2010年9月1日

真夏に大量の四斗樽

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八月も今日で終わりだというのに、突然四斗樽(たる)の注文が沢山あり、
樽屋の全盛期でも真夏に大量の四斗樽(たる)を作ったという記録はありません。
夏には竹はないし、今年のような尋常ではない暑さの時期に大樽作りは汗びっしょりです。
写真の手前に見えるのが一斗樽(たる)=(18リットル)ですから、
四斗樽(たる)=(72リットル)の大きさがよく判るでしょう。

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これだけの量の四斗樽(たる)の梱包や、運送の手間も大変だなあと思っていたら、
トラックで引き取りに来てくれました。
最初は午後6時頃という約束だったのが、当日に突然午後3時に変更になったのですが、
それでは最後の一丁が出来上がっておりません。
無理を言って4時過ぎに変更。

江戸明治期における酒樽(たる)と言えば甲付の四斗樽(たる)だけと決まっておりましたが、
後年その利便性から、半分の量が入る二斗樽(たる)を「はんだる」と呼んで作り、
更に半分の一斗樽(たる)を「こだる」称して、四斗樽(たる)以上に流通せしめました。

ところが、ここ数年の日本の清酒離れと連動して、最大生産量を誇っていた一斗樽(たる)=
��8リットル入がすっかり衰退し、むしろ本来の酒樽である四斗樽(たる)が復活してきております。
一斗樽(たる)は醤油にも酢にも使っていたので、その生産量は半端な数ではなく、
全体の7割近くを占めていた程で、とても手作りでは間に合わず、醤油メーカーが率先して、
特殊な技術がなくても、一日に200丁以上も量産出来る機械が第二次大戦前に開発された程です。
「樽屋竹十」にも、昭和40年代半ばに、この種の機械一式が小豆島から運ばれて来ましたが、頑固な樽職人ばかりが居並ぶ「竹十」のことです。
一番職人が率先して「こんな無粋な機械を導入するのなら、お暇を頂きたい、長い間お世話になりました。」という通告を受け、機械より職人の技の方が大切ですから、機械導入は断念。
この機械一式は別の場所へ移動し、そこで一斗樽(たる)を増産して完成品を「竹十」へ運ぶという方法をとりました。
職人達にとっては自らの技に対する矜持もさることながら、自分たちの職を奪われそうな恐怖を感じたと、引退したある職人が回顧しておりました。
それほど巨大で無機質な物体が威圧感を漂わせて、工場の入り口に長く鎮座しておりました。

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