2008年3月8日

酒樽屋 贔屓の詩人の誕生日

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ロベール ド モンテスキュウ伯爵が1855年に生まれた日。

「さかしま」の舞台になったと言われる、モンテスキュウが住んでいたQuai d'Orsayの館を訪ねた時の写真です。

現在は館の半分が中国文化センターのような物になっていました。
他の彼の旧居と違い、当時の面影が微かに残っています。
残り半分はパリ市所有。

2008年3月7日

味噌樽(みそたる)の封印

%E7%9B%AE%E5%BC%B5%E3%82%8A1.JPG写真 沢の鶴資料館

清酒醸造用大桶の蓋の封印です。
桶板の板目が美しいですね。

画像は勿論、清酒醸造用の大桶ですが、味噌つくりの際も同じように蓋(ふた)と本体の味噌樽(みそだる)の間を良質の和紙を用いて封印します。
今頃の寒い時期に仕込んだ清酒を秋まで寝かせて充分醗酵するまで、この封印は決して取りません。 

%E7%9B%AE%E5%BC%B5%E3%82%8A%E7%B4%99.JPG 写真 沢の鶴資料館

目張り紙と言います。

昔は、二月三月くらいになると何人もの古紙屋が大八車に山盛りの古紙を積んで灘五郷を回ってきたものです。
上に載っている「こより」状の紙は、今でも使いますが、漏れ(「さし」と言います)を止めるための必需品です。
漏れる部分に埋め込むと和紙の力で漏れが止まります。
酒樽(さかたる)にも味噌樽(みそたる)に漬物樽(つけものたる)にも使います。


家庭で仕込む味噌樽(みそたる)も、このように和紙で封印するといいようです。



2008年3月5日

酒樽屋の最高級品 甲付樽(こうつきだる)

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酒樽(さかだる)で一番よいものといえば甲付樽(こうつきだる)です。

と言うよりも昭和の中頃までは酒樽(さかだる)には甲付樽(こうつきだる)しか使いませんでした。
しかも、戦前は四斗樽(よんとだる)すなわち72リットル、一升瓶で40本分のものだけが流通していました。
日本酒と最も相性がよく、しかも見た目が青竹に白と清々しく、しかも酒が洩れにくい性質の部分なので珍重されたものです。
これをコモで巻いてしまうのは大変もったいないことです。
当時は酒樽(さかだる)が届いたら、すぐにコモは廃棄して中の酒樽(さかだる)を出したものです。


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吉野杉の中でも最良の川上産の材料、その中でも原木で一箇所だけしかとれない部分、
外側が白く内側が赤い箇所を甲付(こうつき)と呼びます。
それでは、その内側の赤い部分(「赤味」といいます)はどうしたかというと「醤油樽」に使っていました。
また、外側の白い部分は「木皮」(こわ)といって柾目に割り寿司半切に使います。
半切には向かない白い部分が少ない原木の場合は吉野地方で箸に加工されてきました。

醤油を樽詰しなくなった昭和36年以降は赤味材も酒樽に使うようになり、甲付(こうつき)は特級酒(今の特撰)、赤味(あかみ)は一級酒(今の上撰)と差別化しました。

白い部分は酒樽(さかだる)の蓋(ふた)に、赤い部分は底にも使います。


  


2008年3月4日

酒樽屋の「虫養ひ」 其の参

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酒樽屋は100キロ位の四斗樽を運んだりもしなければならないので、昼食と夕食の間に何か食べないと仕事になりません。今日は・・・
「駅そば」です。

不思議な食べ物です。
��R姫路駅が発祥の地だそうで、関西特有の物でしょう。

敗戦直後の昭和24年10月、物資の統制から小麦粉が手に入りにくくなって、
うどんを駅で出す事が出来なくなり、最初こんにゃく粉の麺を代用していたのが、痛み易いので、
ラーメンの麺を入れてみたら評判が良いので定着したのだそうです。
当時、器付きで一杯50円、器を返すと40円。(結構、高級品ですね)
今でも一杯400円です。
トッピングはてんかすとネギだけですから、今も高級品かも・・・

旧年まで350円だったのですが、ここのところの小麦の高騰には逆らえなかったようで、
昭和の食糧難より、現代の食糧事情の方が深刻なようです。



栄食堂
神戸市灘区岩屋中町5-1-10
��78-882-4590

��:40~23:00 年中無休

ドライバーにとって嬉しいのは、店内に駐車違反取締の方々が来られた時のために,
店前道路を映し出すモニターがあること。

2008年3月3日

特製の菰樽と塗枡

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有馬の旅館から依頼があって、パーティー用に特別な桃色の菰(こも)をつくりました。
四斗樽の鏡開き用です。(桃の節句だからという訳ではありません)
枡もロゴ入りの特製を別注しました。
樽屋としては、青竹の見える酒樽で鏡開きをしていただきかったのですけれど、お客様の要望は「コモダル」だったので、仕方なく一日がかりで、「印」を描きました。


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2008年3月1日

吉野杉の漬物樽で沢庵を漬ける

%E5%96%9C%E5%A4%9A%E5%A4%A7%E6%A0%B9.jpg 写真 喜多章

三月になりましたが、まだまだ寒い日が続きます。
某日、京都のさる塔頭から沢庵を漬けたいからと四斗漬物樽二丁の依頼がありました。
電話でご注文をいただいたのですが、その折に「ところで四斗で大根が何本位漬けられるのですか」という質問を受けました。
樽屋のおやかたは沢庵を漬けた経験がありません。
大根を縦に突っ込んだ様子を想像して、「多分、10本くらいでしょう」と答えたら、呆れられ「ああ、もう(質問の答えは)結構ですから、漬物樽をよろしくお願いします」と言われてしまいました。

樽屋の女房に訊いても全然知らないとのこと。
慌てて近所のご婦人方に尋ねに行くと、即座に答えが返ってきました。
一斗樽で20本、二斗樽で50本、四斗樽で80本くらい。持ち運びする事も考えれば二斗樽が一番、と教えてもらいました。

お陰で最近は、お客様に尋ねられても即座に答えられるようになりました。

%E6%BC%AC%E7%89%A9%E6%A8%BD.JPG 二斗樽に一斗樽を入れたところ

沢庵は大徳寺の澤庵 宗彭が考案したという説もありますが、単に「たくわえ漬け」が転じたものでしょう。

ところで、食堂などで沢庵(おこうこ或いはおしんこ)が出てくる時、必ず二切れです。
これは一切れでは「人斬れ」三切れでは「身斬れ」を思わせ縁起が悪いので二切れなのだそうです。