2008年8月31日

続 酒樽の鏡開き ハンダルセット又は半ダルセット 

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昨日の酒樽は、こんな風に「針」と「ばい」という木の棒を使って菰(こも)を巻いたのですが...............

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酒樽を作る立場としては、菰(こも)などを巻かずに酒樽の杉と竹の清々しさを見て頂きたいと、いつも感じています。
菰(こも)を巻いてしまうと,折角の酒樽の良さが隠れてしまいます。
菰巻とは、単なる輸送用の緩衝材でしかありません。

2008年8月30日

酒樽の鏡開き ハンダルセット又は半ダルセット

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酒樽の鏡開きは、簡単なように見えますが、大切なイベントの中心になる儀式なのに、
万一失敗したり、いくら叩いても蓋(ふた)が開かなかったりすると大変な事ですから、
多くの方はあらかじめ蓋(ふた)を外して、形だけの鏡開きを執り行ないます。
最近では殆どのホテルの係の方が、専門の酒樽屋が驚く程上手に蓋(ふた)を開いています。

更に、簡略化して蓋(ふた)のない酒樽の上に蓋(ふた)をのせて置き、現場で酒樽に
清酒を入れるという方法もあるのですが、絶対に失敗はありませんけれど清酒に木香が付きません。

写真の酒樽は「36ℓハンダルセット」といって下半分を発砲スチロールの台で上げ底にしたものです。当然72ℓもあります。
菰(こも)の隙間から白い発砲スチロールがのぞいているので、直ぐに見分けがつきます。

実は20数年前に伏見の某大手蔵元と樽屋竹十他が共同で開発したものなのです。
当時、他の樽屋の反撥に遭い、ひどい中傷を受け、軽蔑されたものですが、
数年後には手のひらを返したように全国から竹十に手法を教えて欲しいと懇願して、毎日よその職人達の竹十詣が続きました。
一時は「ハンダルセット」が主流の時代が長く続き、材料の供給が間に合わない程でした。
もし、当時「ハンダルセット」を開発していなかったら、良質の吉野杉が手に入らなくなってて、需要に応じきれなかった事でしょう。

今は「ハンダルセット」も清酒の消費量の激減もありますが、やはり本物が良いという
傾向に戻りつつあり、役目も一段落を終えたかなという印象です。

名前を決める時、「ハンダル」とは二斗酒樽(36ℓ)の別称「半樽」と紛らわしいので猛反対したのですが、他に適当な名も思いつかず、蔵元の意見に押し切られました。

当然、必ず菰(こも)を巻かねばなりませんので、裸に出来ない事、用済みの樽が再利用不能という点が弱点です。
酒樽屋としては、やはり昔ながらの全部、吉野杉を使って酒樽を作りたいのが本音です。

当時、別の大手蔵元数社は、この大きな流れを無視して価格が高いにも関わらず全部が吉野杉出来た酒樽を使い続け、今に至っております。


この酒樽は菰をあらかじめ中に巻き込んで鏡開きをし易くしています。

また、「赤紙」は昔の名残で、呑み口の場所をわかり易く示している訳です。
この酒樽には絶対に呑み口がない訳ですから、単に赤い飾りでしかありません。
本式の巻き方ですと蓋(ふた)の部分にも、もう一カ所「赤紙」を巻きます。

2008年8月29日

酒樽屋のお八つ 其の拾玖あるいは 眼球譚

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残夏の汗仕事のあとには丁度いい「水まんじゅう」です。
涼しくて美味なのですが、二つ並べると目玉に見えるのはわたくしだけでしょうか。

生田耕作氏が「眼球譚」を翻訳した時、タイトルを決めかねて仮に「目玉」としていたことが
ガリマール版全集の一冊に挿入されていたメモを読んで最近知りました。
後者を表題にした、おふざけ新訳が出た時、何かと話題になったのは記憶に新しいところです。
因に生田氏はジュネの「葬儀」にはもっと思案したのでしょう、「ジュネ」とだけ記されておりました。


京涼風果匠 「若菜屋」

京都市上京区千本通丸太町下ル東入主税町1129
075-811-7943

14275553.pjpeg.jpeg こちらは只今人気の「目玉おやじカメラ」30万画素ですけれど、フラシュメモリーにも使えます。
水木しげるさんは「眼球譚」を読んでいたのかな?

