2011年7月1日

木製樽の菰(こも)を解く



菰(こも)、薦(こも)とも書きます。
元々はマコモを使っていましたが、現在では藁(わら)を編んだ物を用いております。

吉野杉で作った一斗木製樽を菰(こも)で巻いてあったのですが、
菰は本来、灘から江戸へ酒樽を樽廻船で運ぶ際に樽と樽が直接当たらないようにする為の
緩衝剤だったのですが、せっかく青竹と川上村の吉野杉で出来た酒樽を藁(わら)で隠すのは忍びないので、
ハレの席では菰を解いて中の杉樽を見せて下さらないと酒樽屋としては、
杉樽を丁寧につくる甲斐がないというものです。




2011年6月26日

酒樽屋 「青騎士」へ駆けつける

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酒樽屋から歩いて行ける美術館で「カンディンスキーと青騎士展」が開催されていたのは夙に知っていていましたが、
知人たちが遠くから早々に観に来ているのに酒樽屋は近所過ぎるのと、
何度行っても迷子になる奇妙な美術館であることも手伝って、出かけるのは何時も会期終盤になってしまいます。
一枚のKleeの小品だけが異質でした。
会場にはSchoenbergが流れておりました。

2011年6月15日

酒樽屋にも東日本大震災の影響が少し

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避難所、仮設住宅、復興住宅と16年前の神戸での大震災を想起させる言葉が
メディアの各所に見られ、忘れていた記憶がよみがえり気が滅入ってきます。
国内での震災による自粛ムードは徐々に薄らいで来ましたが、
外国から見た今の日本は、全国が放射能に汚染されているように感じるようです。

先日も随分前から準備していた海外輸送用の酒樽がキャンセルになりました。
理由は記されておりませんでしたが、恐らく放射能に対する恐怖でしょう。

近所のロシア料理店のオーナーも、慌てて本国に帰ってしまいました。
恐らく半年くらいは戻って来ないでしょう。
彼の場合もチェルノブイリの記憶が甦って来たのでしょう。

2011年6月7日

木製樽(たる)を再利用して植木鉢として使う

芒種 (ぼうしゅ)であります。
現代と若干の時期のずれがあり、最近の異常気象の関係も影響して、
実際の日にちの異動はあるものの、昔から穀物の種を植える目安となる日です。

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写真は何度か登場した、沢の鶴資料館(昔の酒蔵)に併設された駐車場の入り口風景です。
酒樽屋は、その真正面に建っているので、資料館に見学に来られた観光の方々が立ち寄られます。

吉野杉と竹だけで出来た木製樽(たる)の原材料は全て植物なのですから、
植木鉢に転用した酒樽という容器で植物を育てる事は、植えられる植物にとっても、
植物同士ですから、これほど適した容器はない訳です。
漬物樽や味噌樽同様に樽(たる)自体が呼吸しているので、植物の生育が活発になり、
陶磁器の容器等の比べると生育が数倍盛んになり驚かされます。

植物に限らず、魚類の保存にも木製樽は適しているようで、
プラスチック系の容器だと鱗(うろこ)が取れてしまうため木製容器の方が良いようです。
かつて、「トロバコ」という水産類の輸送保管には木製の函が利用されていましたが、
最近は殆ど発泡スチロール製の容器を見る事が多くなりました。







2011年6月6日

酒樽屋 昭和初期の小売酒店の写真に木製樽を見る

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昭和30年代までは輸送用の容器として木製樽が主流を占めておりました。
町の酒屋に行く時も自宅から通い徳利を持参して、酒樽から今夜必要なだけの酒を買いに行ったものです。
沢山の木製樽の後ろにガラスの一升瓶も見えますが、普段これを買う程には日本は未だ裕福ではなかったのです。
一升瓶は、もっぱら進物用に使われていました。
「大関」とか「白雪」など今でも残っている蔵から出荷された菰被りの酒樽が多く見られますけれど、
菰は輸送時の緩衝材ですから、写真の女性が選んでいる裸の木製樽の方が自然な感じがします。
これは無地の菰を仮巻という略式の方法で簡単に巻いて、店に届いたら菰は解いてしまっていたものです。

なお、かつて清酒のための輸送容器は全て四斗樽でした。
今は、木製樽はもちろん、一升瓶も陰をひそめて酒は量販店で紙パックを買う時代になりました。

2011年5月31日

酒樽屋の御贔屓筋のラヂヲCM その壹



定期的に四斗樽を納品させてもらっている「仙介」で有名な、「泉酒造」のラヂヲコマーシャルです。
雪村いずみが歌っています。
「いずみ」という名前だから先代が依頼したのかな。

キャラメルママとのコラボでの服部良一メドレーが秀逸ですが。

41K097MK9XL._SL500_AA300_.jpg写真 沢渡 朔

2011年5月29日

吉野杉製木製樽の「アクヌキ」

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木製樽の中に水を張っておくと、このように灰汁(アク)が抜けます。

