2009年4月18日

酒樽(たる)に使うための竹を保存する

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暖かくなってまいりました。
この季節には竹も杉も伐採出来ません。
寒い時期に切って置いた竹を、これから秋までの間に作る木製樽のために大量に保管しなければならないのです。
写真は最も細い竹の根の部分、即ち「元」の束です。

昔は、夏の間は木樽を全く作らないものでした。
この時期には底や蓋を作ったり、完全に長期休暇をとったりしておりました。
暮れに、それを補って余る程大量の酒樽が出荷されていたので、のんびりした夏を過ごす事が出来た訳です。
残念ながら、最近は正月に大きな酒樽で酒を呑む習慣が少なくなって来たので、
静かだった酒樽屋の夏も過去の話になってしまいました。

五島列島へ行った酒樽(さかだる)

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日本の西の端、五島列島の中でも更に西端の福江島に五島列島酒造という名の酒屋さんが新しく出来て、
「たるや竹十」の酒樽が、船に乗せられて渡って行きました。
この蔵が作っているものは清酒ではなく、焼酎で、しかも醸造用ではなく展示用です。

先ず長崎まで運んで、そこから船に乗せて行くので樽が到着する日程は判らないそうです。
かつて、石垣島まで樽を送った事がありますが、その時は一週間位かかりました。
去年、アイルランドにも酒樽を送ったのですが,航空便ですから翌日に到着したそうです。
ただし、通関に数日かかりました。


2009年4月15日

吉野杉を使った木樽の作り方 その6 箍(たが)を結う

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竹を割って、細長く加工した物を木樽の外周に合わせて結っていきます。
先ず、竹に丸みをつけて、箍(たが)を結い易くします。
この作業を「竹を殺す」と呼びます。
元に戻ろうとする竹を左手で、しっかり押さえておかねばならないので、力も必要ですが、
折れ易い竹を結う作業は充分な注意も要する工程です。

昔、酒樽のことを「結樽」と呼んでいた語源です。

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真っすぐな,竹を無理矢理丸くする訳ですから、簡単には出来ません。
おおよその形が出来た所で足で押して、真円に近い形に整え、「箍(たが)」を作ります。
更に、木樽の外径の沿わせるため、大きすぎる時は「引き」の、小さすぎると「戻す」作業を繰り返して丁度の大きさの「箍(たが)」を作ります。
樽太鼓の場合は小さくして、硬いものを、漬物樽や味噌樽のように口の開いた木樽の場合は、
少し緩めにする為,大きめに、酒樽のように蓋から洩れては行けない場合は中くらいという風に作る木樽によって「箍(たが)」の強さをそれぞれ微妙に変えますので、技術の違いが歴然と出て来ます。
この「引き」や「戻し」を怠ると良質の味噌樽、漬物樽、樽太鼓、酒樽が出来ません。

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画像の下の竹輪は完全に入った状態。
結いはじめる最初の部分(竹の根に近い太い所)を「元」といいますが、
「元」の下に、もう一回竹が来る結い方でないと「箍(たが)」の力は発揮出来ません。
この「元の下」が後でキーワードになって来ます。
反対側の先の部分は「末」と呼びます。
因に「胴輪」や「小中」の様に力がかからない箍(たが)は一回分、結いを省きます。

上の竹は樽の外周を測って結いはじめる状態、下は完全に樽に収まった状態です。
竹は横の力は弱くて、手で簡単に折れてしまいますが、縦の力は鉄より強いといいます。
実際に今でも、東南アジアでは建築物の足場に丸竹を使う程です。

2009年4月6日

酒樽屋のお八つ その拾玖 ラスク

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京都の
進々堂特製のラスクです。
黒糖が良い具合にからめてあって、芯は少し柔らかくて、形といい味といい、どこかカリントウを思わせます。
カリントウは元来、小麦粉を原料としたものですから、当然かもしれません。
売れなかったバゲットやバタールを元にしたものなので、商品リストにもラインアップされていませんし、いつでも売っている訳ではないのです。



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神戸、阪急六甲のポエムのチョコレート味ラスク。 
こちらはバゲットやパリジャンを普通に切断し、隣のケーキ工房のチョコレート壷にほり込んだように想像されますが.......
この店のバゲットはビゴの店系だからなのか知れませんが、夕方には殆ど売り切れていて、
材料の量にばらつきがあるのでしょう。店頭にたくさん並んでいる日もあれば、全くない日もあります。
食パンのラスクはよく見かけますけれど、バゲットのラスクの存在は最近 知りました。