2008年8月28日

酒樽屋の道具 其の陸

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昨日、紹介しましたスコットランドのモルト樽の蓋(ふた)が何故,何枚も保管されているのかといいますと、これらは樫で出来ておりますから、まことに硬く、酒樽作りの道具を拵えるのには、これほど相応しいものはないのです。
電動丸鋸で切断する時、鉄を切る時のように煙を出して断面は完全に焦げている程です。

写真は酒樽の箍(たが)を木槌で締める時に左手に持つ「締め木」
酒樽の大きさに応じて大小のものを揃えておきます。
鏡開きの際にも使うので、蔵元の営業の方々は必ず持っていたものでした。

ものづくりは先ず道具作りからはじまるのです。




2008年8月27日

スコットランドの酒樽。底と蓋 (ふた)、和樽と洋樽の場合

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和樽の底と蓋(ふた)は吉野杉で作ります。左が蓋(ふた)、右が底です。

底は中心に近い赤味で、蓋(ふた)は辺材の白太を用います。
酒樽にした時に底の部分は最も酒に触れている時間が長い部分ですから、香りの良い赤味を使い、蓋(ふた)は見た目が美しい方が良いので白太を使う訳です。
白太だけでは蓋(ふた)と言えど滲みが出るので、酒樽の甲付側同様、裏に赤味が付いた部分をなるべく選びます。
蓋(ふた)は輸送中など以外、殆ど酒には触れない訳です。



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こちらはウィスキーが入っていたスコットランドの洋樽の底と蓋(ふた)です。
洋樽の場合は底と蓋(ふた)のサイズが同じなので、底蓋の区別はありません。
材料はホワイトオーク、樫の木を使っています。
西宮の某有名ウィスキーメーカーがスコットランドから古樽を大量に買い付け、
しっかり樽としての仕事を終えた後、ベトナムへ輸出する直前に「たるや竹十」が引き取りました。
切断すると未だモルトの香りが、ほんのり漂います。

洋樽については、最近「たるや竹十」の和樽をフランスに輸出してくれている、早川物産の早川清氏の上記リンクの論文をご覧下さい。

蓋(ふた)の向こうに見えているのは、我家の小さな庭に生えるオリーブの木。
僅かながら、ちらほら実も結んでおります。

神戸 三宮でも酒樽で樽酒が呑め枡

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店内に酒樽が鎮座し、本当の樽酒を呑む事の出来る店が神戸にも何軒かあったのですが、
震災後、皆無になっておりました。
今年の初夏、灘の金盃酒造酒樽屋竹十の協力で高架下の老舗「森井本店」に
一斗の酒樽を常備することになりました。


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酒樽から出した樽酒は、きちんと杉の枡に入れてくれ枡。
枡と言えば、桧が最高だと勘違いされている蔵元やお客さんが多い事は残念なことです。
酒樽は杉製なので吉野杉の木香がついた清酒は杉の枡に入れて呑まないと、杉で酒樽を
作った意味がないのです。
桧の枡で呑んだら、折角の樽酒が支離滅裂になってしまいます。

今、桧枡が市場を席巻していますが、清酒は必ず昔のように杉枡を使うべきです。
むしろ、塗り枡風のプラスチック枡の方が、ずっと清酒に優しいのです。
桧ほど清酒に合わない素材はない事に関係者すら気がつかないと思うと悲しくなります。



