古い話ばかりで恐縮ですが、昭和40年代前半頃まで各町角村に
「輪替屋」がやって来た物です。各家には必ず盥(たらい)、半切り(はんぎり)、お櫃(ひつ)、風呂桶、漬物樽(つけものたる)、味噌樽(みそたる)等々の木製品があふれていて、その修理に追われていたものです。
同時期には
「鋳掛屋(いかけや)」という鍋や釜など金属製品の修理を生業とする業者をどの町でも見かけたものです。
石油製品が席巻し、使い捨てが美徳と勘違いされる時代が来るまで町には職人が大勢いました。
写真は明治後期とおもわれる「輪替屋(わがえや)」とその丁稚(でっち)です。
キャプションには「A Cooper」とあり、これも当時流行していた着色絵葉書屋の勘違いでしょう。
牧場主の息子と言われている
ゲーリー・クーパーの英国での祖先は樽屋(たるや)だったのかも知れません。
画像は共に記載はありませんが、
F.ベアトの弟子
日下部金兵衞の撮影によるものと思われます。
町の風俗を歩きながら撮影したのではなく、道具や背景を用意して写真館で撮ったとおもわれます。また、絵葉書に於いて撮影者を特定する事は金兵衞以外には今でも稀でしょう。
金兵衞が横浜で写真館を営んでいたのは有名ですが、最晩年92歳で死去するまで芦屋の上宮川町の知人宅に寄寓していた事は余り知られておりません。
画像は神戸市立博物館所蔵のカタログより(輪替屋の絵葉書は金兵衞作と特定されておらず)
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