2008年12月20日

連日、酒樽(さかだる)を出荷

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今日もまた酒樽屋は酒樽(さかだる)をつくり、荷造りします。
酒樽屋の十二月とは毎年こんな日が続きます。

勿論この他にも近所の蔵元に酒樽(さかだる)を配達している訳です。
ここは灘五郷。

2008年12月18日

毎日、酒樽屋は酒樽(さかだる)を梱包

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今日も酒樽(さかだる)屋から全国に酒樽(さかだる)が発送されます。
��2月だから当然なのですが、酒樽以外に木樽の良さが見直されて漬物樽(つけものダル)の発送も多くなっております。



2008年12月17日

酒樽屋 各種類の樽(たる)を全国へ発送

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酒樽屋も師走になりますと、酒樽(さかだる)以外に漬物樽(つけものダル)、味噌樽(味噌ダル)、樽太鼓(タイコ)等々。
各種の樽(たる)を全国に発送するので、忙しくなります。

こんな季節ですから、酒樽に次いで注文が多いのは漬物樽(つけものダル)でしょうか。



2008年11月19日

酒樽屋が出入りする蔵元が作った奈良漬

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酒樽屋はかつて、蔵元と対等の立場にはなく、あくまで出入りの業者の一人でしかなかったのですが、ここまで日本に於ける酒樽屋の数が減って来たりしますと、二者の関係は密になって来ます。
先日、酒樽の配達に参りました折、自作の(販売はしない)奈良漬とお茶を出して頂き、たいそう恐縮しました。
昔は酒樽屋は蔵元の店先で失礼するもので、逆はあっても このような例はありませんでした。
帰店後、画像を見て時の推移を感じる酒樽屋でありました。

書き忘れました。
肝心の「奈良漬」ですが、美味しいのですけれど絶対に市販はしないのだそうです。
酒樽屋は奇しくも珍品を頂いた訳です。

2008年11月13日

酒樽屋がつくる漬物樽(つけものだる)

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晩秋です。いえ、立冬も過ぎたのでしたね....................
酒樽の季節なのですが、漬物の季節でもあります。
酒樽屋では酒樽製造と平行して、漬物樽(つけものだる)
を作っております。


画像は二斗漬物樽(つけものだる)の中に一斗漬物樽(つけものだる)を入れ子にしたもの。
一個口になるので、運送費が安くなります。

2008年11月12日

酒樽屋の恩人古書店主死す

酒樽屋が十代の頃から、お世話になっていた大阪の古書店「浪速書林」の主人梶原正弘氏が昨日、急逝されました。
葬儀は明日13日正午、大阪府池田市新町1−16
弘誓寺(ぐぜいじ)
酒樽とは何の関係もありませんが、ご専門の近代文学とは縁のない酒樽関係の資料蒐集に随分協力して下さいました。

ご冥福をお祈り致します。

2008年11月11日

酒樽屋の前に並ぶ末竹

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酒樽(さかだる)の箍(タガ)には竹の中でも真竹のみを使います。
細工しやすく、かつ強度があるからです。

根元の部分「もと」と写真の先の部分「すえ」は切断します。
それらを使って竹杓や取手、竹釘、ささら、等を作り、残りは消却します。

何故か竹は材木より火力が強いので、冬は自宅のストーブに投げ込んで暖房用に使い、
夏は友人のピザ屋さんが軽トラックで取りにやって来てイタリア食材と交換します。



2008年11月7日

酒樽屋に酒樽が戻って来る

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世に瓶詰めの樽酒というものが流通しております。

一般に酒樽そのものを使う機会はそんなに無い事ですから、樽酒の普及の為には
有り難いことですし、皆さんも手軽に樽酒を呑む事が出来る訳です。

もちろん本当に清酒を酒樽に詰めて、木香を取るのですが、
この蔵元が使っている木香取り用木樽は、いわゆる甲付樽(こうつきだる)
ゆっくり、ほんのりとした杉の香が酒自身の芳香と数日の貯蔵期間の間にうまく、
あいまって樽酒特有ののどごしが生まれます。
ただ、ここの酒樽は甲付樽ですから、樽酒に使った後の処理に困ります。
つまり、外側の白い部分が水に弱く、長期保存用の容器には向いていないのです。

フタを抜いて漬物樽に使うには赤味樽あるいは中赤や黒樽の方が向いております。

物事には用途に適したものを使うという事が大事です。
シルクのスーツを着てマラソンに参加する人は どこにもいないでしょう。
この「甲付たる」は酒樽屋竹十の職人が一旦全部分解しフタやタガを新たなものに取り替えて、展示用や樽太鼓に改造し再利用します。

