2011年8月30日

出来立ての「仙介」の菰巻き



灘五郷の泉酒造さんでは長らく「泉正宗」の菰を使っておりましたが、
練習の最終日に届いたばかりの新しい菰「仙介」が登場。
早速、師匠に手本を見せてもらった後、蔵人ふたりが飾樽を巻きます。
見事な亀甲巻が完成しました。

2011年8月23日

酒樽屋の油売り

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心なしか暑さも和らいで来た気も致します。

本日は処暑なり。収穫期でもあります。

偶然ながら、同じ日が油の日でもあります。
かつて大山崎で長い木を使って油を搾る技術を考案した日だそうです。
旧歴だから、年によっては8月20日になったりもします。
写真は1000年以上前に九州から分かれて建立された離宮八幡宮で、
油の神様にされています。




写真の関大明神は摂津の国と山城の国の境で関所があった名残です。
また、この北側に「大筑波集」で有名な山崎宗艦の旧宅跡の碑が建っておます。
宗艦はここ山崎の竹を伐って京まで油を売りに行っていたといいます。
当時の油は荏胡麻油で、最近ではコレステロールが少ないよいう理由から、
食用として脚光をあびていますが、
昔は灘の菜種油と同様に行灯等を灯すために照明に用いられていました。


かつては樽屋竹十も、この付近の竹と右京区鳴滝の竹だけを使用しておりましたが、
今は伐採禁止になったので、六甲山の裏手の竹林へ伐りに行っています。

この付近一帯、現在はサントリーの蒸留所や大山崎山荘すなわち旧加賀正太郎邸、
後のアサヒビールの祖、山本為三郎邸の美術館をはじめ、
美術館に登る途中に建つ藤井厚二の聴竹庵や妙喜庵、待庵など、
風光明媚の故か新旧名建築が残っています。


     宵毎に都を出づる油売り ふけてのみ見る山崎の月  宗艦
                       七十一番 職人歌合せ


2011年8月20日

宙に浮く四斗樽(たる)

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宙に浮く程、たくさんの四斗樽が樽屋の前に並んでおります。
一度使用した酒樽を一空樽(いちあきだる)と呼びます。
かつては大手の蔵元が一度使った樽を「樽屋竹十」が手直しして、
中小の造り酒屋へ納められて、リユースされていた訳です。

最近、また一空樽の流通が活発になってきて、中古の酒樽を廉価にて
提供出来るようになりました。
買い取って来たままの現状渡しが一番安くいのですが、傷みも早くなります。
よく樽を乾燥させてから、竹のタガを層替えすれば新品同様になりますけれど、
それなりの価格になってしまいます。

アルコールがしみ込んで,灰汁抜きも完了している訳ですから、
当日から漬物や味噌をつくる事が出来るという即戦力と価格が魅力です。




2011年8月19日

木製樽に竹タガを巻くのも容易ではない

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殆どの木製の杉樽にはマダケ(真竹)を割って、削り「輪竹」という物を作り、
これを周囲に巻くというより、編むに近い「結う」という工程を経て竹箍(タガ)をこしらえます。
ただ、夏の時期には竹を伐るべきではなく、既に去年の冬に薮から伐り出して来た竹を使います。
この一年分の大量の竹の管理が容易ではなく、日に当てて褪色させたり、硬化させてもいけないし、さりとて大事に奥の方へ仕舞い込むとカビが発生したり、腐ったりします。

写真の竹は質が悪くなって結う折や締める際に切れてしまった破片の山です。
これも知人のイタリア人の手に渡り、別の用途に使われます。
竹は油分を多量に含んでいるので燃やすと相当な高温になりますが、直ぐに消えてしまいます。


