造に移行。更には木函はプラスチック函になり、近年の紙パックの出現、その上ペットボトルや減菌レトルトパックまで登場。
清酒自体の需要縮小もあって、酒樽は「伝統」という名の下、酒文化の象徴として残るしか道はないのか.........................
現在阪神間に酒樽屋は4軒、全国でも10軒程度のみ。当然樽職人の数も推して知るべし。

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樽谷包装産業は江戸時代は樽屋だった筈で,その後一升瓶の木函製造から現在はパレットや段ボールなどの製造へ。ご子息とは奇遇で昔、私と同じアパート隣室の住人だったことも。

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京都容器光陽は元の名を「京都容器」という樽屋で、祖父同士が親友。
奈良の「吉野容器」と共に一時、大規模に樽製造業を営む。
現在は、やはり梱包資材やパレット製造。灘の酒蔵へも多数納品。

imgres.jpg写真は同氏のBlogより

特殊容器製造へ転換した樽徳商店の会長宮本博司さん自作の樽
同氏の木樽への思いは殊のほか深し。
たるや竹十にも来訪、吉野郡川上村まで吉野杉を仕入れに行かれた。
同氏は専門が土木工学、元国交省の役人を勤め全国のダム建築に関わった由。

上の三社は時代の流れに逆らうことなく益々発展して行く中、たるや竹十は今も変わらずコツコツと樽(たる)を作り続けております。



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