また、残念な事に底蓋と側などすべてに吉野杉を使っている蔵元は数える程です。
秋田杉や肥後杉、周山杉、木曽杉などは樽酒には向いておりません。
やはり、清酒には吉野杉が一番です。その中でも川上村産が最高です。
殊に、酒に最も長い間 触れている底(そこ)には必ず吉野杉を使うべきなのです。
酒樽屋竹十の酒樽は吉野杉を使っております。

2008年11月5日

再び消えた「樽廻船」

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路上を奇妙な形のバスが走っております。
普通のバスではないと気づき、酒樽屋が後を追いかけて行くと

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なんと数十人の乗客を乗せたまま、バスは海の中へ!!!!!
水陸両用バスだった訳ですね。
ここは神戸市灘区および東灘区で唯一、歩いて海へ行ける地点で、
樽屋竹十のすぐ近くです。

つまり、かつて酒樽を満載した樽廻船(たるかいせん)が江戸に向かった浜なのです。

スプラッシュこうべ」という企画だそうです。「飛沫」という意味ですね。
海に入る時には、確かに乗客も水浸しになります。
そういう理由ではないのでしょうが、現在は神戸市中央区のメリケン波止場からしか海には入らなくなり、灘の浜から定期的に かつての樽廻船のごとく船が出てゆく光景を眺めることは
出来なくなってしまいました。

はじめてこの企画を耳にした時は中央区の波止場から海上を遊覧し樽屋竹十横の浜に着くのかなと想像していたのですが、実際は余りに危険なので樽屋竹十付近を少し周海するだけでがっかりしました。



2008年11月4日

酒樽屋の今月の自転車 銀座のチネリ

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銀座 伊東屋のウインドーに何故か80年代のチネリのロードが,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,

左のホイール振れ取り台や小物を見る限り、どうやら横尾双輪館あたりに協力を仰ぎ、
展示した模様です。
コンポーネンツはカンパニョーロのグランスポルトですが、CINELLIのロゴは新しい方。

実際はここで大々的に売っているフライターグをメッセンジャーよろしく肩にかけろというつもりなのでしょう。





酒樽屋の「手前味噌」

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味噌だるの御注文は全国から頂くのですが、
恥ずかしながら、樽屋の親方もその女房も味噌を作った経験がなく、
皆さんの様々な問合せに対し具体的に返答する事が出来ず困っておりました。

味噌だる自体は売るほど持っているのですが、味噌をこしらえるのは初めてです。
今年の冬に、友人からもらった大豆、樽屋竹十が納めた木樽で作られた天草の塩、
そして麹は泉酒造の西野さんに分けてもらった山田錦の米麹と いい材料で仕込みました。

初めてながら、ご覧のように美味しく出来ました。
表面の白い黴はチーズのそれと同じで害はありません。



2008年11月2日

酒樽屋が出荷する樽太鼓

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さる幼稚園からの依頼で樽太鼓をたくさん出荷しました。

本来、この時期は樽太鼓の注文が止まり、漬物樽、味噌だるの注文へ移行する頃なのですが、
祭りや音楽会が終わりますと樽太鼓も相当痛みますから、来年用に新調される方もいらっしゃる訳です。
この幼稚園は少し時期が遅くて、11月に音楽会を催されるらしく、樽太鼓が急遽必要になり、
注文下さったようです。
樽屋竹十の樽太鼓の在庫は他の木樽に比べると多い方なのですが、手持ちの樽太鼓では数が足らず、
慌てて、残業して納期に間に合わせました。
ですから、樽屋竹十には樽太鼓の在庫は今はありません。
来週、酒樽を作る合間に又、30個ばかり作らねばなりません。

写真の右に写っている丸いものは、醸造用桶の底です。
これも分厚い吉野杉で出来ております。



2008年11月1日

十一月、霜月、昴宿、漬物だる

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ようやく、「秋」です。植物の季節です。
紅葉もしていないし、昼間はシャツ一枚でないと暑かった時期が続きましたが、
ここのところ、朝晩涼しいどころか寒くなって来て、風邪を召される方も続出。
このまま一気に「秋」を飛ばして「冬」に突入の兆しです。
日本だけが持つ「秋」の期間が年々、短くなって行くような気がします。
確か「春」の頃もそうでした。
日本特有の四季というものが無くなって、夏と冬だけになってしまう時代が来るのも
時間の問題かも知れません。

写真は酒樽を再利用した植木樽ですが、
暦によれば11月は大根を漬けるのに最適な時期、漬物だるの注文が増えております。
つまり、「たくあん」作り用ですね。

漬物だるも某国製のプラスチックでは気味が悪い、陶磁器のカメでは水が上がる
というので、吉野杉製の漬物だるに代える方が殆どです。



2008年10月31日

爆発寸前の漬物樽(だる)

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これは、日本ではなく北フランスの光景です。
どこの国でも木樽は年々減って来て石油を原料とした化学物質製の容器が99%を占めるようになりました。

