2009年2月8日

木製樽のつくり方 その1 先ず「輻(や)」をつくる

輻(や)とは即ち車輪におけるスポークです
先が尖っているので、通常「矢」の字をあてがちですが、「輻」が正確な呼びです。

幅の広い樽丸の側を斜めに切ったり、節などの悪い部分を落として作って置きます。
これを、ひとつの木樽に4〜6本入れて、円錐形に形作る部品に、また微調整の材料に使用します。
寸法は広いものや狭いものなど各種つくって置かねばなりません。

%E3%82%84%E6%94%BE%E5%B0%84.JPGこう並べると判り易いでしょうか。

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最近はタイムトライアル用にスポークのないカーボンホィールもありますが。

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手前に二枚の輻(や)を使っているのが見えるでしょうか?

丸くないのに「樽丸」とは、これ如何に 木製樽の巻

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現在の「樽丸(たるまる)」の形です。
数日前に紹介した竹の箍(たが)で丸く巻いた本来の「樽丸」とは全く形態が変わりました。
「まる」という呼び名だけが木製樽の世界では残っています。

一束をふたつに分割し、かつ四角に機械で結束するようになりました。
「丸屋」(木製樽の材料を作っている業者)も作業が簡易になったと言っております。
写真のように保管し易く,運搬も楽なのですけれど、すっかり味わいがなくなりました。

左端が一尺一寸甲付側の内黒丸、真ん中が赤味丸、右端は一尺五寸赤味丸。
すべて,木製樽用です。
全然,丸くありませんね。

どんな形にせよ、とにかく「樽丸」がなければ木製樽を作る事は出来ません。







2009年2月7日

酒樽屋の OVER THE RAINBOW 3

Jimi_Hendrix-studio._L.jpg

この人の0VER THE RAINBOW を忘れてはいけませんが、実はこれは間違いで、QUEENの演奏なのです。
Jimiには同名異曲があり、全く別物なのです。→こちら

とにかく、JIMI HENDRIXなのです。
この人がいなかったら、ロッケンロールもはじまらなかったし、いまだに誰も彼の左手を超えられないでしょう。
わずか27歳で死んだと思えない程の影響を後のミュージシャンに与え続けています。
このフェンダーストラトはキース・リチャーズにもらったという噂は本当かな。



サビの部分をDavid Sanbornに取られてしまって、苦笑するClaptonSheryl Crowがおかしい。

大阪でDavid Sanbornのライヴに行った時、彼自身に訊いたのですが、
その後Claptonからのお呼びは全くないそうです。
よっぽど、懲りたのでしょう。

近所の平五郎稲荷と昔「竹十』の中にあった お稲荷さん

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初午です。
お稲荷さんの誕生日だそうです。

早速、樽谷さんの店に行って薄揚げと厚揚げを買いもとめ、
近所の「平五郎稲荷大明神」へ、お供えに出かけました。

子供の頃によく遊んだ場所ですけれど、その寺山修司めく空間が今でもおどろおどろしく、
やはり少々、怖い思いがしました。
お供えの「油揚げ」をもう野良猫が持って行こうとしております。
昔、裏山の墓地に、平五郎という狐が住んでいて、お墓参りの時などに塚穴を覗くと狐が見えたそうです。この狐を祀った稲荷祠。

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帰って来たら、たるや竹十の中にも祠があった事を思い出し、そちらにも「お供え」
ここは、現在隣接するH氏の敷地内。
H氏も子供の頃、このエリアがたいそう怖かった記憶があったと回想していました。

2009年2月6日

樽丸作りの実際 川上村にて

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それでは,木製樽の材料である「樽丸」は実際には、どのようにして作るかというと、
見ているだけなら、しごく単純なれど、まことに熟練を要する仕事です。
写真は川上村のふたりの山本さん(親戚ではない由)
左の山本さんが丸太をミカン割りします。
右に座る別の山本さんが銑(セン)という刃物で仕上げます。

未だ、切り立ての吉野杉ですから、水分がたっぷり残っております。
木目が素直に真っすぐ通った、即ち、よく手入れされた杉を使えば、作業は楽です。
そのかわり、原木の材料代は当然高くなります。
安くて悪い(手入れされていない)吉野杉を使うと、材の買い入れは安くて済みますが、
後の作業に骨が折れますし、何より良質の樽丸が出来ません。
樽屋としても作業にひと苦労、しかも良い木製樽が出来ないのです。

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こちらは出来上がった榑(くれ)を井の字型に組んで乾燥させている所です。
昔、灘にも浜があった頃は、この作業を海辺の砂浜で夏頃やっておりました。
乾燥させる榑の量も半端ではではなく、井の字型ではなく、「おおばい」といって、人間の背の数倍高く積み上げたものです。
夏休みに,「かくれんぼ」をするには格好の場で、その中に入って「おおばい」を崩し、
こっぴどく叱られたものです。

