2006年12月3日
山本六三 銅版画挿画と本の世界
山本六三さんの展覧会が京都でありました。
「ろくさん」が亡くなってから、もう五年になります。
没後初の展覧会でした。
関西の会場は氏と縁の深い「湯川書房」。
東京では昨年、啓祐堂ギャラリーで開催されています。
清酒党の山本六三さんは僕にとって銅版画の先輩であり、十代の頃は渡邊一考氏(彼も十代でした)と共に、文藝に関して計り知れない薫陶を受けた方です。
一度、「竹十」の樽酒を呑んでもらいたかったと悔やまれます。
当時、近所に住んでいた事から、よくアトリエに遊びに行って僕の絵を見てもらったりしていました。
いつも帰り際に、辻潤の「ですぺら」、吉田一穂の「海の聖母」、マラルメの「骰子一擲」・・・・・・・・・・・
と次々と知らない書物を見せてくれて、今度来るまでに、それを読んでおくようにと貸してくれるのです。
実存主義やヌーヴォーロマンに、どっぷりだった生意気盛りの若造には全てが衝撃的でした。
山本六三さんは「生活など家来に任せておけ」というリラダンの言葉を忠実に実践した方で、死ぬまで、一度も働いたことはありません。そんな時間があれば絵を一枚でも、書物を一冊でも、映画を一編でも観ろと忠言されました。見事な生涯です。
凡人が容易に真似の出来る事ではありません。
写真は亡くなられた翌年の2002年11月3日、山本六三さんのアトリエで
形見分けを兼ねて仲間たちが整理をした時の引出しの中。
使うことを拒否しているように見えるほど、きれいに整理されています。
愛用のビュランが数本見えますが、手入ればかりして殆ど使っていませんでした。
大月雄二郎、アルフォンス井上、山下陽子、戸田勝久、福永凋花、奢覇都館の広政かをる、元かわほり堂、現臥遊堂主人・野村竜夫、故山本芳樹等15名余(敬称略)が集まっての整理でした。
「たるや竹十」主人と幼なじみの大月雄二郎はパリから久々の帰国。
みんなが帰ったあと、二人で話し込んでいるうちに朝になってしまいました。
彼も山本六三さんから若い頃、数知れない影響を受けています。
大月雄二郎も僕も、兄貴分「ろくさん」に多大な迷惑をかけた一人でもあるのですが…
のちに彼は本当に「ろくさん」の義弟になりました。
このアトリエは、その後、解体されて消えてしまいました。
投稿者 diva : 08:06 | コメント (0)
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