この容器は草入れに使っていますが、余りに大量に入れたためと経年による劣化のために
側面が割れて来ております。ますます亀裂は広がって、爆発するのは時間の問題でしょう。

こういった人工樹脂による容器は安価で扱いも簡単なので1970年頃から急速に普及した事は皆さんの家の中にある各種容器をご覧になればお判りかと思います。

ただ、その反面、どの町にもあった桶屋さんが壊滅状態になり、樽屋も需要が激減しました。
また外材に押されて内材が売れないものですから日本の森林も手入れをしないものですから、
荒れ放題になってしまいました。
竹もしかりです。
今頃になって、昔の方がよかったから元に戻せと言われても、手遅れです。
職人もいなくなり、技術の伝承もされることなく消えてしまいました。


「たるや竹十」では、古い資料を参考にして昔の製法を復元し、材料は各地の業者の協力のもとに良質の木樽を作るよう心がけております。




2008年10月29日

酒樽屋を撮るアマチュアカメラマンとウーマン

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酒樽屋も観光地化してきて、アマチュアのカメラマンや日曜画家たちがよく来訪します。

左側に見える出来立ての酒樽よりも
「たるや竹十」の店先に並んでいる古樽がお気に入りのようです。
古樽やタガを並べている木製の棚は醸造用の桶を干すためのもので、決して古い酒樽(さかだる)を並べるためのものではありません。
普通に「たな」と呼んでいますが、特別な呼び方があるのかも知れません。
暖気樽を乾かす棚はもっとシンプルな形をしていて「ぬくめだな」と呼びます。



2008年10月27日

酒樽屋のお八つ 其の貳拾肆

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地元では知らない人はいない「大西商店」の焼きまんじゅうです

注文を受けてから三代目の店主自ら焼いてくれます。(一人で切り盛りしているのですが)
ご覧のように、この日は5個頼んだのです。
自家製の美味しい餡とカスタードの二種あり。
一個なんと80円
どこのデパ地下に行っても売っていませんよ。
たこ焼きも人気商品のひとつ。

夏になると、「アイスもなか」が人気になります。
何故か今の季節でも「かき氷」が食べられるのも不思議です。
店内でも食べられるようになったのですが、扉は開けっ放しですから。

神戸市東灘区御影本町 2-17-10
10:00~20:30頃

078-811-2114
不定休






2008年10月26日

新潟の樽太鼓(たるだいこ)




秋祭りにおける樽太鼓の極めつけは、やはり「にいがた総おどり」でしょう。
かつて農民たちが三日三晩、樽太鼓を叩き下駄を鳴らして踊り続けたという祭りを
地元の若い有志たちと企業の協賛を得て復活させ、動画の中心で樽太鼓を叩いている永島鼓山先生の指導の元、祭り好きの若い男女の共鳴をバックに今や新潟を代表する祭りに発展しました。
たるや竹十へもメンバーの一人佐藤さんがわざわざ訪ねて来てくれて、強いバチにも耐えられる特殊な樽太鼓を何種も試作し、現在の新潟専用強化型樽太鼓が完成しました。

来年こそ、この祭りに参加するつもりでおります。

  水の新潟〜〜〜〜〜〜〜〜
 
  末は万代ばんだい はしゃ長い はしゃ長い
  とんとと たたけよ 樽たる砧 きぬた 港にお船が よってきた
  (サアサ ハラショ ハラショノロンロン) 北原白秋作詞「新潟小唄」

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新潟樽きぬた ~明和義人口伝~ という本が出たというので、昨年早速注文しましたが、
残念ながら、内容は「祭り」から少し外れていました。



2008年10月24日

金比羅山に酒樽を発送する

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四国の金比羅宮の祭に「流し樽」という儀式があります。

宮本昌孝氏の「こんぴら樽」という小説の冒頭で簡略に説明されているので紹介します。

「こんぴら樽(だる)」。
流し樽、流し初穂ともいう。
金比羅参りをしたくとも、自分では参詣出来ない者が[奉納金比羅大権現]の旗を立てた
空き樽に初穂料を入れて、これを海に流すという習わしである。
俗謡にいう。

 沖のかもめか こんぴら樽か
 今もゆらゆら 波の上

こんぴら樽を拾った者は、金比羅宮へ代参して、これを奉納しなければならぬ。」

  講談社 1995年初版 後に改題して文庫化 初出同年刊「季刊歴史ピープル」初夏号
                           「りや女の仇討ち」を改題

今では、地元の各企業が祭に協賛して各社の旗を酒樽に付け、
海には流さず直接、金比羅宮に奉納するようです。
一空樽(一度酒樽に使った古樽)が現在は入手し難くなって来たので、
樽屋に新しい酒樽の注文が入ります。
奉納する酒樽ですから、普段より襟を正し、材料も心持ち良いものを吟味して作ります。

