2011年12月30日

酒樽(たる)と柿の関係

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今年は台風の影響で吉野地方は多大な被害を被りましたが、
幸い柿だけは美味しい物が収穫されて全国へ出荷されました。

その柿も最後の一房を残すばかり、町はすっかり冬景色。
川上村からの樽丸が台風以来、初めて届きました。

吉野は杉と桜、そして柿の産地なのです。      
 

2011年12月29日

酒樽(たる)が笑う

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酒樽(たる)の周囲に竹の箍(たが)を巻いて締め付ける工程ですが、
いつもうまく行くとは限りません。
竹(輪竹とも謂います)の素性が悪いと、時には丸く巻けない事もあります。
こういう状態を職人達は「樽(たる)が笑う」と呼んで蔑視するので、
笑われた職人は面倒でも竹を巻き直さざるを得ない訳です。
こういう習慣が自然と技術向上に結び付いて行ったのでしょう。



2011年12月25日

酒樽屋のクリスマスイヴ

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この時期が酒樽屋にとって一年で最も忙しい時です。
何年もクリスマスらしき催しをした記憶がありません。
明日は個人的に特別な夜なので、明日の分も仕事をしなければならなく、
なおさら忙しい訳です。
さるにても、コンヴァーチブルとはいえ4人乗りのミニは少々変では。


2011年11月25日

お知らせ

良質な吉野杉の入手が非常に困難な状況になり、ずいぶん工夫を続けてまいりましたが、
このたび各種の木製樽(たる)の価格を改訂せざるを得なくなりました。
品質の向上には今まで以上に努力を惜しみませんので、
まことに申し訳ありませんが、ご理解のほど宜しくお願い申し上げます。


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2011年10月6日

酒樽屋、大鋸屑を燃やす

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樽酒用の酒樽を作ると沢山の大鋸屑(おがくず)が出ます。
前にも書きましたが、大きな鋸(のこぎり)を使った屑なので、
大鋸屑(おがくず)と記す訳です。
樽屋の場合は「銑屑(せんくず)」であり、「バンバ」と呼んでいます。
昔は工場の片隅に背の高い煙突の付いた大きな焼却炉があり、
そこに何でもほり込む事も「うろうろ」という下働きの仕事でした。

消防法で焼却炉の撤去を余儀なくされ、今はストーブを設置して、
そこで湯を沸かしたり、暖をとったり出来ます。
夏は勿論、無理です。
ようやくストーブの季節になりました。
酒樽作りも一段と忙しくなります。



2011年10月4日

樽酒用の酒樽(さかだる)は箍(たが)次第

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樽酒に使う酒樽は吉野杉の側を竹の箍(たが)で強く締めて酒が洩れない様に作ります。
強過ぎては杉が折れますし、弱すぎると酒が洩れます。
箍(たが)の強弱は酒樽の善し悪しに大きく作用します。
樽太鼓の場合は酒樽(さかだる)よりも固い箍(たが)を入れて良い音が出る様にします。

2011年10月2日

十月の樽酒(たるざけ)

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十月一日です。
昨年の猛暑とうって変わり、街はすっかり秋の景色になりました。
酒樽(さかだる)を作っていても汗ばむ事も少なくなくなり、幾分か仕事が捗ります。

��0月1日は「日本酒の日」だそうです。
酒を容れた壺「酉」が十二支の十番目に因んで無理矢理こじつけたものですが、
各地で催しがあります。
実際に今頃から酒造りに入る時期なのです。
樽酒(たるざけ)が美味しくなる時期でもあります。
同じ理由で、この日は「醤油の日」でもあり、また「コーヒーの日」、「お茶の日」、
あるいは「眼鏡の日」「ネクタイの日」と
気候が良い時なので記念日が多い日でもあります。






2011年9月17日

にいがた総踊り 10周年を迎える

秋の銀色三連休の日曜日。皆さんいかが御過ごしでしょう。



新潟では恒例となった新潟総踊りが目出度く10周年記念となりました。
わざわざ樽屋竹十まで来て下さり太鼓演奏の実演まで披露して下さり、
又、その後は何度も試作品を作っては先生の厳しい試し打ちに適わず、
失敗も繰り返しながらの10年でした。
佐藤さん、鼓山先生、スタッフの方々、ボランティアの皆様、お疲れさまでした。
これからも宜しく御願いします。

にいがた総踊りの樽太鼓の叩き方は樽を潰すという程の迫力ですから、
それに耐えられるように特別に強靭に作っているのです。
最初の頃は単純に蓋や側を厚くすれば良いと勘違いした事もありました。
いくつもの樽太鼓に水を容れて見たりもしました。
側は厚くしましたけれど蓋と底は薄い板を使い、
タガを強く締めれば良い音が出る訳です。
但し、傷み方が早いので、「樽砧」専用のような木製タル太鼓です。