「アクヌキ」前の画像は順が逆になりますが、参考のために後日UPします。

漬物や味噌を作る前に木製樽に半分程度の水を張って一昼夜ほど放置すれば「アクヌキ」は完了します。
米の研ぎ汁を使い、樽の8分目ほど張る方もいらっしゃいますが、水やぬるま湯でも大丈夫です。

この作業を怠ると出来上がった漬物等に吉野杉の香りが付き過ぎて、木を食べているようになってしまいます。
更に、保管が悪かった木製樽は隙間が空いてしまうので、水を張る事により杉を膨張させて、
洩れを止めまることが出来ます。

同じ木製樽でも酒樽の場合は、敢えて「アクヌキ」を施さずに軽く内部を水洗いして酒を詰める蔵もあります。
但し,この方法では賞味期限が発生します。
嗜好品なので、味の好みに個人差があるというものの、
今頃の時期は特に湿度が高くて木の香りが付き易いのですが、
幸い台風のせいか気温が低いので三日から四日後位が飲み頃でしょう。

吉野杉の木製樽の上で封印された星

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封印された星( L'Étoile scellée )とも言う。かつてパリにあった画廊と同じ名前である。

木製樽の蓋を「鏡」と呼び、そこの穴を埋める木栓を「星」と呼ぶ事を
ANDRÉ BRETON 瀧口修造さんが御存知だったとは思えないけれど。

2011年4月25日

吉野杉の樽(タル)に使う輪竹(わだけ)の束

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吉野杉の木樽を作るためには吉野材の樽丸と底蓋に加えて、割った竹が必要です。
木製の酒樽に使う竹といえば、かつては京都の鳴滝から大山崎付近の物を使うべし
と言われていましたが、最近では主に神戸の六甲山の裏から切り出した物を割っています。
時には佐渡島や名古屋、或いは九州、四国から輸送したりもします。
というのも、丸い原竹その物は全国で処理に困る程増えて来るのですけれど、
それを写真のように直ぐに酒樽のタガに使う事が出来る形に加工する職人が激減しております。

日本人に密接していた竹を現代人は使わなくなってきてしまいバランスが崩れてしまったのです。



2011年4月23日

木製樽を並べて用水桶に見立てる

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時代劇に欠かせない道具の一つに防火のための「用水桶」があります。
太秦の撮影所などには本物があるでしょうが、今回は店舗前の展示用に。
梱包してしまったので、よく見えませんが、
わざと古い箍(たが)を巻いた大きな木製樽(四斗樽)を二つ並べた上に
一番小さい五升樽を五つ重ねて似た雰囲気を出しました。(この上へ更に屋根を付けるそうです)
そんな訳で「樽屋竹十」の倉庫で眠っていたデッドストックの小さい樽を古色を残して再生したのです。
この小さい樽は元々、奈良漬用に大量に作っていた物なのですが、ある頃に突然需要が無くなった特殊な樽です。
酒用の樽に向かない悪い吉野杉を貯めておいて作った木製樽で、夏の閑散期の仕事つなぎになっていた名残です。
数十年経過していて、施主様の御希望と丁度一致しました。
これは完全に「桶屋」がする仕事なのですけれど、
桶屋が殆ど無くなってしまった今となっては「樽屋」がその仕事を代りにせざるを得ません。

DSCF0016.JPG依頼書の参考写真

2011年4月12日

東日本大震災の御見舞い申し上げます

東日本大震災により被災された皆様に心より御見舞い申し上げます。
また、被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

��995年の阪神淡路大震災の折、震源地に近い神戸市灘区に位置する弊店も、
大きな被害を受けました。しかし、震災後全国から温かい御援助や御支援をいただき、神戸の街もなんとか復興を遂げ、おかげさまで弊店も樽造りを再開することができるようになり現在に至っております。

かつて、被災地の方々から沢山の漬物樽や味噌樽、あるいは酒樽の御注文を頂戴して、
喜んでもらえました。
東日本の皆様の現在の生活を心配いたしております。
震災から一ヶ月、今頃が一番たいへんな時期かも知れません。



2011年2月14日

結婚式の鏡開きに酒樽(さかだる)を使う

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三連休の最後の祝日が大安。
こんなに綺麗に揃う事は一年に何度もないでしょう。厳冬の時期なれど快晴。
婚礼には最適の日和でした。

写真のお客さまは弊店の過去の日誌を見付けられて、同じようにして欲しいという依頼。
当然、酒樽の鏡開きをする日程は早くから判っている訳ですから、
御注文は今年の始めでした。