写真は昨年、若冲と応挙の展覧会を観に行った折に最上段まで登って撮影したもの。
因に酒樽の中でも上段左の縄の架かっていない物は本当に酒樽として使われた「一空樽」で
「たるや竹十」製ではありません。

全ての酒樽には三ツ輪掛けという特殊な縛り方の縄を掛けて奉納します。



2008年10月23日

酒樽屋の前を神輿が通る

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まことにローカルな町内の話です。
秋祭りの季節です。
「たるや竹十」の前で町内の神輿が御祓の儀を執り行なってくれました。
樽屋の前には、いつも出荷待ちの酒樽や漬物樽がたくさん並んでいるのですが、
この日は日曜日、酒樽類を全て片付けてしまっていたので、慌ててひとつだけ樽太鼓を店内から
出して来ました。
樽太鼓だけではなくて、酒樽も出しておけばよかったと後悔するも
来年から、祭り前のは きちんと店舗前も掃除しておこう。

神輿を担ぐのは知った顔ばかり。
酒樽屋の主人も、この祭りに参加したいのですが全国各地で同時期に秋祭りや秋の音楽会が続き、それに使う酒樽や樽太鼓の製作に夜なべが続く時期ですので練習に出る時間がとれないのです。

酒樽屋の蟲養ひ 其之玖

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虫養ひには少々、量が多いかも知れませんが、大阪高麗橋のすし萬の詰め合わせです。
もちろん名物「雀鮨」も入っています。

雀鮨に限ってだと記憶しますが、今でも薪を使い竃(かまど)で米を炊いている所が、
どこか「たるや竹十」と共通する気がします。
頑固という事とは違うのです。そうしないと美味しいものを作る事が出来ないのでしょう。
創業から300年以上、同じ製法を続けておられるようです。
雀鮨は小さな木桶に入って販売されています。





2008年10月21日

大桶における杉と竹の妙

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写真は大桶ですが、酒だるでも同じ状態になります。
経年と共に吉野杉は冬目が立ち、夏目が縮み、美しい木目を見せて来ます。
吉野杉は、このように時間が経っても元の木目が秀でているので趣のある風景を醸し出してくれます。
竹は青竹から白味を帯び、更に年月を重ねると飴色になります。
この大桶は50年ほど前に作ったものですし、屋外に置いてあったので、組輪の竹は色褪せて来ています。
竹の退色は誰にも止める事は出来ません。
塗装したりラッカー仕上げや木工用ボンドを塗ったりする事は後年、酒樽や桶を
むしろ見苦しくしていまいますから、おすすめ出来ません。




2008年10月20日

笑う酒樽(さかだる)

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それこそ江戸川乱歩の新発見小説のタイトルのようですが、
酒樽(さかだる)は怒ることはありませんが、笑うことは稀にあります。

正確には竹の箍(タガ)が笑うのです。
細長い割竹を丸く巻く時にどうしても、自然の形に逆らって巻く訳ですから
決まった位置に竹が入らず、一部飛び出してしまった状態になることもあります。
これを見落として酒樽(さかだる)にしてしまった場合、職人たちの間では「酒樽(さかだる)が笑っている」と言います。

実際に職人の間では恥ずかしいことなので、職人が実際に笑う訳ではありませんが、
作った方の職人は自分の技量を笑われている気分になります。

勿論、「たるや竹十」としては商品にならないわけですから、箍(タガ)の工程は一から作り直し出荷します。

「わらう」には「咲う」という書き方もあり、つぼみが開いたり実が熟して皮が裂けることや、縫い目がほころびる意味になります。
「樽がわらう」という場合は、こちらの意味の方が近いかも知れません。

ほっこんとわろうて栗の落ちにけり(尤草子)





樽酒(たるざけ)売り切れる。酒樽屋は忙しい

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いつも「金盃」の酒を「たるや竹十」の酒樽に入れて、置いてもらっている神戸の居酒屋「森井本店」では、この気候なのに樽酒が人気で、ついに「うりきれ」!
もちろん翌日、新しい酒樽を配達しましたから、今日からは安心して たっぷり呑めます。

ここ森井本店では真夏でもよく売れて関係者を驚かせました。
冬はどれ位でるのでしょう?
酒樽が間に合うかな?