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今のそごう百貨店の南で大正7年に創業。当時は金盃酒造も三宮付近にありました。
昭和20年の戦災で店舗が消失。現在の高架下に移転。
昭和7年の地震のため改装。この時、古いポスターや前垂れ、扁額などを救出し、
今の店内に飾り、昔の雰囲気復活の一助となる。

自分で「良心的な大衆酒場」という暖簾をかけているところがリョウシン的ですね。
今年が創業90周年なのです。二階で宴会も出来るところが嬉しい。




金盃 森井本店
078-331-5071
650-0012 兵庫県神戸市中央区北長狭通2-31-42 (高架下)
17:00-22:30(22:00LO)日祝休

2008年8月25日

今月の酒樽屋 贔屓偏頗

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どこのジャズ喫茶(そろそろ死語ですね)にも必ずあるけど、余りに凡庸なので
滅多にターンテーブルにのらない基本の一枚。
キャノンボールの名義だけれど、当時30歳のマイルスの名盤です。
ジャケットにメンバーの名がが並んでいますが、今も元気なのはハンク ジョーンズだけです。
彼のピアノが秀逸。

何故、今頃これを出して来たかというと、一曲目の「枯葉」の「幻のテイク1」が50年の封印を解かれ、メンバーの会話(英語字幕と日本語訳が嬉しい)付きで完奏公開されたからです。

暦の上では、もう秋。やや暑苦しい[Autumn Leaves]
当時、ブルーノートが今程メジャーになるとは誰も想像しなかったでしょうね。

2008年8月23日

酒樽(さかだる)の出荷

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お盆が過ぎて、ボオーとしていたら、突然京都伏見の宝酒造から酒樽のご注文を頂いて、
あわてて、数十丁の酒樽をつくりました。
今のような暑い時期に四斗樽の大量注文は普通ないものなので、油断していたのです。
夏の竹も絶対に伐採しないものなのなので、そうとう山奥から切り出しました。

この酒樽(さかたる)はちょっと特殊なもので、上半分は杉の木樽ですが、下半分は発砲スチロールなのです。
[ハンダルセット]と呼んでいます。
なぜ裸で出荷するのかというと、ビニール袋などで覆うと、中で黴が発生したりするので、
それを避けるために酒樽(さかたる)は蓋(ふた)だけ紙を掛けて梱包します。

この酒樽(さかたる)は全て菰を巻かざるを得ないので竹の箍(たが)に少々傷が付くのが
残念ですが、酒樽(さかだる)に黴が出たりする事を避けるためにはやむを得ません。

2008年8月20日

酒樽屋のお八つ 其之拾捌

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酒樽屋の娘も時々「お八つ」をつくってくれます。
この日のメニューは豆腐入りの白玉。

甘党の酒樽屋は普通の白玉が大好きなのですが、
豆腐入りの方がずっとヘルシーなのだそうです。
初めての食感に戸惑い、豆腐入りという事がなかなかなか判断出来ませんでした。
なかなか美味しいものです。




2008年8月18日

酒樽、大量の酒樽が天井から、ぶら下がる新橋の店

g600139ps1.jpg g600139rc_5_3.jpg 写真は同店サイトより

焼酎の消費量が清酒のそれを上まわって久しく、にっぽん本来の「さけ」も一時の勢いを失っております。少しずつ挽回し始めましたが、酒樽を店舗の ディスプレイに使って下さる店は依然として焼酎専門店が圧倒的です。
焼酎も杉の木樽の中に入れると美味しさが増すのです。

ここ新橋の九州黒男児では前に紹介したMISO-BANKの考えとは反対に古色を出さずに酒樽本来の姿をディスプレイしています。
左の写真では照明器具として利用されました。

九州黒男児
東京都港区新橋2-15-7 S-PLAZA弥生ビル8F 
TEL 03-5251-834

月・火・土・日・祝 17:00〜23:30
水〜金       17:00〜05:00

2008年8月14日

酒樽屋の盆休み

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木樽つくりも、お盆を前にひと休みです。
樽作りをしない時の酒樽屋は、真夏でも ひんやりとして静かです。
工房の中が杉という木で埋まっているからでしょうか。