子供の頃、食パンの耳を油で揚げたものに砂糖をまぶして、お八つがわりにしていた事を思い出します。




ついこの間まで、近所に「大洋堂」という小さなパン屋さんがあって、時々買いに行っていたのですが、最近ずっとシャッターが閉まったままで、ちょっと心配です。
下町には必ず、頑固なおじさんが丁寧に焼いているパン屋さんがあって、朝早く店の前を通ると小麦の焼ける香りが漂っ来て、つい店の中に入って焼きたての菓子パンを買っていたものです。どの町の方も親子三代にわたったりして贔屓にしていたものですが、スーパーマーケットの格安パンに押され、小麦やバターの価格の変動があったり、なにより「おやじ」も歳をとって来て力仕事ができなくなり、昔からのパン屋さんが姿を消して代りに若い店主経営の、小じゃれた「いかにもパン屋」が増えております。

2009年4月5日

酒樽屋 さる塔頭の桶を修理する

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京都、宇治の寺院から、寺の什器である桶の修理依頼がありました。
どの世界でも同じですが、他の職人がつくった物の修理ほど困難な作業はありません。
最初から新しい物をつくる方が楽です。
懇意にしている方を介しての依頼だったので、とにかく引き受けました。
先ず、清酒の蔵元から譲ってもらってきた、米の粉(精米の際に出ます。煎餅の材料になるという噂がありますが、「おかき」の原料に関しては不明。)
を水で溶いて「そっくい」という食べる事も出来る接着材をつくります。
「そくい」(続飯)が訛ったものでしょう。「そくいい」又は「そくい」とも呼びます。

��続飯」は米粒を箆(へら)で潰して練り上げたもので、「姫糊(ひめのり)」ともいいます。
また別に小麦粉から作られる「腐糊(くされのり)」と呼ばれる接着剤があります。
これは小麦粉を「寒の水(かんのみず)」に溶いて静置し沈殿した澱粉質を煮てから
甕(かめ)に入れ、土中に埋めて3年ほどで完成させたといいます。
腐糊は書物の装丁や掛軸の表装の際などに、続飯は家具や建具の木材接着に用いられてきました。
そのため日本では「糊着(こちゃく)」という呼び習わしがあります。

この前のバラバラの状態を撮影する事を忘れました。
側を元の順番に戻すために「タガ」の跡形を手がかりにパズルのような作業があったのです。
苦労して、元の順番に戻す事が出来ました。部材が一枚も欠損していなかったのが幸いです。
大概、一枚か二枚は欠けていて、その部分にだけ違う材料を持って来なければならないからです。
これが一番やっかいな作業になります。
それでも経年の乾燥により、側が若干やせて、少なくなっております。
この点は部材を増やす手法を避けて、底を小さく加工するという方法を選びました。


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残飯があれば、それを溶いておいて何でも昔はこれを糊の代用品として普通に使っておりました。
今回は急いでいたので省略し、ただ米粉を水で溶いただけなので少々「まだら」です。
充分な道具が揃わないので、接着が目的ではなくて、ただ組立て易ければ良く、とにかく隣同士の側が離れなければ良いだけですから、この程度で許してもらいました。
二つに割れていた、底も一枚に戻しました。

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樽や桶をつくる際は必ず、二本の仮輪が必要です。
口の仮輪は元々付いて来た古い竹の物を利用しましたが、
底には「竹十」が昔使っていた物を探し出して来て二人がかりで嵌め込みました。

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後は新しい竹タガを巻いてはめて行き、
長い時間が経って支障が来ている部分を丁寧に修正していきます。

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古い感じで時代感を出して欲しいという修理依頼だったので、敢えて最後の仕上げは施しませんでした。
はみ出した「そっくい」を拭き取るだけで出来上がりです。

この作業は樽屋の仕事ではなく、桶屋の仕事、桶屋の中でも「こんこん屋」の仕事で、
昔は、この種の桶の修理は全て断っておりましたが、
古い道具を分解してみると意外な発見があったり、
こんな手法があったのかという勉強になるので、なるべく引き受けるようにしております。
古い樽や桶は我々にとって最良の教科書なのです。
部材が揃っていたこともあるので修理費用は格安にしました。
桶屋は樽屋以上に減って来ているので、修理の依頼先がなく
「竹十」が引き受けざるを得なくなっているのも現実です。