昨年は新潟まで4トントラックで出かけたのですが、ニアミスでした。
今年は別のところへ行くので亦々勇姿を拝見出来ません。

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総踊り実行委員会 (株)サイトのサイトより

師匠の永島鼓山氏です

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祭りの使用後に戻って来た「樽砧」用の樽太鼓ですが、側面が数カ所も破れていて、
その叩き様の激しさを想像することが出来ます。
但し、木製樽としては修理、再生は不可能です。
どの程度の傷み具合かを知りたかったので、参考までに返送してもらった樽です。
最近は、側面に少し厚い杉板を使って少しでも長持ちするように変更してみました。




2011年9月13日

酒樽と中秋の名月

今年も中秋名月です。
満月を見ると、いつも四斗樽(たる)の蓋(ふた)を想い起こします。

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a98-rickyleejones1.jpg 珍しくリッキー リー ジョーンズ

丁度、一千一秒物語の元となる原稿が発見されたそうです。
原稿を収めたDVDは八木書店から刊行予定。45万円もするそうですが...................................

この原稿は10月1日~11月26日まで日本近代文学館で展示される由。




2011年9月12日

昔の菰の巻き方

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菰の巻き方は各酒造メーカーによって、それぞれ微妙に異なります。
戦前の菰巻き樽が出て来たので、中の酒樽を見てみたかったので、
解く前に菰の巻き方を仔細に比べてみると大きく違っていました。

ビニール菰が主流の今、昔は本菰に荒縄、中に藁を入れて形を整えています。
写真の巻き方が本式ではないかと思われます。
今でも、この巻き方を踏襲している蔵が何社かあります。


2011年9月10日

建築用の足場に竹を使う

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この竹の束は酒樽のタガを作る為に用意しているの物ではありません。建築用なのです。

東南アジアでは今でも建築物の足場用に丸竹を使います。主にマダケです。
日本でも、つい最近まで杉の間伐材を用いていました。
極めて少なくなりましたが、今でも小さな現場等では細い足場丸太をバン線で結わえて使う事もあります。
少々技術を要します。

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今では既成の金属製足場材を組立てて、小さなビルなら丸ごとを二日程で養生してしまいます。
歩み板も杉材からアルミ製に変わりました。
この時、現場で作業しているのは殆ど東南アジアの人々です。
解体する時は殆ど一日で完了です。

2011年9月9日

酒樽屋の秋

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重陽であります。
久しぶりに外に出ますと、街のショウウインドウは当然ながら秋一色。

姫路市立美術館
では縁の画家、酒井抱一鈴木基一の展覧会「酒井抱一と江戸琳派の全貌」が始まりました。
パンフレットに掲載の「夏秋草図屏風」(重要文化財)は東京国立博物館から借りてくるので、
��月21日からの第三期の展示のみ。
江戸後期特有の涼しげな粋が楽しめそうです。

殊の外、琳派好きだった山本芳樹さんが生きていたら、さぞ喜んだろうと偲ばれます。





2011年9月8日

吉野杉の樽丸作り その2



吉野川の清流を前に樽丸の仕上げ作業をする山本さん。
銑(せん)」という特殊な刃物を使って、割った杉の裏と表の厚みを揃え、
木のねじれを修正していきます。

本日、白露。
周囲全てが杉だらけの自然環境は鎮静作用があって何より心地良いものですが、
川上村も襲った、この度の台風12号の脅威は「自然」が持つ優しさの裏側に隠れた
恐ろしさという二面性を思い知らされました。

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よく切れる刃物の大鋸屑(おがくず)は着火材や防臭材にもなるのです。

2011年9月7日

吉野杉の樽丸つくり その後



ミカン割りした吉野杉を丸みの付いた鉈(なた)と大槌を使い、
全てを6分(2センチ弱)の厚さに割ります。
木目が切れては樽丸にはならないので、決して製材機は使用しませんし、
素性の良い吉野杉ですと、手で割る方が簡単に良質の樽丸が出来ます。

��0秒〜50秒くらいの所が「甲付(こうつき)」を割っている所。
外側に赤味が出ては「背抜け」になり、内側に白太が出ると「甲付」にはなりません。
ほり出した一番外側は「箸」の材料に、最も内側は、昔は底や木栓の材料にしましたが、
今では、もっぱら燃料となります。

この作業をしているY氏の作業場が今回の台風で土砂に埋まってしまいました。
今も復旧作業中ですが、何とか元のように戻って仕事が出来る様になってもらいたいものです。










2011年9月6日

台風12号 吉野林業へ大きな被害をもたらす

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大型台風が吉野杉の産地、紀伊半島を直撃。
しかも低速で居座ったために普段から日本一雨量が多い地域なのに、
未曾有の雨が続いたために山崩れが多発しました。
メディアでは余り報道されていませんけれど、
吉野杉の川上村でも命に関わる被害こそ出ておりませんが、
家屋の被害は多発していて、
「たるや竹十」用の樽丸を作っている工場も土砂に埋もれてしまいました。
現在も復旧作業中です。

写真は初夏の台風による被害で、倒れて来た杉が狭い林道をふさぎ、
乗用車は勿論、軽四も四駆も通行不能でした。
今回の豪雨は、この比ではありません。
未だ,雨が続く模様で予断は許されないのです。