木槌、竹杓、杉桝に加え、更に和紙に「壽」、
そして専門の方にお願いして新郎新婦のお名前と記念日を墨書き致しました。

結婚式や各イベントでの鏡開きに酒樽をお使いになる場合は、
期日が一日遅れては意味が無いどころか、大変なご迷惑をおかけするので緊張します。
鏡開き用の樽酒は予定より少し早めにお送りします。





2011年2月7日

味噌樽(みそだる)の修理

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樽屋竹十は樽(タル)の製造と販売だけではなく、その後の修理も積極的に行っております。
正しい使い方をすれば、修理せずに何十年の使用に耐えられるように作っているのですが、
右の味噌樽(たる)の場合、味噌つくりに使わず、「杉バケツ」として水を容れたり、
空にしたりして、屋外に放置していたため、相当傷んでおりました。
直射日光と風、過剰な水分に樽(たる)は弱いので、箍(たが)が完全に腐っていました。

左は、これと同じ状態だった物を補修して、竹箍(たが)を全て替えた物です。
お客さまの好みで、外の杉は古色のままでという依頼だったので新品同様にはしませんでした。
因みに写真は「杉バケツ」ですけれど、基本的に「味噌樽(たる)」とほぼ同じ寸法です。
吉野杉に限らず杉は乾燥し易いのですけれど、同時に膨張し易い訳ですから、
もう無理だと思われる樽(たる)でも殆どの物を修理することが出来ますし、
積極的に他店の商品の修理も請け負っております。
ただし一部、木工用の化学的接着剤を使用したり、
金属釘を多用した樽(たる)や桶(おけ)は修理が不可能な場合があります。


2011年2月5日

木製樽(たる)屋の「立春吉日」

節分が終わって翌日は、二十四節気の最初の節『立春』であります。
中国では旧正月、神戸の南京町は祭三昧。


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賑やかなのは南京町とその周辺だけで、酒樽屋(さかだるや)付近はいつもの様に、
酒樽(さかだる)、味噌樽(みそだる)、漬物樽(つけものだる)を作る毎日です。
木製樽(たる)の発祥の地は中国なのですが、日本に渡来して数百年、

第二次世界大戦の頃、樽屋竹十の台湾支店があった事と、
昭和の終わり頃に彼等の弟子達を何人も樽職人として招聘して以来、
現在では中国とは余り関係がありません。


2011年2月4日

和樽(わだる)に於ける、漬物樽(つけものだる)と味噌樽(みそだる)の違い

本日は節分であります。
豆を撒く日なのですが、撒かずに木製樽を使って味噌を作る時期でもあるのです。

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これは一斗(18リットル)の漬物樽です。34型とも呼んでおります。
高さが34センチ(一尺一寸)あるからです。
厚さ2センチもある吉野杉の落し蓋(ふた)が一枚付属します。

この漬物樽(つけものだる)を利用して味噌(みそ)をつくる事も可能です。
ただし、本当の味噌樽(みそだる)と比べると出来上りの味噌(みそ)は若干劣るようです。
それでも、同じ吉野杉を使用して、化学的な接着剤は一切使っていませんから、
琺瑯(ほうろう)、陶器のかめ、プラスチックの容器類と比べると遥かに美味しい味噌(みそ)が出来ます。
��上蓋が必要な場合は一斗の場合、別途2、100円追加になります)
これも本体同様、接着剤は一切使用していません。

通常、漬物は新鮮な空気を樽(たる)に入れ、過剰な水分を外に出さねばならない上に、
常に糠等の場合は撹拌の必要があるので、上の開口部を大きく作っています。





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こちらは純正の「味噌樽(みそだる)」です。
漬物樽(つけものだる)と正反対に、出来る限り空気を入れないように、
上の部分を小さく、全体を細長く作ります。
これには必ず落し蓋(ふた)と上蓋(ふた)の二枚が付属します。
蓋(ふた)は必ず厚さ2センチ以上の板目の厚い物を使用します。

柾目の蓋(ふた)は長い間に歪んで来るので漬物や味噌には向いておりません。
勿論、樽(たる)本体も必ず板目でなければなりません。
味噌樽(みそだる)は本来、桶屋さんが作る物でした。
残念ながら、かつては町内に一軒と言っていい程の割合で桶屋さんがあったのですが、
需要が激減していった事もあり、後継者の育成が出来ず、今や全国で数軒。
樽屋も10軒前後が残っているだけです。
樽屋の場合は「酒樽」という、清酒と密接な関係にある商品を毎日作っている御蔭で存続が可能なのです。


なお、味噌樽(みそだる)にせよ漬物樽(つけものだる)にせよ、
落し蓋(ふた)が底に到る程小さい事はあり得ません。
必ず最後の味噌なり野菜が残っている訳ですから、
途中で引っ掛かる程度の径でないと良い押し蓋(ふた)とは言えません。
最初に沢山作った時に隙間が少ない方が良い押し蓋(ふた)です。

向こう側に見えている小さい物は「漬物樽(つけものだる)の小です。