2009年4月4日

酒樽屋の近くで催された、お酒の祭り

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酒樽屋のすぐ前の蔵元の中で「蔵開き」という名の、お祭りがありました。
この時期は各地で同様の催しが開かれます。

当然ながら、会場に正面に酒樽が置かれ鏡開きを行いましたが、天候にも恵まれた上に、おいしい新酒を格安で販売したことも手伝って予想以上に人が集まり、当初は余るであろうと考えていた樽酒が数時間で売り切れ、担当の方も驚いておりました。

すぐそばの海辺の公園でも地元住民主催の「菜の花祭り」が開かれて、ここでも酒樽の鏡開きがありました。
どちらも四斗樽に出来立ての清酒がたっぷりで、酒処「なだ」ならではの光景です。

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上の写真は酒を搾る工程で、容器に酒樽を使っておりますが、外したフタが見えておりますし、この祭りの日だけ来場者の方々に楽しく見てもらえるための演出だそうです。
ことほどさように酒樽は人の心を和ませる作用も併せ持っている訳です。

この日の催しは地元の新聞にも翌日大きく取り上げられました。
写真に写った職人さん達は大喜びです。

2009年4月1日

酒樽屋の酒樽を築地で「鏡開き」する

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東京に魚がし日本一という寿司屋さんのチェーン店がオープンしたので、各店舗の店先での鏡開きのために各店舗二丁ずつの酒樽を発送しました。都内で26店舗もあって、まだまだ増え続けているそうです。
店の名の入った杉枡も数百個つくりました。


残念ながら、清酒離れと連動して酒樽の需要は年々落ちているため、年末の最盛期を除けば、
普通はこの時期に多くの鏡開き用酒樽の注文は余り無く、
季節はずれの注文に応じるため汗だくになりました。

「魚がし日本一」の全店舗では鏡開きした酒樽からの振舞酒が数時間で空になったそうです。
どんどん店舗を増やし、今度は羽田空港国際線BIGBIRDにも開店するらしいので、次の鏡開き用酒樽を準備しておかねばなりません。

酒樽のよる鏡開きが、こうして今一度、新鮮な眼で見直されて来たことは喜ばしい事です。

画像は浜松町に先日開店した、ハマサイト店のチラシです。






2009年3月30日

江戸時代の酒樽屋 実は桶屋なのです

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葛飾北斎(かつしか・ほくさい)の「尾州不二見原」です。

切手になったり、酒のラベルになったりしていて、たいそう有名な木版画ですね。
北斎は
1760(宝暦10年) 9月江戸本所に生る。
1778(安永7年) 19歳、勝川春章に師事、春朗と号す。黄表紙の挿絵、役者絵を描く。
1780-1800(天明・寛政のころ) 歌川豊春、司馬江漢の影響を受ける。
1810(文化9年) 『北斎漫画」の出版始まる。嘉永2年(1849)まで続き、13編で一旦完結。
1819(文政2年) 「たるや竹十」創業
1823(文政6年) 『富嶽三十六景』を描きはじめる。
1834(天保5年) 『富嶽百景』を描きはじめる。
1849(嘉永2年) 4月没、享年90歳、総作品は3万枚を超える。
結局『富嶽百景』は完結せず。

「富嶽三十六景」は36枚のように思われますが、実際は四十六枚。
富士山を中心に、それまで誰も考なかった斬新な手法を取り入れ、色調と構図も独特の大傑作であり、北斎五十年間の画業は、ここに凝縮されていると言えるでしょう。

因に、ここで桶屋が使っている道具を職人は「イレギワ」又は「ヤリガンナ」と呼んでおります。
桶の内側の段差を整える為の道具で、樽屋が使う「つっこぼり」と似た目的のものです。

左側に竹タガや銑(せん)等の道具や道具箱、右側に木槌が何本か見えます。
側を補修して、輪替えをしている図かも知れませんが、
一人で作業出来る大きさではありません。
あるべき筈の底も見当たりませんし、第一にこんな変形の桶をいったい何に使うのでしょう。

