2015年2月26日
酒樽(さかだる)に腹書きを刷る
最近では酒樽の正面に紙のラベルやシールを貼る事が一般的ですが、
少し前までは何枚かの型紙を組み合わせて「腹書き」と呼ぶ方法をとりました。
そのためには酒樽(さかだる)の正面には段差があってはならず、
細心の注意をはらって「目違いかき」という細い刃物で樽を仕上げたものです。
今でも、いくつかの蔵元では この面倒な手法をとって裸樽(たる)に趣きを添えてくれています。
2014年9月5日
町の食堂で供される「たる酒」
2014年6月19日
昭和三年の酒だると一升瓶
昭和3年、江戸明治の古くさい物を駆逐しつつ、
欧米のモダンな文化を積極的に導入しようと模索していた、
たいそう楽しくて不思議な時期であります。
雑誌『化學知識』四月特輯「人造品發展號」より
理研酒試作工場の風景であります。当時最新の設備の筈ですが、
��今、注目されている「理研」の前身かも)
容器は四斗甲付樽と陶器栓付き一升瓶。
まだまだ酒だるが主流だった時期です。
人造バター、人造香料、人造宝石などなど、今では当たり前の品々が特輯されております。
写真は現代、普通に流通している「人造清酒」製造の実験現場。
米を使わずに清酒を作る事を真剣に研究しております。
このあたりから清酒の中身がおかしくなり始めたのでしょう。
それらはともかく、見事な出来の酒だるです。
2014年6月18日
樽(たる)が「はしゃぐ」と𥶡(タガ)が外れる
しっかり拵えた酒樽(たる)も風雨に晒され、直射日光を長い間浴びておりますと、
側が乾燥して痩せて来ます。
真っ青だった竹タガは飴色に変色していますけれど、決して緩んではいません。
��写真の樽は日差しが強過ぎたのか飴色ではなく、色が抜けて白っぽくなっています)
側面の杉板の榑(くれ)が縮んだだけです。
「タガが緩んだ」という謂いがありますが、そう簡単に𥶡(タガ)は弛むものではありません。
そして、こういう状態の樽(たる)を称して「はしゃいでいる」と言います。
側が一枚一枚勝手な方向に縮んで跳ね回って、まるで子供達が騒々しく遊ぶ様を
「はしゃぐ」と言うのです。
最後には、こんな風にバラバラになってしまいます。
すなわち、どこにも木工用接着剤を使用していないという証拠です。
2013年10月20日
伊豆大島の酒樽(さかだる)
台風26号の影響で大変な被害を受けている伊豆大島ですが、未だ埋まったままの人もたくさんいるというのに季節はずれの台風27号がやって来て救援活動も一時中止なのが大変無念です。
伊豆大島では酒樽を使って海水による塩業が盛んで、運んでいる樽(たる)は塩用だったかも知れません。たるや竹十が贔屓にしている天然塩製造の熊本や天草の塩業の方々も元は伊豆大島を手本にしたと言います。
龍ノ口遺跡を紹介したのが坪井正五郎であることは余り知られていないようです。
右側の女性が頭に載せている物は何か不明です。当時から女性の労働力に負うところが大きかった画像です。東南アジアの各国では今でも男より女性がよく働くのが特徴です。
さるにても日本に限らず最近は異常気象が非常に多く、地球も段々おかしくなって来ました。
写真は衣装や風俗から見ても戦前のものと思われます。
左の女性が担いでいるのは四斗(72リットル)樽ですけれど、軽々と持っているところから空樽(からだる)でしょう。四斗樽の中へ実際に酒を容れますと80キロ位になるので相当な力持ちでも持ち上げられません。昔はフォークリフト等がなかったので、とんでもない力持ちの人が酒樽の運搬に従事しておりました。樽運びに専従している職業もあって、その専門的な職業名は失念しましたが、鬼留だとか力石とか相応しい姓でした。神戸では後に大きな運送会社に発展した事業所も何カ所かあります。
2013年6月20日
欧羅巴での古樽(たる)の使い方
2013年2月24日
一度使った酒樽(さかだる)を再生する
2013年1月28日
2012年1月19日
正月気分が終わった頃の酒蔵
2011年8月20日
宙に浮く四斗樽(たる)
宙に浮く程、たくさんの四斗樽が樽屋の前に並んでおります。
一度使用した酒樽を一空樽(いちあきだる)と呼びます。