やはり、樽丸つくりは山の中でする方が気持ちよく作業出来ますし、良質のものが仕上がるようです。風土の違いから乾燥の具合が違うからでしょう。
山の中でも稀に台風で乾燥中の樽丸が流されたりしますが、灘の浜では台風で全てをさらわれた事が何度もありました。

DSC01776.JPG昔の「おおばい」と「樽丸」

2009年2月5日

木製樽に最も適さぬ材料

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木製樽に「板目」のものと「柾目」のものがあり、それぞれ用途によって、その特性に長短があります。板目は長期保存用、柾目は寿司桶や風呂桶のように短時間の使用のためのものなのです。
唯一、使ってはならない材料があります。

写真のように柾目でも板目でもない、木目が斜めになったものです。
「追い柾(おいまさ)」といいます。
写真のものは木目が大変荒いので、殊に悪い柾目と言えましょう。
これでも短期使用には問題はありませんが、
酒樽のようなものは短期使用ですが、これを使う事は出来ません。味噌樽や漬物樽のように、
長い間の使用には不向きです。
斜めになった木目から水分が滲みだします。

「寿司半切り」「おひつ」のような短期間の使用中に滲みが出る事はありません。
大概,このような材料は機械で製材したもので職人が木目を読んで加工したものではないのです。

樽丸(たるまる) 木製樽の最も重要な材料

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樽丸などと言いますと、どこの落語家かと思われるでしょうが、「たるや竹十」の倉庫の奥で
古い「樽丸」を発見しました。
ずいぶん日焼けしてしまっておりますが、一皮むけば良い色が出て来ます。
ここまで古くなると,香りが飛んでしまっていて酒樽には使えませんけれど。

このように、丸く束ねて竹で巻いているので「樽丸」と呼んだ訳です。
画像のように竹を用意して結束するだけの「箍師」という職業も吉野地方には存在しました。
材料の丈(長さ)を測り,規定の量を、予め巻いておいた箍(たが)の中に入れていくだけの作業ですが、なかなかどうして真似の出来る仕事ではありませんでした。

ひとつを「一丸(ひとまる)」と言います。
最近は、一丸を二分割した、半丸(はんまる)をひとつに四角く束ね、二束で一丸になるようになりました。
一丸では、余りに重いのと、四角い方が積み易いからです。
半分にしている今でも、四斗樽に使う、一尺八寸の樽丸の移動には骨がおれます。
丸い頃の樽丸を運ぶ時は転がしていたような記憶があります。

写真の左側が、板目の樽丸、右側が柾目の樽丸。
どちらも一尺八寸です。

業界では単に「丸(まる)』と呼ぶだけで互いに通じるのです。(丸くはないのに)

2009年2月4日

手作り味噌には柾目ではなく板目の木製樽を使わなければならない

手作り味噌のように長期保存して、醗酵を待つような場合の容器は木製に限る訳ですが、
木製なら何でも良いという訳ではありません。

木の取り方、「木取り」には大きく分けて柾目と板目があります。
柾目は見たところは綺麗ですが、手作り味噌のような長い保存には適しておりません。
経年と共に柾目だと木目の夏目の部分から水気が滲みだすからです。
 
DSC08357.JPG板目



DSC08356.JPG柾目



酒樽屋のお八つ 其の拾陸

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節分です。
一寸豆です。「そらまめ」のことですね。
「ちょっと」ではなく、「いっすん」です。
今年は、豆の代りに松露にしました。

一寸と称していますが、実際は一寸五分ありました。

豆富本舗
京都市下京区東中筋通七条上ル文覚町

2009年2月3日

手作り木樽には底に溝がある

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たるや竹十が作る木製樽には底と側の間に浅い溝があります。
清酒や醤油などの液体を入れる場合には問題ありませんが、
手作り味噌など固形物を醗酵させる場合には、この溝を先ず味噌玉をパテ埋めするように詰めてから、仕込んで下さい。
そのようにすると溝の部分に空気が残らず,醗酵がうまく進みます。

手作り味噌用の樽は本来「桶屋」の仕事でしたが、桶職人が減って来た事に加えて桶は値段が樽より高いので、「樽」も味噌に使用するようになりました。

手作り味噌に使う「桶」には「樽」に出来る、この溝はありません。
「樽」はあくまで液体を運ぶ容器でしたので、溝の事は考えていなかったのです。
「桶」と「樽」は製作工程が全く違いますので、溝無し樽を作る事は不可能。
しかし、「桶」より安価な味噌樽を作ることが出来ます。