2008年10月19日

毛糸屋が酒樽屋に届けて下さった京漬物

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京都に住む古い友人でニット作家の山田さきこさんが二条の加藤順漬物店の千枚漬、志ば漬、そして筍の漬物をお土産に遊びに来ました。
木製の漬物樽(つけものだる)を使っているかどうかは知りませんが、まことに美味でしたので、きっと杉樽(すぎだる)を使っていると想像されます。

加藤順漬物店案内 曰く、『昔のお漬物は、塩蔵して永く保存し、
月日の経つにつれて自然に塩分の濃度により、
醗酵して味がつきました。その味を大切にしながら、
うす味で種々の野菜に味を加えるようになったのが現在の京漬物です。
「関西に行ったら、京都でのおみやげとお食事はお漬物で」と
ご指名される方が大変多くなって参りました。食べておいしい、見て美しい京のお漬物の中で
最もしたしまれていますのが、千枚漬けをはじめ、菜の花漬け、志ば漬、すぐき、日の菜漬等です。
特に製法は、弊店独特のなつかしい京の味を心ゆくまで楽しんでいただけます様吟味しております。
季節ごとに風味と風格を示す、京のお漬物をどうぞ心ゆくまでご賞味下さい。』


ちりめん菜の花漬が有名です。

加藤順漬物店
京都市左京区二条大橋東三筋目北側
電話 075-771-2302

2008年10月17日

酒樽屋の道具 其の漆

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仮輪と言います。
酒樽(さかだる)を作る際、竹の箍(タガ)を入れる前に同じような竹の輪を補強したものを用いて、大きさを決定し、形を整えます。

最近は強度があるので鉄の輪を使う事が多くなりました。
底の径を決める薄い鋼の輪は鉄なのに何故か「しんちゅう」と呼びます。

金属の輪でも数ヶ月に一本は切れてしまいます。
竹は横の力は材木より弱いのですが、引っぱりの強度は鉄を上回るのだそうです。

中国では現在でも建築用の足場に竹を使っている程です。
この場合は竹の持つ「しなやかさ」も重要な要素なのでしょう。





酒樽屋がつくる味噌樽(みそだる)

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味噌樽だるというものは、「樽(たる)」という名が付いているものの、本来樽(たる)屋ではなく、
桶(おけ)屋の仕事なのです。先日紹介した「大桶」と同じです。

樽屋(たるや)にとって大桶つくりは困難ですが、味噌樽(みそだる)を作る事は出来ます。
しかも、工程がかなり違うので、桶屋さんより廉価につくることができます。

写真は味噌樽(みそだる)の大。18リットルは入り、中蓋(ふた)と上蓋(ふた)が付きます。
時々、目張り用に良質の和紙や竹ささらを添付したりします。



2008年10月13日

大桶の中に棲みたかった人

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大きな樽(正確には桶の範疇になるのですが)を茶室にしたりする人はよくいますが、その中に棲んでみようと思う人は余りおりません。
小説家の佐藤春夫は、この事を具体的に考えていて、九尺桶(高さ約3m)を知り合いの蔵元から入手する手配をしていたと語っております。
探偵小説雑誌「宝石」の昭和32年10月号に当時主幹だった城昌幸(城左門)の計らいで、編集に参加していた江戸川乱歩と鼎談しております。

一般的に大桶をそのような目的に使う場合は縦置きににするのですが、他人と同じ事をするのが嫌いな佐藤春夫は四坪ほどの敷地に桶を横置きにして、中に床を張り窓を開け片方にソファーベッドを、反対側はフリースペースにするというレイアウトを城昌幸と乱歩に語っております。
決して民芸調にならないように注意して洋風に仕立てたかったようで、設置する場所も山里などではなく、都会の真ん中を物色していました。
母屋から毎日、パンと水とチーズを運ばせるという我がままも考えていました。
眠れない夜の為に望遠鏡を備えておき、高台から街を眺めて夜の慰みにするという趣向です。

その庵には、もう「犬儒亭」と命名されていた程、本気だったようです。
名前は勿論、ギリシャの哲学者Diogenesディオゲネスに因んでいます。
ディオゲネスこそ酒樽の中に棲んでいたことで有名ですが、彼の生きた紀元前400〜300年には未だ今のような木製の酒樽は洋樽においても存在していなかった筈で、実際には酒を入れていたカメか大壷の中で暮らしていたはずです。


結局、佐藤春夫は都心に そのような贅沢な土地を入手できず、犬儒亭プロジェクトは頓挫しました。

何より大桶には酒樽(さかだる)と違って嵌め込みの蓋(ふた)がありませんから、佐藤春夫が望んでいた密室を作ろうと思えば、蓋(ふた)を打ち付けるかどうかして加工しなければなりません。

この鼎談は後年、講談社から「江戸川乱歩推理文庫 第64巻 書簡 対談 座談」に再録されましたが、この文庫本も絶版で入手困難。再販が望まれます。

DSC07038.JPG 神戸酒心館にて











2008年10月12日

酒樽屋は必ず海辺にある筈

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すっかり秋らしい空になりました。
灘五郷だけかも知れませんが、造り酒屋や酒樽屋は必ず海辺にあります。
川沿いにある地域もあるでしょう。