%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%9D%91.jpeg川上村提供 朝日新聞より

写真に見える建物は村役場、森林組合などの村の中枢部。
村の中心を通る国道が通行止めのため、現在は他の場所に仮設移動の由。

「水」は人間にとって最も重要な物質ですが、同時に最も危険な存在である事を、
再認識させられました。東日本大震災に於いても同様です。

皮肉な事に今、最も必要とされている物が又、「水」なのです。
神戸でも阪神淡路大震災の折、一番必要とされた物は電気やガスより「水」でした。










2011年9月4日

吉野杉のミカン割り



IMG_0001.jpg吉野林業全書より

最近は力が必要な部分は器械化されて、楽になりました。
ただし、まっすぐに木目が育った基準以上の品質を持った吉野杉でないと、
この機械は応じてくれません。
つい最近まで下の図のように全てが手作業でした。





2011年9月3日

酒樽用に吉野杉の原木を切る



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この作業を「先山(さきやま)」と謂います。
一般的には「玉切り」とも謂い、切った物は「玉」と呼びます。

今回は四斗樽用の一尺八寸が四本と一斗樽および四斗ハンダルセット用の一尺一寸の物が
一本取れました。

2011年9月1日

酒樽屋のお八つ  其の參拾陸 タマリンド

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九月、長月になりました。

写真は東南アジア(主にタイ)やカリブ海(主にジャマイカ)で大変普及しているお菓子です。
たいそう美味しいのに何故か日本では、余り見る機会がありません。
唯一、香辛料としてインド料理用などにペースト状で輸入されているだけのようです。

この お菓子は枝豆の兄貴分のようなタマリンド豆を甘く炊いて、
アプリコットパウダーをまぶしたものです。
見かけは美味しそうではありませんし、
問題は中から出て来る種が、まるで石のように固いのです。(手前の黒い粒)
下手をすると歯を折るくらいの固さなので、
神経質な日本人向きではありません。これが原因で輸入しないのでしょうか。
実際に食べた時も何故、石が混入しているのかなと不審に思った程なのです。




酒樽屋 吉野へ杉を買いに行く

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酒樽屋は酒樽ばかり作っている訳ではありません。
菰(こも)ばかり巻いているという状態は緊急事態だったからだけです。

普段は定期的に奈良県南部の吉野地方へ出かけます。

底にも蓋にも化学的接着剤を使わず、全ての材料を吉野杉で作っている樽屋竹十では、
常に良質の材料を定期的に確保するため、吉野地方の中でも酒樽に最適なを植林している、
川上村とその加工作業をしている麓の
吉野町上市へ、しばしば出かけます。

日本で一番、雨が多い山岳地域だからか神戸と比べて涼しいと感じた事はありません。
それでも昔に比べると道路も良くなって、気軽に日帰り出来るようになりました。

下の写真は見事に人口植林された吉野杉です。
これから何十年先が楽しみです。

普段から工場内はスギダラケ、杉に囲まれて仕事をしていますが、
さすが現地の杉林に出かけると本物の森林浴
明らかに気持ちがリフレッシュして帰ってまいります。



2011年8月30日

木製樽太鼓(たるたいこ)を海外発送する

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忙しい合間に、随分前から予約を受けていた木製樽太鼓を、
最も検疫の厳しいオーストラリアへ発送しました。
��月のコンクールに間に合わなければ意味がないのです。

海外発送は全て空輸なので、国内と同じように
翌日か翌々日には現地に到着しているのですが、
通関に何週間もかかることが多いので、
湿気の多い日本から乾燥した欧米などに送る場合は
木製樽が乾いてしまわないか心配なのです。

予定よりも大きめの木製樽を作ってしまったので、
海外発送の料金が樽太鼓代に近くなってしまい、
大量の切手が必要になってしまいました。
もう少し軽い段ボールを使えば良かった。
EMSだから、まだ安い方なのです。

酒樽に菰を巻く練習の前に師匠の模範を見る 後編









約20分で師匠の模範が完了しました。
見事な菰巻きの酒樽です。
指が入らないくらい固く縛っていますが、
力をかけるのは要所だけで、あとは案外軽く作業します。
本気で巻けば、もっと早い筈です。
出来上がった時には、思わず周囲の生徒達から歓声と拍手が。








酒樽に菰を巻く練習の前に師匠の模範を見る 前編







先週実現した福寿の神戸酒心館と仙介の泉酒造、合同による、
酒樽菰巻き集中講座の仕上げに荷師であるO氏の完璧な技を全員で拝見しつつ、
DVDに残しておいて将来、菰巻きの技術が不明になった時の手本に、
樽屋竹十も含め3社で各自、動画を撮影しながら極秘の技術を披露して頂きました。

今回は先週三日連続で各自実際に菰巻きを練習した後ですから、
重要な箇所や難しい部分を仔細に見ることが出来ます。
反対側からも同時に撮影していたので、接近しての撮影は無理でしたので、
後日、改めて詳細は再録画致します。





