2006年12月26日

酒樽屋の忘れ物 其ノ一

酒に従事する者だけではなく、炭屋であろうと八百屋であろうと日本の労働着のひとつとして「前垂れ」というものを、かつて誰でも着けていたものです。
要するに、「前掛け」です。

勿論、酒樽屋も毎日愛用しています。

左が戦後、右が戦前の物です。藍の濃さが違います。
長さも変わります。作業内容の変化に伴って、少しずつ短くなってきました。
先を機械に挟んだりして危険なので、ある時から急に短くなりました。
ポケット付きの物も登場します。
どこか粋なところがあるのでしょう。最近、再評価されて復刻版が出来たりしています。

これを腰に締めると、鉢巻を巻いたように気合が入って、よく仕事が出来るのです。
ただ、休み時間に外した時に、よく忘れて来てしまいます。



投稿者 diva : 02:57 | コメント (2)
2006年12月22日

樽太鼓に釘とボンド



「竹十」では樽太鼓の修理も行なっておりますが、持ち込まれるタルの状態も様々です。
写真は、緩んだ「タガ」を固定するべく、釘を打ってしまった例。

「竹十」の樽太鼓は酒樽などより、はるかに強い「タガ」で締めてはおりますが、
タルとは液体または湿気を含んだ物を入れることを前提に作られているので、
樽太鼓のような使い方をした場合、タルは時間の経過と共に「タガ」は緩んできます。
これは仕方がないことなので、直ぐに修理に持ってきて頂くとありがたいのですが。

中には、ゆるんだ「タガ」に釘を打ったり、木工用ボンドを塗ったりして、補修されているものがあります。
こうなると、修理は困難になります。

釘やボンドで補修しても、音が良くなる訳でもなく、楽器として、なんの意味もありませんので、そのまま修理に持って来てください。

その頃は蓋も傷んで、交換の必要が出ている筈です。
お願いします。

投稿者 diva : 09:09 | コメント (0)

2006年12月19日

酒樽に三本目、四本目の手

すべからく、もの作りをする者にとって、手は最高の道具と言えます。
あらゆる道具は手あるいは指の延長線にあるのでしょう。
手・Mano,(複数でMani)から職人・Manifattore,Monovelle,という言葉が出来たほどです。
我々酒樽屋の職人にとって、足も第三、第四の手なのです。
タガを入れたりする時に足で酒樽を回します。



今日のような寒い朝も裸足、素手で仕事をします。
酒樽は神酒という神聖な物を入れる容器を作るのですから、清めた裸足は当たり前です。
とは言うものの未だ体の温まっていない早朝には、ちょっと気合が入ります。
でも、ひとつ酒樽をつくった後は汗びっしょり。
その後は真冬でも夜まで、Tシャツ一枚で仕事を続けますが、お客さんが来られたり、食事時に手が止まってしまうと、一気に寒気が襲います。



下駄、足袋を履かなくなった現代人の足の指は退化しているといわれています。
足の指を使うことは健康にも良い筈です。
爽快なものですよ。

投稿者 diva : 09:01 | コメント (0)

2006年12月18日

アマデウス あるひは疾走するかなしみ

��006年は「生誕250年」。
誕生月の一月、ザルツブルグでのムーティによる祝祭に始まり、今年はモオツァルト、MOZARTの一年でした。
ヴォルフガング・アマデウス・モオツァルトが生きた1700年代後半というのは、日本では本居宣長、上田秋成、与謝蕪村らが活躍した時代でもあるのですが、彼らを再読する人よりもモオツァルトを聴き続ける人々の方が遥かに多いということは音楽が持つ、時代と国境を超えた普遍性を象徴していると言えましょう。

交響曲40番ト短調アレグロについて、小林秀雄は以下のような有名な一節を書き残しています。
敗戦直後の昭和21年の暮れに小林自身の編集による雑誌「創元」第一輯に掲載されたものです。

初出誌「創元」創刊号

「確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追ひつけない。
涙の裡に玩弄するには美しすぎる。
空の青さや海の匂ひの樣に、萬葉の歌人が、
その使用法をよく知つてゐた「かなし」といふ言葉の樣にかなしい。」


 「駆けめぐる悲しさ(tristesse allante)、言い換えれば、爽快な悲しさ(allegre tristesse)とも言える<テンポ>の速さと対照をなしている」(アンリ・ゲオン『モーツアルトとの散歩』高橋英夫訳)にインスパイアされているとはいえ、吉田秀和にもグルーバにも書けなかった名文。
小林秀雄の絶筆は、ゆくりなくもモオツァルトと同時代の「本居宣長」でした。

モオツァルトの絶筆は「レクイエム第8曲」LACRIMOSA(涙あふれて)。
楽譜には、彼自身の涙の跡と思われる滲みが残っていると言われています。

投稿者 diva : 15:38 | コメント (0)

