2008年10月13日

大桶の中に棲みたかった人

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大きな樽(正確には桶の範疇になるのですが)を茶室にしたりする人はよくいますが、その中に棲んでみようと思う人は余りおりません。
小説家の佐藤春夫は、この事を具体的に考えていて、九尺桶(高さ約3m)を知り合いの蔵元から入手する手配をしていたと語っております。
探偵小説雑誌「宝石」の昭和32年10月号に当時主幹だった城昌幸(城左門)の計らいで、編集に参加していた江戸川乱歩と鼎談しております。

一般的に大桶をそのような目的に使う場合は縦置きににするのですが、他人と同じ事をするのが嫌いな佐藤春夫は四坪ほどの敷地に桶を横置きにして、中に床を張り窓を開け片方にソファーベッドを、反対側はフリースペースにするというレイアウトを城昌幸と乱歩に語っております。
決して民芸調にならないように注意して洋風に仕立てたかったようで、設置する場所も山里などではなく、都会の真ん中を物色していました。
母屋から毎日、パンと水とチーズを運ばせるという我がままも考えていました。
眠れない夜の為に望遠鏡を備えておき、高台から街を眺めて夜の慰みにするという趣向です。

その庵には、もう「犬儒亭」と命名されていた程、本気だったようです。
名前は勿論、ギリシャの哲学者Diogenesディオゲネスに因んでいます。
ディオゲネスこそ酒樽の中に棲んでいたことで有名ですが、彼の生きた紀元前400〜300年には未だ今のような木製の酒樽は洋樽においても存在していなかった筈で、実際には酒を入れていたカメか大壷の中で暮らしていたはずです。


結局、佐藤春夫は都心に そのような贅沢な土地を入手できず、犬儒亭プロジェクトは頓挫しました。

何より大桶には酒樽(さかだる)と違って嵌め込みの蓋(ふた)がありませんから、佐藤春夫が望んでいた密室を作ろうと思えば、蓋(ふた)を打ち付けるかどうかして加工しなければなりません。

この鼎談は後年、講談社から「江戸川乱歩推理文庫 第64巻 書簡 対談 座談」に再録されましたが、この文庫本も絶版で入手困難。再販が望まれます。

DSC07038.JPG 神戸酒心館にて











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