出来立ての「仙介」の菰巻き



灘五郷の泉酒造さんでは長らく「泉正宗」の菰を使っておりましたが、
練習の最終日に届いたばかりの新しい菰「仙介」が登場。
早速、師匠に手本を見せてもらった後、蔵人ふたりが飾樽を巻きます。
見事な亀甲巻が完成しました。

2011年8月23日

酒樽屋の油売り

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心なしか暑さも和らいで来た気も致します。

本日は処暑なり。収穫期でもあります。

偶然ながら、同じ日が油の日でもあります。
かつて大山崎で長い木を使って油を搾る技術を考案した日だそうです。
旧歴だから、年によっては8月20日になったりもします。
写真は1000年以上前に九州から分かれて建立された離宮八幡宮で、
油の神様にされています。




写真の関大明神は摂津の国と山城の国の境で関所があった名残です。
また、この北側に「大筑波集」で有名な山崎宗艦の旧宅跡の碑が建っておます。
宗艦はここ山崎の竹を伐って京まで油を売りに行っていたといいます。
当時の油は荏胡麻油で、最近ではコレステロールが少ないよいう理由から、
食用として脚光をあびていますが、
昔は灘の菜種油と同様に行灯等を灯すために照明に用いられていました。


かつては樽屋竹十も、この付近の竹と右京区鳴滝の竹だけを使用しておりましたが、
今は伐採禁止になったので、六甲山の裏手の竹林へ伐りに行っています。

この付近一帯、現在はサントリーの蒸留所や大山崎山荘すなわち旧加賀正太郎邸、
後のアサヒビールの祖、山本為三郎邸の美術館をはじめ、
美術館に登る途中に建つ藤井厚二の聴竹庵妙喜庵待庵など、
風光明媚の故か新旧名建築が残っています。


     宵毎に都を出づる油売り ふけてのみ見る山崎の月  宗艦
                       七十一番 職人歌合せ


2011年8月20日

宙に浮く四斗樽(たる)

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宙に浮く程、たくさんの四斗樽が樽屋の前に並んでおります。
一度使用した酒樽を一空樽(いちあきだる)と呼びます。
かつては大手の蔵元が一度使った樽を「樽屋竹十」が手直しして、
中小の造り酒屋へ納められて、リユースされていた訳です。

最近、また一空樽の流通が活発になってきて、中古の酒樽を廉価にて
提供出来るようになりました。
買い取って来たままの現状渡しが一番安くいのですが、傷みも早くなります。
よく樽を乾燥させてから、竹のタガを層替えすれば新品同様になりますけれど、
それなりの価格になってしまいます。

アルコールがしみ込んで,灰汁抜きも完了している訳ですから、
当日から漬物や味噌をつくる事が出来るという即戦力と価格が魅力です。




2011年8月19日

木製樽に竹タガを巻くのも容易ではない

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殆どの木製の杉樽にはマダケ(真竹)を割って、削り「輪竹」という物を作り、
これを周囲に巻くというより、編むに近い「結う」という工程を経て竹箍(タガ)をこしらえます。
ただ、夏の時期には竹を伐るべきではなく、既に去年の冬に薮から伐り出して来た竹を使います。
この一年分の大量の竹の管理が容易ではなく、日に当てて褪色させたり、硬化させてもいけないし、さりとて大事に奥の方へ仕舞い込むとカビが発生したり、腐ったりします。

写真の竹は質が悪くなって結う折や締める際に切れてしまった破片の山です。
これも知人のイタリア人の手に渡り、別の用途に使われます。
竹は油分を多量に含んでいるので燃やすと相当な高温になりますが、直ぐに消えてしまいます。


2011年8月13日

酒樽屋の盆休み

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震災以降、東北の桶屋さんが休業あるいは廃業せざるを得なくなったので、
従来の御客様以外に北日本からの木製樽の注文も受け入れる状況が続き、一ヶ月以上も
blogの更新が出来ませんでした。
樽が完成しても輸送が不可能で、地震から約100日後の今頃ようやく輸送状態も元に戻って来ました。
出来上がった杉樽をトラックが動くまで大量に保管しておく事にも苦慮致しました。

西瓜の美味しい夏であります。昔のように切らずに丸ごと売っている店も少なくなりましたし、家族も少なくなり、井戸のある家も珍しく、冷蔵庫に入れるにも限度がありますが、
西瓜はやはり、切売りより真ん丸の方が風情があります。

酒樽屋も今日から短い盆休みです。

金色の 仏壇のある 海の家     小澤 實



2011年7月31日

大黒正宗さんでの酒樽の菰巻き

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大黒正宗で有名な安福又四郎商店さんでは、酒が美味しい事で有名な石屋川付近の四軒の酒屋さん
すなわち仙介泉酒造さん、灘泉の泉勇之助商店さん、福寿の神戸酒心館の中で
唯一、ご自身の蔵の中で菰巻きが出来ます