かつては大手の蔵元が一度使った樽を「樽屋竹十」が手直しして、
中小の造り酒屋へ納められて、リユースされていた訳です。
最近、また一空樽の流通が活発になってきて、中古の酒樽を廉価にて
提供出来るようになりました。
買い取って来たままの現状渡しが一番安くいのですが、傷みも早くなります。
よく樽を乾燥させてから、竹のタガを層替えすれば新品同様になりますけれど、
それなりの価格になってしまいます。
アルコールがしみ込んで,灰汁抜きも完了している訳ですから、
当日から漬物や味噌をつくる事が出来るという即戦力と価格が魅力です。
2011年7月23日
酒樽の菰巻き 鏡開き樽編
大暑であります。暑い筈です。
この日は本来の藁による菰(こも)ではなく、ビニール菰(通称PP)を使いました。
本物の菰は長くて良質の物が手に入りにくくなり、
残念ながら、太い縄が途中で足らなくなり、急遽別の縄を繫いだので少々変です。
日を改めて正式な動画を公開します。
前回の一斗樽と違い、これは四斗樽なので、酒が入ると100kg近くになり、
大暑のような時期に四斗樽の注文がある事は稀ですが、酒樽最盛期の真冬でも、
クーラーを付けて、シャツ一枚になっても、まだ汗まみれという程の重作業なのです。
こも巻きと言えば、酒樽のそれより松の害虫駆除の方が知名度が高いのですが、
木の幹に菰を巻く古くから続く風習には余り効果がないことが最近判ってきたようです。
2011年5月29日
吉野杉製木製樽の「アクヌキ」
木製樽の中に水を張っておくと、このように灰汁(アク)が抜けます。
「アクヌキ」前の画像は順が逆になりますが、参考のために後日UPします。
漬物や味噌を作る前に木製樽に半分程度の水を張って一昼夜ほど放置すれば「アクヌキ」は完了します。
米の研ぎ汁を使い、樽の8分目ほど張る方もいらっしゃいますが、水やぬるま湯でも大丈夫です。
この作業を怠ると出来上がった漬物等に吉野杉の香りが付き過ぎて、木を食べているようになってしまいます。
更に、保管が悪かった木製樽は隙間が空いてしまうので、水を張る事により杉を膨張させて、
洩れを止めまることが出来ます。
同じ木製樽でも酒樽の場合は、敢えて「アクヌキ」を施さずに軽く内部を水洗いして酒を詰める蔵もあります。
但し,この方法では賞味期限が発生します。
嗜好品なので、味の好みに個人差があるというものの、
今頃の時期は特に湿度が高くて木の香りが付き易いのですが、
幸い台風のせいか気温が低いので三日から四日後位が飲み頃でしょう。
吉野杉の木製樽の上で封印された星
封印された星( L'Étoile scellée )とも言う。かつてパリにあった画廊と同じ名前である。
木製樽の蓋を「鏡」と呼び、そこの穴を埋める木栓を「星」と呼ぶ事を
ANDRÉ BRETON や瀧口修造さんが御存知だったとは思えないけれど。
2010年12月4日
野田から醤油樽(しょうゆだる)の研究者来たる
「野田の樽職人」の著者小川浩氏が千葉県から樽屋竹十に樽の調査に来られました。
醤油樽(しょうゆだる)の研究を長く取り組んでおられます。
一日ご一緒させて頂き、こちらも学ぶ事が多々ありました。
かつて民俗学者 宮本常一氏が監修されていた、近畿日本ツーリスト発行の小冊子「あるくみるきく」の内、「灘五郷の樽と桶」の号に小川氏も寄稿されています。
最近、この雑誌が単行本にまとめられ関東編から順に刊行されていますので、
そのうち皆さんの目に留まる筈です。
2010年10月23日
連日の穴あき木製樽(たる)作り
特殊な木製樽(たる)の依頼が連日続きます。
今日は和菓子屋さんが材料を蒸す時に使う木製樽(たる)で、
やはり側面に直径48㎜の穴をあけて欲しいという依頼。
普通、木製樽(たる)に穴を開ける場合は出来上がってからで、
しかも、六分か八分の二種に決まっています。
今回は穴が大きいので、樽(たる)を作る前に堅そうな材料を選んで、
あらかじめ穴を開けておいてから、組み立てました。
和菓子の製造工程に於いて必ず木製樽(たる)でないといけないそうです。
今まで何十年使って来た木製樽(たる)に寿命が来て使用不能になったそうです。