少なくとも造り酒屋や酒樽(さかだる)屋は水が美しい場所にあります。

海辺にあるのは昔、水運が発達していた頃は材料を船で吉野から運び、
出来上がった酒樽(さかだる)を樽廻船に積んで江戸へ運んでいたからです。



2008年10月9日

漬物の樽(たる)が必要な季節です

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街に新鮮な野菜が豊富に登場しました。
旬の野菜を漬物にすると、また味が格別です。

漬物の容器は、それぞれ自由なのですが、やはり木樽(たる)の漬物樽の右に出る物はありません。
それは、木樽(きたる)自身が呼吸して、樽(たる)の中で野菜が窒息することがないからです。
ただし、慣れるまでは化学物質で出来容器やカメよりも手入れがかかる気がしますが、
毎日使っていると、同じ事です。

美味しくて、安全な漬物を食べる事が出来る方が大切です。





2008年10月8日

売場樽を木樽で作る

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今度は、液体を入れない売場樽を作りました。
漏れてもいいので楽なようですが、木樽は空調の乾燥に弱いのでタガの加減が微妙です。
木樽で何を作っても楽なことはないのです。

2008年10月7日

売場用の木樽

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京都の某漬物屋さんに売場樽を作りました。
売場樽は普通は液体が漏れても良いものを作るのですが、
今回は特別にもれないタイプの売場樽をたくさん作ったので少々くたびれました。



大きな樽(タル)の大きな輪

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これは樽(タル)用ではなく、桶(オケ)用です。
三尺桶の組輪です。

大きな方の直径が4尺6寸(約140センチ)、細い方で3尺6寸(約110センチ)もあります。
古い桶から輪替えのために外したので、色が褪せています。
一緒に写っている青くて小さい輪は6尺(約18センチ)輪ですから、醸造用の桶がいかに大きい物か判るでしょう。

更に大きな直径7尺6寸(約230センチ)程のものもありますし、手のひらに乗る程小さい桶には当然もっと径の小さい箍(タガ)が入ります。
そのような小型のものを「源氏もの」と呼びます。
いずれも樽屋ではなく、桶師の仕事です。

桶(オケ)では箍(タガ)の組み方が「組輪(くみわ)」と言う、酒だるには使わない複雑で幾分装飾的なものをしばしば使います。
樽(タル)の箍(タガ)より肉薄の竹を二本や三本を結っていく全く違った巻き方をします。

桶(オケ)の場合は本体自体で独立していて、もし箍(タガ)が外れても分解することはありませんから多少、飾りのような要素もありますけれど、樽(タル)の場合は肉厚の丈夫な箍(タガ)が本体を支えているので、箍(タガ)が外れると樽(タル)はバラバラになってしまいます。

風が吹いたら儲かるのは、実は桶屋ではなく、樽屋の筈なのですが、
ここのところ、風の強い日が続いているのに、樽屋が少しも儲からないのは何故でしょう。

2008年10月5日

丸い物は酒樽の蓋(ふた)だけではない

日がな一日、手足のかわくひまもなく、丸いものを触って暮らしております。
酒樽の蓋(ふた)、漬物樽の底や押し蓋、味噌樽の上蓋(ふた)、樽太鼓の蓋(ふた)、原木の杉の断面や加工された樽丸(たるまる)、原竹の切り口から天星や駄細(だぼ)と呼ばれる木栓類に到るまで木樽をつくる作業にとって丸くするという行為は避けて通ることは出来ないのです。
出来上がった木樽は上から見ても下から見ても丸いものですし、側面も均等に丸みを帯びていなければなりません。
そんな訳からか町に出ても何故か丸いものを見ると気にかかります。

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「ピッツァ」です。
日本でも最近は「ピッツェリア」と称す、「ピッツァ」を食べさせる店が増え、「お好み焼」同様に手軽に食すことが出来るようになりました。

写真のピッツァは「プローヴォラ カプリチョーザ ビアンカ」Provola Capriccioza Bianca
水牛の乳でつくられたモッツァレーラたっぷりの、名の通りトマトソースの入っていない白いピッツァです。

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トム ウエイツの[GRAPEFRIT MOON]新盤
やっぱり、処女作アサイラムレコード盤の方が場末の雰囲気がたっぷりです。
デヴューから、もう25年経ちました。



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前菜です。
右の一番向こう側に見えているものは Napoli Zeppoliniという祭りの時などに食べる揚げ物です。海苔が入っていて日本人も好みの風味。

店の壁面にはポンテ ベッキオの山根大介さんが molto buono ! と賞讃する落書きがありました。  

                                                                                  PIZZERIA AZZURRI ピッツェリア・アズーリ


神戸市中央区山本通3−7−3ユートピアトーア1F
078-241-6036
12:00-15:00 17:30~22:00
木曜定休


酒樽を出荷する 酒だるは案外重いのです

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秋になると酒樽の出荷が頻繁になります。
残念ながら、地元灘五郷よりも他府県への酒樽の出荷が最近は多くなりました。
地方の地酒の人気からでしょうか。