ほかの蔵は、たるや竹十が一丁ずつ菰巻きに出かけなければならないので、
これではいけないと来月になったら、菰巻き合同講習会を三日連続で催す次第になりました。
練習用の菰(こも)と縄は用意しましたが、7人分の菰巻き用の道具を揃えるのが大変です。

左下の黒い物は肘や膝用のプロテクター。
想像以上の重労働なのです。

2011年7月27日

酒樽、醤油樽の三ツ輪掛け

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巻き上がった菰巻きの酒樽を輸送用に更にビニール袋で包み、
三ツ輪掛けという簡易梱包を施し中身の酒の種類と製造期日を表示した荷札を付けて、
ようやく出荷出来ます。

古い写真はヒガシマル醤油のコモ巻き風景ですが、こういう形態の荷造りを「裸荷」といい、
先に何度か紹介しましたコモ巻きの方法は「本荷(ほんに)」といいます。
その中間に「仮巻(かりまき)」という無印の薄い菰を簡単に巻く方式もありましたが、
現在は殆ど見られなくなりました。

このあたりの区別が混乱しているので、今のうちに整理しておかねばなりません。
殊に最近はあらかじめ蓋を抜いた酒樽の需要が増え、
鏡(酒樽の蓋)が見えるような昔はなかった特殊な巻き方などもあり尚更です。

巻いている酒樽の向こう側に少し見える完成品には、前述のような不安定な巻き方の際に、
菰を安定させる為に、更に一本黒い紐を結んで輸送中に菰がずれないように留意しました。
この紐はちなみに「豆樽(まめだる)」という一升や二升の小さな樽の菰巻きに使うビニール縄です。
「豆樽」の中身はガラス瓶、あるいはプラスチックです。かつては白磁の焼物でした。
菰をほどいても決して木製樽が出て来る事はありません。





2011年7月23日

酒樽の菰巻き 鏡開き樽編



大暑であります。暑い筈です。
この日は本来の藁による菰(こも)ではなく、ビニール菰(通称PP)を使いました。
本物の菰は長くて良質の物が手に入りにくくなり、
残念ながら、太い縄が途中で足らなくなり、急遽別の縄を繫いだので少々変です。
日を改めて正式な動画を公開します。

前回の一斗樽と違い、これは四斗樽なので、酒が入ると100kg近くになり、
大暑のような時期に四斗樽の注文がある事は稀ですが、酒樽最盛期の真冬でも、
クーラーを付けて、シャツ一枚になっても、まだ汗まみれという程の重作業なのです。



こも巻きと言えば、酒樽のそれより松の害虫駆除の方が知名度が高いのですが、
木の幹に菰を巻く古くから続く風習には余り効果がないことが最近判ってきたようです。

2011年7月20日

菰専門店による菰巻き指導

今日は何故か海の日で、世間では連休だそうですが、樽屋は営業しております。

全国で10軒程になった樽屋より菰屋さんは更に少なくて日本中に3軒だけです。
その中の一軒、老舗の矢野三蔵商店さんのプロによる巻き方紹介です。

 菰の巻き


撥(バチ) [バイ]とも言う


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樫の木で出来ており たたく、こする 作業を担う  縄は叩いて締める事により菰に馴染み より強く締める事ができる





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柔らかく粘りのあるグミの木を削り出して作ったもの 職人が自分の手に合った大きさ、形に仕上げている      現在はステンレス製の特注品を使用             長さ約30cm

2011年7月7日

酒樽に菰(こも)を巻く





酒樽を完全に菰(こも)で包んで、形を整えます。
本来は酒樽と菰の間に藁(わら)を入れて丸い形をつくったのですが、
最近は発砲スチロールの型を入れるので誰が巻いても同じように出来上がります。

蓋の部分は「口かがり縄」を使って編み込みます。
目出たさを表すために象亀甲模様に仕上げなければなりません。



2011年7月1日

木製樽の菰(こも)を解く



菰(こも)、薦(こも)とも書きます。
元々はマコモを使っていましたが、現在では藁(わら)を編んだ物を用いております。

吉野杉で作った一斗木製樽を菰(こも)で巻いてあったのですが、
菰は本来、灘から江戸へ酒樽を樽廻船で運ぶ際に樽と樽が直接当たらないようにする為の
緩衝剤だったのですが、せっかく青竹と川上村の吉野杉で出来た酒樽を藁(わら)で隠すのは忍びないので、
ハレの席では菰を解いて中の杉樽を見せて下さらないと酒樽屋としては、
杉樽を丁寧につくる甲斐がないというものです。




2011年6月26日

酒樽屋 「青騎士」へ駆けつける

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酒樽屋から歩いて行ける美術館で「カンディンスキーと青騎士展」が開催されていたのは夙に知っていていましたが、
知人たちが遠くから早々に観に来ているのに酒樽屋は近所過ぎるのと、
何度行っても迷子になる奇妙な美術館であることも手伝って、出かけるのは何時も会期終盤になってしまいます。
一枚のKleeの小品だけが異質でした。
会場にはSchoenbergが流れておりました。