野暮なことを書き連ねてはいけません。これは「絵」なのです。
すべて、奇才北斎による想像上の風景なのでしょう。

北斎晩年のスポンサー高井鴻山で話題の長野にある桝一市村酒造場の十二代目らしく、下って十六代当主が北斎館を設立しているのも何かの縁でしょう。

2009年3月28日

酒樽屋に助けを求めに来た樽太鼓たち

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丹精こめて作った樽太鼓も保管状況が悪いと痛んできて、タイコではなくなってしまいます。

すべての木製樽は直射日光、風、水に弱いのです。
液体用の容器なので、水は適度に必要なのですが、
過剰な水分は竹を痛めてしまいます。

温度と湿度が頻繁に変化する空調機器のある環境が最も苦手です。
大型店舗の真冬などは、お客さんのために昼間は強力な暖房が施されておりますが、
閉店後の深夜は無人なので、逆に冷蔵庫状態にかわります。
これを毎日繰り返されると木製樽は、ひとたまりもありません。

夏は、クーラーを使うことから、逆ですが同じことが起こる訳です。

使わない樽太鼓は和紙(なければ新聞紙でも可)にくるんで北向きの冷暗所で保管して下さい。
水分を与える事が樽太鼓には良いように勘違いされているようですが、水も大敵なのです。

右の樽太鼓には釘や針金を使って補修していますが、タガが落ちないだけで全く効果はありませんし、
木工用ボンドを使った時と同じで修理が不可能になってしまいますから避けて下さい。
左の太鼓樽は「タガ」が切れているので新しいものに替えなければなりません。
樽太鼓の修理の際は殆ど、全ての「タガ」新しい物にを取り替えます。



2009年3月26日

吉野杉を使った木樽の作り方 その5 つっこぼり

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二本の鉄輪で支えられた木樽の内部のうち、底を込める部分の側の段差(目違いと呼びます)を、丸みのある特殊な鉋(かんな)で削り、平坦に加工して底との隙間をなくします。

この作業は「つっこぼる」と謂います。


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ですから、この作業に使う特殊な鉋(かんな)を「つっこぼり」または「つっこぶり」と呼びます。
右が四斗用の大きい物、左が一斗や二斗に使う小型の物です。
細かい作業や小さい樽を作る時の為に、もっと小さい物もあります。
鉋(かんな)の両側に出ている棒状の部分を指で支えて削るのです。

例によって、作業の行為と道具の名称が同じです。

単に「丸かんな」とか「内かんな」と呼ぶこともあります。
台にも刃にも丸みがあります。
この特殊な道具を作る職人も殆どいなくなりました。
かつては堺に沢山の樽道具職人がいましたが現在では皆無です。
杉の産地吉野と酒の本場である灘の中間に、樽丸つくりと樽つくりに不可欠な刃物職人がいた事は偶然ではないでしょう。
今は兵庫県の三木市に一人だけ残っておられます。

普通の平かんなに丸みを付けて改造したりしてみますが、専門外の仕事は容易には出来ません。
どんな仕事でも道具作りが物作りの重要な要素であります。
慣れれた道具を修理しつつ使っております。

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この工程は地味な割に以外と時間と手間がかかる作業ですけれど、底が入る部分を整える訳ですから、手を抜くと洩れの原因の一つになります。
当然丁寧な仕事を要求される訳です。

殊に味噌樽や、漬物樽のように長い年月使う木樽の場合、むしろ酒樽以上に丁寧な作業を要します。

近年、この作業を省略し、機械で円形の溝を作って、その溝に底をはめる手法も考案されましたが、この方法は作業が楽にはなりますが、手作りの底の外周や樽丸から加工した側の厚みの微妙な違いに対応出来ないので、「たるや竹十」では昔の手法に戻しました。





2009年3月22日

酒樽(さかだる)屋が酒樽(さかだる)を発送する

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突然、暖かくなってきました。
味噌樽(みそたる)や漬物樽(つけものだる)の寒い時期が終わりかけると、
かわって、お花見用に「酒樽(さかだる)」の注文が増えて来ます。
写真は四斗樽(たる)の形をしていますが、中身は二斗だけという変形樽です。

手前に見えるのは、次の酒樽(さかだる)を作るための箍(たが)用の竹の束。

因に、味噌作りは五月頃に仕込む方もおられるので、味噌樽(たる)の注文は、まだ続きます。





2009年3月7日

酒樽屋のお八つ その拾捌 BECK' S!