木製の和樽といっても酒樽、漬物樽、味噌樽、展示用の売場樽、店舗設計用の ディスプレイ樽、八木節の樽太鼓,,,,,,,,,,,,
つくる物はさまざまですが、どれもが杉と竹の組み合わせであることには変わりはありません。

昔の酒樽屋はヨーロッパ並みに真夏は完全に一ヶ月ばかり休暇をとっていました。
仕事がなかったからですが、今年のような暑さですと昔の方式に戻したくなります。

2008年8月8日

酒樽屋の黄金バット(GOLDEN BAT)

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この夏も西宮の甲子園球場では全国高校野球選手権記念大会が催されて球音が響き、
また、今日が開会式の北京奥林匹克运动会では日本の野球チームが黄金のメダルを目指しているそうで、世間は気温以上に熱くなっているようですが、
酒樽屋にも年季が入ったバットが何本かあるのです。

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「叩き棒」といって、酒樽の枠が出来た後、底板を、これで叩き込みます。
所定の場所にあらかじめ溝を切っておき、その溝に底をはめ込む簡略な方法も近年、普及してきましたが、「たるや竹十」では昔ながらの手法で底板を程よい位置に水平に収めます。

接着剤も何も使わず、杉のしなやかさ、柔らかさ を利用して、底の部分を箍(たが)で締め付けることにより、液体を漏らさない木樽をつくることが出来る訳です。
容量にも関係してきますので「叩き棒」の叩き加減も重要な要素となります。
棒の途中に見える溝は、「このあたりまで」を示す、おおよその印です。
「叩き棒」で深さの見当を付け、この後にゲージで深さをチェックし、正確な容量の木樽を作ります。

一番上の写真に見える「叩き棒」は下から四斗(72ℓ)用、二斗(36ℓ)用、一斗(18ℓ)以下用

野球のBATと蝙蝠(こうもり)のBATが同じ綴りなのも奇妙な縁ですが、語源は全く違うそうです。


2008年8月7日

酒樽屋のお八つ 其の拾漆 田中金盛堂

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前に少し紹介した田中金盛堂のABCカステラです。
ABCといっても型は写真のように9個しかなく、しかも同じ文字が重複しているので正確には
��文字しかありません。残念ながらTARUYAと並べて撮影する事は出来ませんでした。

田中金盛堂

神戸市灘区篠原南町6−3−1
078-861-3731

田中金盛堂は大正の終わりに阪神大石駅の南側,酒樽屋の近所である船寺神社参道に於いて創業。(現在の韓八商店付近)
沿道の他店と共に盛業であったが、昭和13年の大水害で全てを失い、現在の場所に移転。
創業者の死後は兄重雄さんと弟幸雄さんで営業を継ぐも、昭和35年に弟幸雄さんは芦屋市大桝町に独立開業、今は子息の克志さんと二人で何種類もの商品を製造。

芦屋店のABCカステラにはK,U,H....などもあり。
因に、京都の田中宝盛堂とは全く無縁の由。







木樽タイコの化粧直し

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木樽は短冊状の杉板の集合体です。
おおよそ揃ってはいますが一枚、一枚の厚みが違います。
殆ど木樽が出来上がりますと、仕上げに周囲に出来た木目の段差を
「目違いカキ」あるいは「目違い取り」、又は単に「目違い」と略す一番細い銑(せん)で表面を揃えるように削ります。
「仕上げ銑」と呼ぶ地方もあります。