2011年6月15日

酒樽屋にも東日本大震災の影響が少し

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避難所、仮設住宅、復興住宅と16年前の神戸での大震災を想起させる言葉が
メディアの各所に見られ、忘れていた記憶がよみがえり気が滅入ってきます。
国内での震災による自粛ムードは徐々に薄らいで来ましたが、
外国から見た今の日本は、全国が放射能に汚染されているように感じるようです。

先日も随分前から準備していた海外輸送用の酒樽がキャンセルになりました。
理由は記されておりませんでしたが、恐らく放射能に対する恐怖でしょう。

近所のロシア料理店のオーナーも、慌てて本国に帰ってしまいました。
恐らく半年くらいは戻って来ないでしょう。
彼の場合もチェルノブイリの記憶が甦って来たのでしょう。

2011年6月7日

木製樽(たる)を再利用して植木鉢として使う

芒種 (ぼうしゅ)であります。
現代と若干の時期のずれがあり、最近の異常気象の関係も影響して、
実際の日にちの異動はあるものの、昔から穀物の種を植える目安となる日です。

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写真は何度か登場した、沢の鶴資料館(昔の酒蔵)に併設された駐車場の入り口風景です。
酒樽屋は、その真正面に建っているので、資料館に見学に来られた観光の方々が立ち寄られます。

吉野杉と竹だけで出来た木製樽(たる)の原材料は全て植物なのですから、
植木鉢に転用した酒樽という容器で植物を育てる事は、植えられる植物にとっても、
植物同士ですから、これほど適した容器はない訳です。
漬物樽や味噌樽同様に樽(たる)自体が呼吸しているので、植物の生育が活発になり、
陶磁器の容器等の比べると生育が数倍盛んになり驚かされます。

植物に限らず、魚類の保存にも木製樽は適しているようで、
プラスチック系の容器だと鱗(うろこ)が取れてしまうため木製容器の方が良いようです。
かつて、「トロバコ」という水産類の輸送保管には木製の函が利用されていましたが、
最近は殆ど発泡スチロール製の容器を見る事が多くなりました。







2011年6月6日

酒樽屋 昭和初期の小売酒店の写真に木製樽を見る

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昭和30年代までは輸送用の容器として木製樽が主流を占めておりました。
町の酒屋に行く時も自宅から通い徳利を持参して、酒樽から今夜必要なだけの酒を買いに行ったものです。
沢山の木製樽の後ろにガラスの一升瓶も見えますが、普段これを買う程には日本は未だ裕福ではなかったのです。
一升瓶は、もっぱら進物用に使われていました。
「大関」とか「白雪」など今でも残っている蔵から出荷された菰被りの酒樽が多く見られますけれど、
菰は輸送時の緩衝材ですから、写真の女性が選んでいる裸の木製樽の方が自然な感じがします。
これは無地の菰を仮巻という略式の方法で簡単に巻いて、店に届いたら菰は解いてしまっていたものです。

なお、かつて清酒のための輸送容器は全て四斗樽でした。
今は、木製樽はもちろん、一升瓶も陰をひそめて酒は量販店で紙パックを買う時代になりました。

2011年5月31日

酒樽屋の御贔屓筋のラヂヲCM その壹



定期的に四斗樽を納品させてもらっている「仙介」で有名な、「泉酒造」のラヂヲコマーシャルです。
雪村いずみが歌っています。
「いずみ」という名前だから先代が依頼したのかな。

キャラメルママとのコラボでの服部良一メドレーが秀逸ですが。

41K097MK9XL._SL500_AA300_.jpg写真 沢渡 朔

2011年5月29日

吉野杉製木製樽の「アクヌキ」

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木製樽の中に水を張っておくと、このように灰汁(アク)が抜けます。

「アクヌキ」前の画像は順が逆になりますが、参考のために後日UPします。

漬物や味噌を作る前に木製樽に半分程度の水を張って一昼夜ほど放置すれば「アクヌキ」は完了します。
米の研ぎ汁を使い、樽の8分目ほど張る方もいらっしゃいますが、水やぬるま湯でも大丈夫です。

この作業を怠ると出来上がった漬物等に吉野杉の香りが付き過ぎて、木を食べているようになってしまいます。
更に、保管が悪かった木製樽は隙間が空いてしまうので、水を張る事により杉を膨張させて、
洩れを止めまることが出来ます。

同じ木製樽でも酒樽の場合は、敢えて「アクヌキ」を施さずに軽く内部を水洗いして酒を詰める蔵もあります。
但し,この方法では賞味期限が発生します。
嗜好品なので、味の好みに個人差があるというものの、
今頃の時期は特に湿度が高くて木の香りが付き易いのですが、
幸い台風のせいか気温が低いので三日から四日後位が飲み頃でしょう。

吉野杉の木製樽の上で封印された星

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封印された星( L'Étoile scellée )とも言う。かつてパリにあった画廊と同じ名前である。