先月は全国に「手作り味噌用の樽」を送りました。
梅雨と真夏を上手に越せば、思いのほか手作り味噌は簡単なもの。

出来れば、甕(かめ)や琺瑯(ほうろう)を使って味噌を窒息させるより、
木製樽を使って美味しい味噌を仕込んで頂きたいと願うところです。

酒樽屋の OVER THE RAINBOW 2



��3歳で夭折するまで、ワシントンDCの一部の人々にしか知られていなかった、エヴァ・キャシディのボーカルとギターである。1996年1月にジャズクラブ、ブルーズアレイで行われたこのライヴを一時期はボーイフレンドだった、クリス・ビオンドが後々のことを考えてライヴを録画録音していたものである。没後に両親が記念に選曲してCD化し、世に知られるようになった。鳥として生まれたからにはさえずらずにはいられないように、唄うべくして生まれ出たという点で、同じように若くして死んだジャニス・ジョプリンの生々しい情熱を思わせるところがある。

このライヴの数ヶ月後に死去。きっと虹の彼方にある夢の世界へ行った事でしょう。

別のサイトも充実。
METHOD ACTORというアルバムだけがちょっと異質。

再々 手作り味噌を仕込むための木樽について

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大と小の味噌樽です。
右側の「大」は容量が18リットル、左の「小」が9リットル。

「大」が最も伝統的な手作り味噌用の木製樽の形です。手作り味噌を仕込むのにピッタリです。

一番上にフタを置く事は本来しないことだったのですが、今のように何が混入するか予想もつかない時代になりますと、フタが必要になりました。
この上を更に和紙で覆って埃や虫を遮断すれば安心です。
決して,ビニール類をかぶせないで下さい。
手作り味噌が窒息してしまいます。

樽の呼吸という点では、木のフタを使わず、和紙で覆うだけの方が美味しい手作り味噌が出来るという報告がありますので、今は都市部で発生するケミカルな埃を防ぐために、必要な方には上フタも添付しております。
蓋(ふた)に関しても最初は下の写真にあるように薄い柾目の物を使用しておりましたが、最近は写真のような厚みがたっぷりある板目の物に変更しつつあります。
この他に「押しフタ」が必ず付属します。

蓋も手作り味噌には「板目」が良いと判断したからです。




2009年2月2日

再び手作り味噌のための樽について

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毎年、一月から二月にかけての寒い時期は手作り味噌の季節です。
この低い温度が手作り味噌に最適なのでしょう。

塩の他に「麹(こうじ)」も大切な要素です。
灘五郷という酒処に住んでおりますと、「麹」の入手には事欠きません。
「もやし屋」という麹専門店が周辺に沢山あります。
てっきり、野菜の「もやし専門店」か「焼きそば屋」だと思っていたら、ここが「麹屋さん」でした。

「糀」とも書きます。
精酒、味噌、食酢、漬物、醤油、焼酎、泡盛などの発酵に不可欠です。
醸す(かもす)という語が転化して「こうじ」と呼ぶようになりました。

マンガのもやしもんが有名です。

我が家では、去年は三月に手作り味噌を仕込みました。
四月初め位でも大丈夫だそうです。




2009年2月1日

手作り味噌に木樽を使う

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手作り味噌をつくる方が年々、増えております。
楽しい,おいしい、便利、そして何より工場で量産するものではなく、
手作りの食べ物は安全です。

大豆その物から手作りという方もいらっしゃいますが、気をつけて頂きたいのが塩です。
��972年から日本全国から塩田は消えました。
それなのに、どこの国で作られたか判らない塩が国産のように袋詰めされて、
現在売られています。
折角、手作り味噌をはじめようとされるのなら、使う塩の産地をよく見るよう注意して下さい。

そして、手前味噌になりますが、プラスチックの容器などを使わず、
手作り味噌には「木製樽」を使って下さい。人工樹脂や陶器を使っていたのでは、
手作りの意味が半減してしまいます。





酒樽屋が使う天の星

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「天星(てんぼし)」です。
高野槙(こうやまき)で出来た木栓の呼び名です。
樽屋はフタの事を「天」と呼ぶ事があるので、そこに空いている穴を埋める木栓を星と称したのでしょうか。語源は定かではありません。

高野山でよく採れたので、この名が付いていますが、実際は木曽の槙(まき)も使うようです。
霊木いわれ、魔除けとして家の玄関によく槙の木を植えているので身近な存在ですが、
水にも大変強いので、主に浴槽や風呂桶に使われ、槙の風呂が最上と言われています。

どんなに良い酒樽を作っても、良質の「天星」がなければ、商品にはなりません。
灘五郷には、かつて何軒もの「木栓屋」さんがありましたが、尼崎の大物にあった最後の一軒の廃業に伴い、近所の木栓屋は皆無になりました。
昔の木栓は全て吉野杉製でしたが、「滲み」には勝てませんでした。
毎日、蔵元へ朝早く栓の取り替えに出かけるのが苦痛だった記憶があります。
今でも、香りを重視する極少数の蔵元が杉製の栓を使っています。


今は高野槙の地元、和歌山の業者が殆どの木栓類を作っています。
槙の樹も辺材は水を漏らしますので、杉と同じように中心付近だけを使います。