「
岩屋名所 松帆の浦」という説明を持つ絵葉書です。
昭和8年の消印から類推するに、台風で本殿の
「敏馬(みぬめ)神社」が流された為の急拵えの祠ではないでしょうか。
「樽屋竹十」の中にあった
「住吉神社」の親社です。
同じように江戸に向う
樽廻船の航海の無事を祈りに出帆前の船は必ず、お祓いを受けました。
この付近は今でこそ前を国道が走り、海まで何キロも埋め立てられてしまいましたが、
古い資料によれば、かつて料理店35軒、お茶屋15軒、芸妓置屋15軒からなる、
福原、花隈に次ぐ狭斜の街だったのです。
蕪村が有名な
「菜の花や月は東に日は西に」の連句を詠んだには、この地にあった、
料理旅館「井筒屋」の句会だと言われております。
「敏馬神社」という、この神社は地域では殊のほか重要な杜で、
樽屋の親方夫婦は祭事があれば、必ずお参りに出かけます。
「敏馬花街の由来記」1936年 によれば、元々漁港であり、夏は海水浴場として賑わったらしく、やって来る遊客を見込んで明治31年に前述の花街を建設した由。
下の圖は「
摂津名所圖繪巻七」より
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