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コンサート会場から外に出たら、食事をする所がない。
ブラブラ探していたら、なんと[BECK'S]というカッフェが。
当日限定じゃないでしょうね。

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この店の[BECK'Sプレミアム]という名のサンドウイッチは,気のせいかストラトの味がほのかに。

ここの親会社の名前がなんと[JEF]
きっと JEFF BECKファンが経営しているのかと思っていたら、JR東日本フーズでした。
サッカーのジェフ市原のオーナーでもあります。
どおりで関西では見かけない筈です。



酒樽屋はJEFF BECKファンなので、埼玉まで追っかける

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初めて行った「さいたまスーパーアリーナ」
盗撮ではありません。終演後ライトが落ちた風景です。
ここのアリーナは余程前でないと殆ど見えないという噂だったので、敢えて2階席を選ぶ。


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道に迷うことを覚悟していたら、いきなり駅前でした。
しかも隣には「ジョン・レノン ミュージアム」が。こんなに近くにあったのか。
ここが目的で来た訳ではないので又の機会に。

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それより、この建物の前で演奏した"A DAY IN THE LIFE”はジョンへのオマージュめいていて,
今まで聴いた中でもずば抜けて秀逸、一種神懸かり的でした。
画像はロンドンのジャズクラブ、リドニー・スコッツのもの



一部JEFF BECK BAND

The Pump
You Never Know
Cause We've Ended as Lovers
Stratus
Angel
Led Boots
Goodbye Pork Pie Hat
Brush With The Blues
JEFF & TAL Solo(inc〜Freeway Jam)
Blue Wind
A Day In The Life
(Encore)


二部Eric Clapton Band

Driftin'
Layla
Motherless Child
Running On Faith
Tell The Truth
Little Queen Of Spades
Before You Accuse Me
Cocaine
Crossroads

三部Clapton & Beck
クラプトンバンドにベックがゲスト出演の形(ロンドンの逆)
ここで観客は総立ち。

You Need Love
Listen Here/Compared To What
Here But I'm Gone
Outside Woman Blues
Brown Bird
Wee Wee Baby
Want To Take You Higher
最後をこれでしめる所がさすが大御所二人。

老練な名人より永遠のギター小僧の方が数倍カッコ良かった。
クラプトン64歳、ジェフ65歳、一つ年上なのにジェフがクラプトンの息子みたい。
こんな風に歳を重ねたいものです。

2009年3月6日

まだまだ手作り味噌の時期なので味噌樽ばかり作る樽屋

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三月になりました。今年は暖冬と言われていたのに未だ寒い日が続きます。
温度の低い時期は野菜もおいしく、更に味噌や漬物に最適なので、
樽屋への注文は味噌樽や漬物樽が多くなります。

味噌樽や漬物樽のように蓋のない樽は蓋がないので簡単に作る事が出来そうですが、
酒樽や樽太鼓のような蓋付きのものより、はるかに技術を要します。
殊に味噌樽は特殊な形状なので、一日に何個もの樽を作る事が出来ません。
同じ材料を使うのですが、漬物樽より値段が高くなってしまいます。
��漬物樽が安すぎるのですが..............)



2009年3月4日

樽屋の雛祭りではありません

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樽屋の奥に飾ってある訳ではありません。
某ホテルのロビーに鎮座しておりました。

大倉家伝来の雛人形だそうです。
バロン・オークラと称された元男爵大倉喜七郎氏より寄贈。
札幌の大倉競技場もバロン・オークラの寄贈。

樽屋が日頃、お世話になっている神戸中央図書館のある大倉山は喜七郎の父喜八郎が初代兵庫県知事伊藤博文邸を作る為に造成したので、大倉山と命名されました。


有職雛人形司 永徳斎作 昭和初期
永徳斎は明治から昭和にかけて東京日本橋十軒店(いまの室町三丁目)に店を構え、
四代を重ねた東京随一の人形店だそうです。

さすがに東京らしい大きな大揃の雛人形、見る人見る人記念撮影しておりました。

小さな酒樽、漬物樽、味噌樽、たらい、寿司桶、おひつ等が飾られていて、
昔の生活用品が全て樽や桶だったことが偲ばれ樽屋にとって楽しいものです。