木製樽の蓋を「鏡」と呼び、そこの穴を埋める木栓を「星」と呼ぶ事を
ANDRÉ BRETON 瀧口修造さんが御存知だったとは思えないけれど。

2011年4月25日

吉野杉の樽(タル)に使う輪竹(わだけ)の束

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吉野杉の木樽を作るためには吉野材の樽丸と底蓋に加えて、割った竹が必要です。
木製の酒樽に使う竹といえば、かつては京都の鳴滝から大山崎付近の物を使うべし
と言われていましたが、最近では主に神戸の六甲山の裏から切り出した物を割っています。
時には佐渡島や名古屋、或いは九州、四国から輸送したりもします。
というのも、丸い原竹その物は全国で処理に困る程増えて来るのですけれど、
それを写真のように直ぐに酒樽のタガに使う事が出来る形に加工する職人が激減しております。

日本人に密接していた竹を現代人は使わなくなってきてしまいバランスが崩れてしまったのです。



2011年4月23日

木製樽を並べて用水桶に見立てる

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時代劇に欠かせない道具の一つに防火のための「用水桶」があります。
太秦の撮影所などには本物があるでしょうが、今回は店舗前の展示用に。
梱包してしまったので、よく見えませんが、
わざと古い箍(たが)を巻いた大きな木製樽(四斗樽)を二つ並べた上に
一番小さい五升樽を五つ重ねて似た雰囲気を出しました。(この上へ更に屋根を付けるそうです)
そんな訳で「樽屋竹十」の倉庫で眠っていたデッドストックの小さい樽を古色を残して再生したのです。
この小さい樽は元々、奈良漬用に大量に作っていた物なのですが、ある頃に突然需要が無くなった特殊な樽です。
酒用の樽に向かない悪い吉野杉を貯めておいて作った木製樽で、夏の閑散期の仕事つなぎになっていた名残です。
数十年経過していて、施主様の御希望と丁度一致しました。
これは完全に「桶屋」がする仕事なのですけれど、
桶屋が殆ど無くなってしまった今となっては「樽屋」がその仕事を代りにせざるを得ません。

DSCF0016.JPG依頼書の参考写真

2011年4月12日

東日本大震災の御見舞い申し上げます

東日本大震災により被災された皆様に心より御見舞い申し上げます。
また、被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

��995年の阪神淡路大震災の折、震源地に近い神戸市灘区に位置する弊店も、
大きな被害を受けました。しかし、震災後全国から温かい御援助や御支援をいただき、神戸の街もなんとか復興を遂げ、おかげさまで弊店も樽造りを再開することができるようになり現在に至っております。

かつて、被災地の方々から沢山の漬物樽や味噌樽、あるいは酒樽の御注文を頂戴して、
喜んでもらえました。
東日本の皆様の現在の生活を心配いたしております。
震災から一ヶ月、今頃が一番たいへんな時期かも知れません。



2011年2月14日

結婚式の鏡開きに酒樽(さかだる)を使う

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三連休の最後の祝日が大安。
こんなに綺麗に揃う事は一年に何度もないでしょう。厳冬の時期なれど快晴。
婚礼には最適の日和でした。

写真のお客さまは弊店の過去の日誌を見付けられて、同じようにして欲しいという依頼。
当然、酒樽の鏡開きをする日程は早くから判っている訳ですから、
御注文は今年の始めでした。

木槌、竹杓、杉桝に加え、更に和紙に「壽」、
そして専門の方にお願いして新郎新婦のお名前と記念日を墨書き致しました。

結婚式や各イベントでの鏡開きに酒樽をお使いになる場合は、
期日が一日遅れては意味が無いどころか、大変なご迷惑をおかけするので緊張します。
鏡開き用の樽酒は予定より少し早めにお送りします。





2011年2月7日

味噌樽(みそだる)の修理

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樽屋竹十は樽(タル)の製造と販売だけではなく、その後の修理も積極的に行っております。
正しい使い方をすれば、修理せずに何十年の使用に耐えられるように作っているのですが、
右の味噌樽(たる)の場合、味噌つくりに使わず、「杉バケツ」として水を容れたり、
空にしたりして、屋外に放置していたため、相当傷んでおりました。
直射日光と風、過剰な水分に樽(たる)は弱いので、箍(たが)が完全に腐っていました。

左は、これと同じ状態だった物を補修して、竹箍(たが)を全て替えた物です。
お客さまの好みで、外の杉は古色のままでという依頼だったので新品同様にはしませんでした。
因みに写真は「杉バケツ」ですけれど、基本的に「味噌樽(たる)」とほぼ同じ寸法です。
吉野杉に限らず杉は乾燥し易いのですけれど、同時に膨張し易い訳ですから、
もう無理だと思われる樽(たる)でも殆どの物を修理することが出来ますし、
積極的に他店の商品の修理も請け負っております。
ただし一部、木工用の化学的接着剤を使用したり、
金属釘を多用した樽(たる)や桶(おけ)は修理が不可能な場合があります。