写真は手前が甲付樽(こうつきだる)、向こう側が赤味樽(あかみだる)。
数量が多くなると荷作りにも時間がかかり大変です。
菰巻の時と変わらない位くたびれます。
なにしろ四斗の酒樽ですから。
酒樽の梱包は案外大変で、手は痛くなるし、腰は痛くなるしで容易ではありません。
でも、運賃の値上げに頭を痛めております。

2008年10月4日

酒樽屋 おでん屋さんに酒樽を届ける

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山梨のお客さんから、 店舗開店祝いに神戸三宮まで「樽酒」を届けるよう依頼がありましたので、杉枡と竹杓を添え、更に送り主15名の名前を墨書きした和紙を酒樽に貼って、近所ですから酒樽屋自ら、お店に配達しました。

サプライズでという依頼主の意向は大成功でした。


遊心
神戸市中央区中山手通1-15-2 富士ビル2階
090-8125-2424
17:30~24:00

2008年10月2日

「赤い風船」または「純粋な心臓」

080326_ballonrouge_main.jpg © Copyright Films Montsouris 1956


赤い空の次は赤い風船です。
酒樽屋の女房は、この映画が大変お気に入りで,この夏 早起きして映画館に出掛けて行きました。
樽屋の親方は未だ劇場では観ておりません。
樽(たる)にも「赤い樽」と「白い樽」の二種があるのですが,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,


パスカル少年のような純潔な心の持ち主だけが「そら」に上って行くことが出来るのでしょうし、上って行かざるを得ないのでしょう。

LE BALOON ROUGE全編
かつて、「すばらしき風船旅行」と共にVHSがあったのですが、今は廃盤。
フランス版は25€で「白い馬」とカップリングして発売中ですけれど、
今年の12月12日には、日本版もデジタルニューマスターでリリース予定,もう少し我慢しましょう。
こちらは特典ディスク:ドキュメンタリー「僕のお父さんは風船だった」51分 『白い馬』の少年のポートレイト43分、ピクチャーブック、5枚組ポストカードセット、『赤い風船』コマフィルムと豪華おまけ付きですから。
��0年代ならではのシィトローエン11CVやマファックのセンタープルブレーキを装着したロードレーサー、後部屋根なしバス等が古き良き時代のパリ風景を彩っています。
風船を持った少年が、そのバスに乗車を拒否されるシーンが大切な何かを象徴しています。

サイドバーの赤い風船をクリックして下さい

酒樽屋(さかだるや)の秋

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十月一日です。
秋です。
さすがに朝晩は肌寒くなってまいりました。
皆さま、風邪など召されませんように御自愛下さい。
この日は日本酒の日だそうです。
いつから決まったのか存じませんが、酒のことは「さけ」或は「清酒」と呼ぶべきで、
「日本酒」という謂いは、ちょっと変ではないでしょうか。
それなら、ビールのことを「ドイツ酒」、ウイスキーのことを「イギリス酒」、ワインやシャンパンのことを「フランス酒」バーボンのことを「アメリカ酒」などと呼ばねばならなくなります。
「酒」は日本古来の立派な飲み物ですから卑下する事なく、堂々と「さけ」と呼びたいものです。
因に英語でもJAPANESEは付かず、[SAKE]と表記します。






2008年9月30日

昔の酒樽屋風景

DSC01791.JPG 桜正宗 所蔵資料より

江戸期から昭和四十年頃まで、酒樽屋といえば、写真のような光景でした。
沢山の酒樽職人が「みせ」と呼ばれる作業台に並んで、一日に数十個の酒樽(さかだる)を叩いたものです。
一日と言っても、朝六時前から昼三時頃まで。道具を研いで仕事を終えます。
職人以外に「うろうろ」という人たち、即ち助手が酒樽職人二人に一人位付きます。
酒樽職人は、ひたすら酒樽を作るだけで用を足す時以外は「みせ」を立ちません。
必要な材料や道具が必要な場合、また昼食時の茶など全ての雑用を「うろうろ」に命じます。
仕事場の中を一日中「うろうろ」しているにで「うろうろ」と言ったのでしょう。
「うろうろ」も只うろうろしている訳ではありません。
先輩たちの仕事を盗み見続け、何年ヶ後には五人に一人位は酒樽職人として「みせ」に上がらせてもらえます。七十歳を過ぎても不器用な人は「うろうろ」のままでした。
親方の仕事は酒樽職人が その日作る酒樽に必要な側材を樽丸の中から選別して「みせ」にあてがう事です。
底と蓋(ふた)そして竹は「うろうろ」が「みせ」の前に写真のように用意して置きます。
出来上がった酒樽も「うろうろ」が仕上げ作業をし、洩れの検査は頭領格の樽吹き職人が担当し、配達は専門の力持ちの男たちが担当しました。トラックが登場するまでは大八車か牛で蔵元の樽場まで酒樽を運んでいましたから。


