江戸時代、武家では男は具足(鎧の一部)の前に、女は鏡台の前に鏡餅を置き、十五日に、これを割って食べたものです。平民は神仏の前に供えました。
写真は雑誌「週刊プレイボーイ」昭和43年1月30日/2月6日合併号に掲載された、昭和43年1月15日に日本武道館での「鏡開き式」に登場した故三島由紀夫氏(前日43歳になったばかり)。
この二年後に自刃。
「今の戦争の超スピードをF104搭乗で味わったのち、昔の戦争の超スロモーを武道館の鎧の着初め式と出陣式で味わった。着付だけで三十分以上かかる武具一揃は 重量三十五キロ。バーベルをかつぎ馴れているから 鎧は楽だし 冑も 無線のついたパイロット・ヘルメットの 頭を押えつけられる感じとあまり変りはない。重装備のコロコロした兜虫的な武装のなごりは 今は人間ではなく タンクに残っている。めくらで唖でツンボなのが戦車だと言われているが なるほど鎧兜に身を固めると 視界もせまく 身動きも不自由で 却ってガムシャラな勇気が出るような気がする 大将のキュークツさがよくわかった。やっぱり足軽のほうがいい。」三島由紀夫(原文のママ)
上記文章が新全集に収録されているかどうか、未だ確認しておりませんけれど、写真は未収録でしょう。
この時の別写真はLP「椿説弓張月」上の巻(横尾忠則装)に掲載されております。「下の巻」は未刊。
その後、新潮社刊「決定版全集 34巻」に『(無題 若武者出陣)』として、収録されていることが判りました。
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