ある宵、神戸の元町通りを散歩していたら、何やら祭りらしく、諏訪山にある神戸小学校の生徒たちも参加していました。彼らが叩いている樽太鼓は「たるや竹十」が作った杉樽の太鼓ではありませんか。
元町通りの一本南にあるのが、南京町(中華街)。
いまでこそコジャレたお店が増え、人通りも増えましたが、かつては外人バアが立ち並び、怪しげな店の林立する夜道の漫歩が憚れるような異空間だったのです。
いまは華やかな中華街も、昭和40年代までのそこは入るのに勇気がいるような汚い料理店が数軒並んでいるだけで、横浜の同名の地域とは比較にならない所だったのです。
神戸市の恥部のひとつでしたが、いまでは一大観光地となり、さらにコギタナイ雑居ビルの中を、それ風に改造した小ブチック村には他府県からわざわざ買い物にやってくる程に変貌しました。
地震の翌日にはふだん通り営業した強いエネルギーを持った町でもあるのです。
「神戸太鼓」とは神戸小学校の命名だそうです
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