段差をなくして美しく仕上げる意味もありますが、段を取ることによって箍(たが)の力が木樽の周囲に均等にかかり、漏れない良質の樽を作ることが出来る訳です。

また、古材と同じく修理を承った木樽の樽太鼓でも、日焼けや汚れが銑をかける事によって表面が、ひと皮むけて新品のように生まれ変わります。

写真は樽太鼓の修理作業ですが、左上に少し日焼けが残っています。
銑をかけると右側から正面のように綺麗になる訳です。


2008年8月6日

猛暑に木樽も帽子が欲しくなる

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これだけ暑さが続きますと、木樽も帽子くらい、かぶりたくなります。
何故か上から二番目の箍(たが)を頭(かしら)と呼ぶのですが、木樽というものは、
直射日光に最も弱く、先ず「頭」が緩んで落ちてしまい、徐々に痛んでいきます。
��頭」が落ちる時点では木樽の杉も乾燥していて、液体を入れる事は出来ない、隙間の出来た状態になっております。

実際に和紙で大きな袋のような物を作り、帽子のように木樽を覆い、真夏を乗り切るのです。
木樽は生き物ですから、ビニール袋は樽が窒息しまうので禁物なのです。





写真の木樽は江戸時代に西宮から灘まで宮水を運ぶための「水樽」を復元した物で、京都の帽子作家である某氏に何かのイベントの記念に一点だけ、お作りしたら、たいそう喜んで下さって、
今でも、オブジェとして氏のアトリエに鎮座しております。
ずいぶん痛んできたので、そろそろ新品を作らねばなりません。
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上里義輝氏主宰 聖拙社設計によるアトリエ

2008年8月5日

半分に切られた木樽

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先日、写真のように木樽を切断して50個ばかり展示したいという依頼がありました。
木樽は水平に輪切りにする事はいくらでも可能なのですが、こんな風に垂直に切断すると、
箍(たが)が切れてバラバラになってしまうものなのです。

街の漬物屋さんで、この半分木樽を見上げた時は、たいそう驚きました。
先の依頼主である店舗設計の会社に既に木樽を納品した後で、その後の結果を心配していた所だったからです。

写真の木樽は正確には「桶」であり、側面の板と板の間に竹釘が入っているのだと思われますが、樽屋のおやかたと大工さんとは技術も発想も全く違うのだと再認識した次第です。



2008年8月4日

酒樽屋の虫養ひ 其之捌

DSC06815.JPG ざるそば 700円

そば処 
奈良市破石町バス停前
0742-22-0602

11:30〜15:00(土・日曜、祝日は〜16:00)、16:30〜20:00
水曜(祝日の場合は翌日休)
入れにくいけれど近くに駐車場あり

すぐそばに入江泰吉記念奈良市写真美術館志賀直哉旧居がある。
もちろん薬師寺も。

奈良の蕎麦屋といえば「玄」でしょうが、土日月が休みだし、午後は二組限定で予約制とくれば、簡単には行けません。




2008年8月3日

真夏の四斗酒樽

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もっぱら、皆さん 夏に清酒を召し上がりません。
当然、酒樽の需要も減ってまいります。
ところが、四斗の酒樽だけは、その迫力からか特別扱いで、真夏でも大量の注文を頂きます。
有り難い事なのですが、じっとしていても汗ばむ季節に四斗の酒樽を作る事は重労働です。

もともと酒樽工房というものは出来上がった酒樽が乾燥しないように北向きに建てられていて、本来 夏は涼しいものなのですが、四斗酒樽をつくるとなると、そんな事は殆ど関係ありません。
酒樽を痛めるので空調を設置する訳にも行かないのです。
人間が酒樽の犠牲にならざるを得ません。

大量の水を補給しながらの酒樽作りとなるのですが、ある限度を超えますと暑さに麻痺するのか快感になってまいります。

とか言いながら、真夏の四斗酒樽つくりは苦行であります。




2008年8月2日

酒樽屋の暑中見舞い

DSC06844.JPG 青蓮院門跡   
暑中御見舞い申し上げます。

とうとう,今年も八月になりました。
ますますの猛暑が予想されます。
みなさま方におかれましても どうぞ ご自愛下さいませ。