2006年12月15日

一斗酒樽をつくる

今季は、大きな四斗樽(一升瓶が40本入ります)の注文が殆どだったのですけれど、やはり年末です、久しぶりに、小さな「一斗の酒樽」の注文をたくさん頂いたので、今日は一日中、一斗(18リットル、一升瓶10本分)の酒樽を作りました。何を作る時もそうですが、大きい物より小さい物の方が手間がかかります。
しかし、小さい物に大きい物より高い値段をつける訳にはいかないので困ります。
一斗樽以下、すなわち五升樽(9リットル)等は四斗樽を作るに等しい時間と技術を要すのです。

正月は酒樽!ですね。
おいしい樽酒を堪能して下さい。

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2006年12月14日

酒樽の鏡開き。あるいは祝賀のはじまり

かつて、日本中のお祝いの席には、必ず「四斗樽」が鎮座して、宴の中心になっていたものです。
ある日から、それがウエディングケーキに代わったり、二本縛りの一升瓶(酒の容器として最も悪いデザイン)になって行きました。
似非欧米文化に飽きた二十代の人たちから、「樽酒」が再評価されてまいりました。
とりわけ「鏡開き」が、「おしゃれ」なのだそうです。

鏡は、古鏡の形に似ていることから、樽の蓋の意味ですが、
縁起物ですから、「鏡割り」とは呼ばず、「鏡開き」といいます。
法被の意匠は少し考えた方がいいかもしれません。

灘の大手メーカーでも、吉野杉以外の材料を使った酒樽を安いからという理由で、
堂々と出荷していることは由々しき問題です。
清酒には吉野杉が最も相性がいいのです。
香りが全く違います。

2006年12月13日

漬物樽を味噌樽として使う

本来、味噌樽というものは、長く貯蔵して置くものなので、上の口を狭くして、空気に触れる面積を極力小さくする物なのです。ただ手間がかかるので、価格もそれなりに高くなってしまいます。

そこで、安い漬物樽を転用し、押し蓋の替わりに上に置き蓋をのせ、簡易味噌樽として使う方が増えました。味の違いは来年、味噌が出来上がって見ないと判りませんが、容量も大きくなり、お得感はあります。
伝統的な味噌樽も、製法を研究して、もう少し気楽に買える値段の物を開発するつもりです。

写真は東京のKさんの依頼による味噌樽に見立てた漬物樽。

2006年12月11日

樽屋の隣で餅つき大会

「たるや竹十」H.P.表紙の版画にあるように、「竹十」の中に明治時代までは神社がありました。
現在は「住吉神社」として独立しています。
そこに毎年、町内から大勢の人々が集まって、餅つき大会があります。
朝から夕方近くまで、何臼もつきました。

普段、顔を見たことはあっても、挨拶もしたこともない人たちと和やかに餅を丸めて(形は悪い)、
雑煮を食べたり、酒を呑み交わして、一日を過ごす様子は、下町ならではの風情です。
町内の餅屋さんと和菓子屋さん、米屋さん、酒屋さん、樽屋さんの協力もありますから、心強いのです。
つい、最近まで何処でもあった行事ですけれど、今では都市部では勿論、地方の村落ですら、
失われていった日本の原光景と言えます。

イタリアの山岳都市やネパールの奥地の村では、何処にでも見られる光景でしょう。

2006年12月10日

恵比寿ちゃんという名の漬物樽

セロリと茄子

友人のM君は、自家精米で出た糠を使い漬物を作っています。
「たるや竹十」の漬物樽に「恵比寿ちゃん」と命名して、毎朝、仕事に行く前に手入れをしているそうです。
殆ど、恋人状態と言えましょう。

画像(上左の写真)が悪いのですが、重石に使っている石は、彼が自分で採集してきた富士山の溶岩だそうです。
どんな石を使っても、漬物の味には全く関係ないと思います。M君だけの趣味でしょう。
決して、M君のまねをして富士山の溶岩を持ち帰らないようにして下さい。
国立公園ですから。

2006年12月9日

今年も漬物(つけもの)樽(たる)の季節になりました


今年は大根(学名Raphanus sativus)が豊作で、たくわん(正確にはたくあん)を漬けようとされる方が多く、漬物樽の御注文が急増して、
丁度、酒樽の時期と重なって、樽屋は大忙しです。
たくあんは12月生まれの澤庵 宗彭(1573~1645)が始めて作ったとも、
「貯え漬」が訛ったとも諸説あります。

たくあん漬には、二斗樽以上の大きさの漬物樽を使わなければなりません。
漬物樽に大根を入れる時は写真と違って、生えていた時と同じ方向、
すなわち縦に入れなければならないために、二斗の漬物樽(つけものだる)
もしくは、四斗の漬物樽(つけものだる)が必要となるのです。
どんな方向に漬けようと勝手ですが、ものを拵える時は自然の節理に逆らわないことが肝要です。

漬物樽(つけものだる)も山で植わっていた杉原木の姿通り「根」の方を底に持ってきて作っております。

2006年12月8日

夜の神戸に、またまた怪あらわる!!!