2011年2月5日

木製樽(たる)屋の「立春吉日」

節分が終わって翌日は、二十四節気の最初の節『立春』であります。
中国では旧正月、神戸の南京町は祭三昧。


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賑やかなのは南京町とその周辺だけで、酒樽屋(さかだるや)付近はいつもの様に、
酒樽(さかだる)、味噌樽(みそだる)、漬物樽(つけものだる)を作る毎日です。
木製樽(たる)の発祥の地は中国なのですが、日本に渡来して数百年、

第二次世界大戦の頃、樽屋竹十の台湾支店があった事と、
昭和の終わり頃に彼等の弟子達を何人も樽職人として招聘して以来、
現在では中国とは余り関係がありません。


2011年2月4日

和樽(わだる)に於ける、漬物樽(つけものだる)と味噌樽(みそだる)の違い

本日は節分であります。
豆を撒く日なのですが、撒かずに木製樽を使って味噌を作る時期でもあるのです。

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これは一斗(18リットル)の漬物樽です。34型とも呼んでおります。
高さが34センチ(一尺一寸)あるからです。
厚さ2センチもある吉野杉の落し蓋(ふた)が一枚付属します。

この漬物樽(つけものだる)を利用して味噌(みそ)をつくる事も可能です。
ただし、本当の味噌樽(みそだる)と比べると出来上りの味噌(みそ)は若干劣るようです。
それでも、同じ吉野杉を使用して、化学的な接着剤は一切使っていませんから、
琺瑯(ほうろう)、陶器のかめ、プラスチックの容器類と比べると遥かに美味しい味噌(みそ)が出来ます。
��上蓋が必要な場合は一斗の場合、別途2、100円追加になります)
これも本体同様、接着剤は一切使用していません。

通常、漬物は新鮮な空気を樽(たる)に入れ、過剰な水分を外に出さねばならない上に、
常に糠等の場合は撹拌の必要があるので、上の開口部を大きく作っています。





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こちらは純正の「味噌樽(みそだる)」です。
漬物樽(つけものだる)と正反対に、出来る限り空気を入れないように、
上の部分を小さく、全体を細長く作ります。
これには必ず落し蓋(ふた)と上蓋(ふた)の二枚が付属します。
蓋(ふた)は必ず厚さ2センチ以上の板目の厚い物を使用します。

柾目の蓋(ふた)は長い間に歪んで来るので漬物や味噌には向いておりません。
勿論、樽(たる)本体も必ず板目でなければなりません。
味噌樽(みそだる)は本来、桶屋さんが作る物でした。
残念ながら、かつては町内に一軒と言っていい程の割合で桶屋さんがあったのですが、
需要が激減していった事もあり、後継者の育成が出来ず、今や全国で数軒。
樽屋も10軒前後が残っているだけです。
樽屋の場合は「酒樽」という、清酒と密接な関係にある商品を毎日作っている御蔭で存続が可能なのです。


なお、味噌樽(みそだる)にせよ漬物樽(つけものだる)にせよ、
落し蓋(ふた)が底に到る程小さい事はあり得ません。
必ず最後の味噌なり野菜が残っている訳ですから、
途中で引っ掛かる程度の径でないと良い押し蓋(ふた)とは言えません。
最初に沢山作った時に隙間が少ない方が良い押し蓋(ふた)です。

向こう側に見えている小さい物は「漬物樽(つけものだる)の小です。











2011年2月2日

酒樽屋(さかだるや)と古本屋(ふるほんや)

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寒くて当然なのですが、今年の冬は尋常ではありませんね。
神戸という海浜都市といえど、今年の寒さは他の北国と変わらないようです。
むしろ山と海に挟まれた傾斜の強い街ですから、
「六甲おろし」と「浜風」が四六時中吹いていて、
体感温度は実温度より5度位は低いのです。

ただ、この風土が酒造りに欠かせないもので、
樽づくりにも、この寒さと薄暗さが不可欠なのです。
陽当たりが良く、明るい場所では樽(たる)が乾燥し易いので、
古書店が背文字が焼けないように北向きに建っているのと同じように、
大抵の酒樽屋(さかだるや)は北向きで、中の人間には決して良い環境とは言えませんが、
主役は酒樽(さかだる)なのですから仕方がありません。
 
写真は南側の建物が解体されたので、約50年ぶりに姿を見せた酒樽屋の裏側。
建物の下部に窓が並んでいます。
ここに樽職人が並んで、一枚の窓の下にひとつの「みせ」という作業場があったのですけれど、
実は、元来この窓は酒造りの際に空気と光の出し入れを加減するために設けられた、
弁の様なものだと後に知りました。

この建物は昭和30年代の区画整理の折りに建てられた比較的新しいものです。
右側に江戸時代の蔵が四棟並んでいましたが、残念ながら先の震災で失いました。
吉野から来る酒樽(さかだる)用の杉の原木を製材し、
「オオバイ」という形で乾燥させるためには、この前に見える砂地が丁度良い空間でした。
今は建売住宅が並んでしまい、二度と見る事の出来ない風景です。
昭和初期に時代を戻せば更にその前は、すぐ海です。

DSC08862.JPG 「昔の御影」より