この樽(たる)も、和菓子製造のどの工程で使われ、
使用方法について簡単な説明を受けましたが、
樽屋(たるや)はあくまで単なる作り手でしかありません。
実際の使い方の具体的な詳細は不明ですけれど、
他の容器ではなく、木製容器の木樽(たる)でなければならない事には違いはありません。
ただ、日本の伝統文化継承の一環の手助けになっている事には違いありません。
プラスチックや陶器、ガラスでは適さず、木製容器でなければならない業種は、
他にもたくさんあります。
2010年10月20日
露天風呂に木製樽を使う
今月は本当に変わった木製樽の依頼が続きます。
樽屋竹十が作る木製樽(タル)は全てが手作りのオーダーメイドですから、
殆どの依頼に応じる事が出来る訳です。
写真の木製樽は、ちょっと見ると漬物樽(タル)のようですが、
実は樽(タル)の横に大きな穴を開けて、湯を出し入れするそうです。
銭湯で使う事だけは知らされているのですが、詳細は不明です。
最初,二斗樽(タル)を注文して下さったのが、実際に現場に届くと大き過ぎるという事で、
急遽、一斗樽(タル)に変更。発送し直しました。
H.P.に実際のサイズを表記していても、現物を目にすると多き過ぎたり、小さ過ぎたりと、
交換せざるを得ないことが一年に一回はあります。
木製樽(タル)は日常的に目にするものではないので、仕方がありません。
2010年4月10日
昔の木製樽のように、丈夫な底と蓋をつくる
ほんの20〜30年程前、大量に均一の酒樽を製造しなければならない時代があり、
そのために多くの樽屋は木工用の接着剤を多用し始めました。
「たるや竹十」でも、その手法が残ったままになっておりました。
考えるところがあって最近、木製樽の製造工程上、本体の樽にはもちろん、蓋(ふた)にも底にも化学物質を含む接着剤を一切使わない事にしました。
江戸時代までさかのぼらなくても、昭和の中頃までは樽をつくる際に接着剤を使いませんでした。
需要が少なくなった今となっては、かつての伝統的な手法を復元する事が
少々手間はかかりますけれど川上産の吉野杉のみを用いた良質の木製樽を作る唯一の手段だと判断したからです。
底や蓋においては数枚の杉板を継ぐ際に接着剤の替わりに竹釘を使います。
漬物樽や味噌樽の押し蓋と上蓋も接着剤を使わずに竹釘を使用し、
更に厚みを2センチ程の丈夫な吉野杉の板目材を使う事にしました。
写真の上が新型。見た目は悪いですけれど、丈夫で安全です。
尚、例外として食品の容器ではない樽太鼓とディスプレイ用展示樽の蓋の一部には、
接着剤を使う事が未だありますが、御容赦下さい。
いずれ全ての木製樽を接着剤未使用にして行く積もりです。
2010年1月20日
酒樽以外の木製樽各種を発送する
2009年12月15日
木製芯樽の復活を望む
2009年2月9日
酒樽屋のお八つ 其の拾漆
ご存知「バウム・クーヘン」です。
BAUMKUCHEN,すなわちドイツ語で言う所の「木のケーキ」です。
本当に年輪に似ていますね。
樽屋は職業柄どうしても、食べる前に木目を読んでしまいます。
これですと、およそ40年もの、未だ樽にするには若すぎますが味は良いと思います。
バウムクーヘンは必ず、柾目に取ります。
こちらは、吉野の川上村から来た200年ものの「年輪」
見事な物ですが、残念ながら食べられません。
もうひとつあったのですが、向かいの酒資料館の方が花台にしたいと所望され持ち帰られました。
未だ,切ったばかりですから水が出て来ますし案外重い物です。すぐに割れてしまいますから、花台には既に割れたものを差し上げました。
写真のものは真ん中が既に割れ始めております。この中心部の黒い部分は未だ湿っていますが、良い木目なので、若い頃に良く手入れされた証拠です。
この部分は酒樽には使いません。
一番外側の白太の部分も未だ湿っています。
因に、この木は上の部分が北側を向いて生えていたものです。
バームクーヘンは西武池袋店にあるカステラ屋さん黒船の黒糖入り
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