師走になると、神戸の町に不思議な光りが出現します。
ルミナリエという名前で、阪神大震災で亡くなった方々への鎮魂と避難所生活など厳しい生活を余儀なくされてきた被災者の皆さんへのねぎらいと励ましという大義名分は立派で、実際に美しいものなのですが、楽しみにされておられる方も大勢いらっしゃるでしょうけれど、会期中は地元の神戸市民にとって、少々迷惑。

会場周辺が交通規制のために、町なかに侵入できず、仕事に支障がおきます。
市内全体が当然、渋滞して酒樽の配達が遅れます。
地方発送の漬物樽の配達を依頼している運送会社のトラックがいつもの時間に工房に来てくれません。
街の中心地で開催されるので、恐ろしい人数の人出に、日常生活に必要な買い物が困難になります。
なじみの飲食店が他府県の人たちによって占拠されるので、外食が出来ません。
近隣の百貨店は近道兼トイレ化するだけで、売上はむしろ落ちるそうです。

元々、これは南イタリア、シチリア島で毎年行なわれる祭礼の灯火で、LUMINARIAと言います。
それを、真似て、派手にしたもので、神戸独特の名物ではないのです。
日本でいうとお盆の行事のような物で、たいそう宗教的なものです。アメリカやメキシコでも盛んだそうです。
これを、更に真似た**ナリエなどという珍奇な物も各地で発生しています。


LUMINARIA

本場のルミナリアは上の写真のように、ごく地味なものなのです。
シチリア大好きの樽屋も十数年前にラグーサで、はじめて見ました。

2006年12月6日

X’mas 用!!甲付(こうつき)特上酒樽(たる)





通常は全国各地の蔵元へ「甲付(こうつき)の酒樽」は送っていますが、今回、一般のお客様から、クリスマス用!!!に最上の酒樽を、という有難く珍しい御注文がありました。親方は、はりきって特上の吉野杉と真竹を選りすぐって、これ以上良い物は出来ないという酒樽をつくりました。(採算は度外視です)

こういう時は、手放すのが惜しくなります。手元に置いておきたくなる程の物を作りながら、次々と酒樽を工房から出して行くようにならないと一人前の職人とは言えません。



実は、この酒樽も、よく見ると作り直したくなる所が随所にあります。
完璧な酒樽をつくるには、未だ百年はかかりそうです。

2006年12月3日

山本六三 銅版画挿画と本の世界







山本六三さんの展覧会が京都でありました。
「ろくさん」が亡くなってから、もう五年になります。
没後初の展覧会でした。

関西の会場は氏と縁の深い「湯川書房」。
東京では昨年、啓祐堂ギャラリーで開催されています。

清酒党の山本六三さんは僕にとって銅版画の先輩であり、十代の頃は渡邊一考氏(彼も十代でした)と共に、文藝に関して計り知れない薫陶を受けた方です。
一度、「竹十」の樽酒を呑んでもらいたかったと悔やまれます。

当時、近所に住んでいた事から、よくアトリエに遊びに行って僕の絵を見てもらったりしていました。
いつも帰り際に、辻潤の「ですぺら」、吉田一穂の「海の聖母」、マラルメの「骰子一擲」・・・・・・・・・・・
と次々と知らない書物を見せてくれて、今度来るまでに、それを読んでおくようにと貸してくれるのです。
実存主義やヌーヴォーロマンに、どっぷりだった生意気盛りの若造には全てが衝撃的でした。

山本六三さんは「生活など家来に任せておけ」というリラダンの言葉を忠実に実践した方で、死ぬまで、一度も働いたことはありません。そんな時間があれば絵を一枚でも、書物を一冊でも、映画を一編でも観ろと忠言されました。見事な生涯です。
凡人が容易に真似の出来る事ではありません。



写真は亡くなられた翌年の2002年11月3日、山本六三さんのアトリエで
形見分けを兼ねて仲間たちが整理をした時の引出しの中。
使うことを拒否しているように見えるほど、きれいに整理されています。
愛用のビュランが数本見えますが、手入ればかりして殆ど使っていませんでした。

大月雄二郎、アルフォンス井上、山下陽子、戸田勝久、福永凋花、奢覇都館の広政かをる、元かわほり堂、現臥遊堂主人・野村竜夫、故山本芳樹等15名余(敬称略)が集まっての整理でした。

「たるや竹十」主人と幼なじみの大月雄二郎はパリから久々の帰国。
みんなが帰ったあと、二人で話し込んでいるうちに朝になってしまいました。
彼も山本六三さんから若い頃、数知れない影響を受けています。
大月雄二郎も僕も、兄貴分「ろくさん」に多大な迷惑をかけた一人でもあるのですが…

のちに彼は本当に「ろくさん」の義弟になりました。

このアトリエは、その後、解体されて消えてしまいました。



投稿者 diva : 08:06 | コメント (0)