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2014年6月14日

酒だる屋に竹を運ぶ

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竹やぶに生えている丸竹は日本中に自生し過ぎて困っている状態なのですが、
酒だるに使う竹は同じ竹でも、決まった長さと幅に割った後、肉を削ぎ、面を取って、
𥶡(タガ)の元となる輪竹材が出来るのです。
今は、たるや竹十の近くの竹屋さんで竹は作ってもらっています。

樽(たる)に使う竹は冬に切ったものでなければならず、
竹屋さんは冬の間に一年分を確保しておきます。
保管場所も広い敷地を要します。

酒だる製造工程の中で「竹」の部分が一番大変かも知れません。

2013年11月13日

樽(たる)用の竹が到着

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かつて樽(たる)のタガに使う竹は京都の嵯峨野から、その後は少し南の大山崎から、
運んでおりましたが、ここ近年は前二カ所の竹の大量伐採が不可能になったので、
六甲の裏山、有馬近郊の薮に入り切り出して来ます。
日本中に竹は必要以上に自生しており、樽(たる)や桶(おけ)を作る人も数少なく、
壁下地に使う細い竹、海苔栽培の筏用竹、箒(ほうき)の柄などに竹を使う機会が激減し、
更に中国産の安い竹に駆逐され、ハタキの柄等は殆どプラスチック化、
それ以前にハタキ自体も余り見かけませんね。
原竹(丸いままの竹)を麓の工場まで運んでくれていた業者も少なくなって来ました。
寒い時期に足元がぬかるんでいる上に重い竹を担ぎ出すのは重労働なのです。
長い竹の運搬も容易ではありません。

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今、神戸で和樽用の竹を割る事の出来る職人は二人だけになってしまいました。
原竹の入手も困難ですが、和樽繁忙期の年末になると竹を割って削る職人の手配にも苦慮します。吉野杉と樽丸職人の関係より事は深刻かも知れません。

2013年10月11日

𥶡(タガ)転がし用の竹タガを探して酒樽屋(さかだるや)へ来客

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「樽(たる)転がし」や「箍(タガ)転がし」という懐かしい遊びがあります。
昔は現代の様に高価な玩具やゲーム機などがありませんでしたから、
身近にある「樽(たる)」を遊び道具に使っていたものです。
ことほどさように、最近まで「樽(たる)」や「箍(たが)」が生活の一部だった訳です。
今では𥶡(たが)を探して京都から電車で来店される時代になってしまいました。
京都の桶屋さんは高級になり過ぎて竹タガを用いず、銅(あか)タガを巻く方が主流のようです。

2011年12月29日

酒樽(たる)が笑う

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酒樽(たる)の周囲に竹の箍(たが)を巻いて締め付ける工程ですが、
いつもうまく行くとは限りません。
竹(輪竹とも謂います)の素性が悪いと、時には丸く巻けない事もあります。
こういう状態を職人達は「樽(たる)が笑う」と呼んで蔑視するので、
笑われた職人は面倒でも竹を巻き直さざるを得ない訳です。
こういう習慣が自然と技術向上に結び付いて行ったのでしょう。



2011年9月10日

建築用の足場に竹を使う

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この竹の束は酒樽のタガを作る為に用意しているの物ではありません。建築用なのです。

東南アジアでは今でも建築物の足場用に丸竹を使います。主にマダケです。
日本でも、つい最近まで杉の間伐材を用いていました。
極めて少なくなりましたが、今でも小さな現場等では細い足場丸太をバン線で結わえて使う事もあります。
少々技術を要します。

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今では既成の金属製足場材を組立てて、小さなビルなら丸ごとを二日程で養生してしまいます。
歩み板も杉材からアルミ製に変わりました。
この時、現場で作業しているのは殆ど東南アジアの人々です。
解体する時は殆ど一日で完了です。

2011年8月19日

木製樽に竹タガを巻くのも容易ではない

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殆どの木製の杉樽にはマダケ(真竹)を割って、削り「輪竹」という物を作り、
これを周囲に巻くというより、編むに近い「結う」という工程を経て竹箍(タガ)をこしらえます。
ただ、夏の時期には竹を伐るべきではなく、既に去年の冬に薮から伐り出して来た竹を使います。
この一年分の大量の竹の管理が容易ではなく、日に当てて褪色させたり、硬化させてもいけないし、さりとて大事に奥の方へ仕舞い込むとカビが発生したり、腐ったりします。

写真の竹は質が悪くなって結う折や締める際に切れてしまった破片の山です。
これも知人のイタリア人の手に渡り、別の用途に使われます。
竹は油分を多量に含んでいるので燃やすと相当な高温になりますが、直ぐに消えてしまいます。


2011年1月3日

日本の文化に竹は不可欠。杉も又しかり

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竹の清々しい青さは新年には何より合い相応しいものです。

歳寒三友は「山水」「松竹」「琴酒」
歳寒二雅が「「梅」と「竹」

竹が無ければ新年が迎えられない様に。竹が無ければ木樽(たる)をつくる事も出来ません。




2010年9月3日

たがや 落語に登場する「箍(たが)」

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両國花火之圖(六枚續の上部三枚) 歌川豊圖 文化年間 江戸東京博物館所蔵

樽(たる)や桶(おけ)の周囲を結っている竹の輪を箍(たが)と呼びます。
洋樽では竹ではなく金属を使い、アジアの各地では葛(かずら)の場合も見られます。
日本でも桶(おけ)の場合は銅製針金を捩ったものや、
金属板で本体を支えることもあり、これも箍(たが)と呼びますが、
たが屋と言えば竹冠のとおり、竹箍(たが)が通例です。

痛んだ桶や樽の修理を請け負う仕事が、日本中どこにでもありました。
関西では「輪替屋」、関東では「たがや」と呼んでいたようです。
お櫃(ひつ)や盥(たらい)等ちょっとした、木製品を気軽に修理してくれる仕事です。

たがやという掛け声の「落げ」の落語が有名です。
「たまや!_」と掛けてているのでしょう。
三代目金馬、五代目志ん生、三代目志ん朝などが有名ですね。

故志ん朝師匠の「たがや」其の一其の二其の三を拝聴してみましょうか。(注 計20分ばかりありますよ)

師匠、最近じゃ「たがや」の何樽(なんたる)かを「枕」で説明するのに往生しそうですな。

「桶屋」はかろうじて復活しつつあり、「樽屋」も清酒が無くならない限り続きますけれど、
残念ながら「たがや」や「輪替屋」は「鋳掛屋」同様、皆無になってしまいました。
結局、「たるや竹十」に全国から輪替えの依頼が来るという奇妙な事態になっております。
日本中に「輪替え」を待っている桶や樽が無数にあるというのに。

折角、皆さんが桶や樽の良さに気が付きはじめて下さったという時には、
既に職人がいなくなっていました。
万博前後に台頭したプラスチックの功罪は想像以上に大きいようです。

2009年4月18日

酒樽(たる)に使うための竹を保存する

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暖かくなってまいりました。
この季節には竹も杉も伐採出来ません。
寒い時期に切って置いた竹を、これから秋までの間に作る木製樽のために大量に保管しなければならないのです。
写真は最も細い竹の根の部分、即ち「元」の束です。

昔は、夏の間は木樽を全く作らないものでした。
この時期には底や蓋を作ったり、完全に長期休暇をとったりしておりました。
暮れに、それを補って余る程大量の酒樽が出荷されていたので、のんびりした夏を過ごす事が出来た訳です。
残念ながら、最近は正月に大きな酒樽で酒を呑む習慣が少なくなって来たので、
静かだった酒樽屋の夏も過去の話になってしまいました。