当時、大きな蔵元では蔵の中に製樽部というものが存在していたので、社内で酒樽を作っていた写真かも知れません。
「たるや竹十」は輪を締める段階を機械化しただけで、今も基本的にこの写真と変わらない風景です。

酒樽(さかだる)の引札

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「引札(ひきふだ)」とは現代でいうところのチラシです。
今だったら、チラシは直ぐに捨てられる運命にありますが、
江戸期には木版、明治から大正期には石版で刷られた楽しい印刷物なので、
宣伝用のチラシですけれど、図柄も美しく、綺麗に保存されていることが多く、
コレクションしている人も大勢います。
写真は引札の定番登場人物、恵比寿大黒が四斗の酒樽(さかだる)に菰(こも)を巻いている図です。

本来、引札には無印のものが幾種類もあり、各商店主は印刷屋が示す図柄から好みの物を選び、
自分の店の名前や商品の名称を刷ってもらい、顧客に無料で配ったものです。
ですから、見本のために作られた屋号のない無印の引札も多数、現存しております。

酒樽(さかだる)が図柄に選ばれるほど、木樽(たる)が当時の生活に密着していた証拠です。



2008年9月28日

50年後の漬物樽(つけものだる)

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先々代が納めた漬物樽(つけものだる)のその後を追跡してまいりました。
三つ共、現役で活躍している事を確認して、安心しました。
一番下の「泣き輪」が欠損していましたが、これは漬物を作るのに支障のない箍(タガ)です。
樽太鼓でも漬物樽でも、よく抜けたり腐ったりし易い物ですが、力がかかっていない箍(タガ)なので、気にする事はありません。

画像の通り、正面は糠漬用の漬物樽(つけものだる)、左に少し見えている方は塩漬用の漬物樽(つけものだる)です。
余程保管がよかったのでしょう、箍(たが)が美しい飴色に変化しています。漬物樽(つけものだる)としては一番良い時期です。
もう一つ予備の漬物樽もありました。
どの漬物だるも一斗樽(18リットル)ですが、樽(たる)そのものは同じ物なので味噌も含め何にでも使える訳です。
後ろに見えている物は正式な味噌樽(みそだる)

近所の河原で拾って来たという漆黒の漬物石に風情を感じます。


2008年9月27日

四斗の樽太鼓(たるだいこ)を出荷

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秋祭りの季節です。

お祭りには、樽太鼓がよく使われます。
一番大きな四斗の樽(たる)太鼓をまとめて出荷しました。
真っ青な竹タガは、清々しいものです。
大きさがわかり易いように手前に五升樽を一丁置きました。

樽太鼓(たいこだる)には72リットルから9リットルまで4種類あるのですが、樽太鼓といえばやっぱり四斗樽が大きさで一番迫力があります。

作る時は勿論ですが、一尺八寸の吉野杉材の選別から、最後の梱包まで、四斗の樽太鼓の扱いには何かと体力を要すのです。

2008年9月26日

酒樽(さかだる)の製作途中

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四斗甲付酒樽(こうつき さかだる)を作っている途中の風景です。

蓋(ふた)を締めている「口輪(くちわ)」と、それを補助する「頭(かしら)」の二本が入って、酒樽専用の銑(せん)を使って酒樽(さかだる)の周囲をを削った段階です。
底は金属製の「しんちゅう」という道具で仮に止めています。
何故、鋼で出来ているのに「しんちゅう」(真鍮)と呼ぶのか理由は判りませんが、とにかく、この段階までくれば、酒樽(さかだる)製作のほぼ八割の仕事は終わっています。

この後、残りの五本の箍(たが)を入れて締め付け、元打(もとうち)という箍(たが)の処理を行い、竹ささらで最後の掃除をします。
空気を入れて漏れの検査を済ませば「酒樽(さかだる)」の完成です。

酒樽屋のお八つ 其の貳拾參

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みたまやの「黒みつだんご」なり。
米粉、餅粉、に吉野葛が入り,黒蜜にたっぷりの きな粉をまぶした食感は独特。
賞味期限は当日限り、売り切れの場合多し。

昔は一日二食だったので、八つ刻、即ち午後二時から四時の間に,お腹が空くので何か軽いものを、殊に少々甘い物を食べていたようです。
江戸中期頃にようやく三食になりますが、この「中食」の習慣は続いたようで、
現代の「お三時」は、その名残でしょうか。

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御菓子司 美玉屋
京都市左京区下鴨東本町18-1
075-721-8740
09:30~19:00
火曜日定休