2011年8月13日

酒樽屋の盆休み

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震災以降、東北の桶屋さんが休業あるいは廃業せざるを得なくなったので、
従来の御客様以外に北日本からの木製樽の注文も受け入れる状況が続き、一ヶ月以上も
blogの更新が出来ませんでした。
樽が完成しても輸送が不可能で、地震から約100日後の今頃ようやく輸送状態も元に戻って来ました。
出来上がった杉樽をトラックが動くまで大量に保管しておく事にも苦慮致しました。

西瓜の美味しい夏であります。昔のように切らずに丸ごと売っている店も少なくなりましたし、家族も少なくなり、井戸のある家も珍しく、冷蔵庫に入れるにも限度がありますが、
西瓜はやはり、切売りより真ん丸の方が風情があります。

酒樽屋も今日から短い盆休みです。

金色の 仏壇のある 海の家     小澤 實



2011年7月31日

大黒正宗さんでの酒樽の菰巻き

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大黒正宗で有名な安福又四郎商店さんでは、酒が美味しい事で有名な石屋川付近の四軒の酒屋さん
すなわち仙介の泉酒造さん、灘泉の泉勇之助商店さん、福寿の神戸酒心館の中で
唯一、ご自身の蔵の中で菰巻きが出来ます。

ほかの蔵は、たるや竹十が一丁ずつ菰巻きに出かけなければならないので、
これではいけないと来月になったら、菰巻き合同講習会を三日連続で催す次第になりました。
練習用の菰(こも)と縄は用意しましたが、7人分の菰巻き用の道具を揃えるのが大変です。

左下の黒い物は肘や膝用のプロテクター。
想像以上の重労働なのです。

2011年7月27日

酒樽、醤油樽の三ツ輪掛け

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巻き上がった菰巻きの酒樽を輸送用に更にビニール袋で包み、
三ツ輪掛けという簡易梱包を施し中身の酒の種類と製造期日を表示した荷札を付けて、
ようやく出荷出来ます。

古い写真はヒガシマル醤油のコモ巻き風景ですが、こういう形態の荷造りを「裸荷」といい、
先に何度か紹介しましたコモ巻きの方法は「本荷(ほんに)」といいます。
その中間に「仮巻(かりまき)」という無印の薄い菰を簡単に巻く方式もありましたが、
現在は殆ど見られなくなりました。

このあたりの区別が混乱しているので、今のうちに整理しておかねばなりません。
殊に最近はあらかじめ蓋を抜いた酒樽の需要が増え、
鏡(酒樽の蓋)が見えるような昔はなかった特殊な巻き方などもあり尚更です。

巻いている酒樽の向こう側に少し見える完成品には、前述のような不安定な巻き方の際に、
菰を安定させる為に、更に一本黒い紐を結んで輸送中に菰がずれないように留意しました。
この紐はちなみに「豆樽(まめだる)」という一升や二升の小さな樽の菰巻きに使うビニール縄です。
「豆樽」の中身はガラス瓶、あるいはプラスチックです。かつては白磁の焼物でした。
菰をほどいても決して木製樽が出て来る事はありません。





2011年7月23日

酒樽の菰巻き 鏡開き樽編



大暑であります。暑い筈です。
この日は本来の藁による菰(こも)ではなく、ビニール菰(通称PP)を使いました。
本物の菰は長くて良質の物が手に入りにくくなり、
残念ながら、太い縄が途中で足らなくなり、急遽別の縄を繫いだので少々変です。
日を改めて正式な動画を公開します。

前回の一斗樽と違い、これは四斗樽なので、酒が入ると100kg近くになり、
大暑のような時期に四斗樽の注文がある事は稀ですが、酒樽最盛期の真冬でも、
クーラーを付けて、シャツ一枚になっても、まだ汗まみれという程の重作業なのです。



こも巻きと言えば、酒樽のそれより松の害虫駆除の方が知名度が高いのですが、
木の幹に菰を巻く古くから続く風習には余り効果がないことが最近判ってきたようです。

2011年7月20日

菰専門店による菰巻き指導

今日は何故か海の日で、世間では連休だそうですが、樽屋は営業しております。

全国で10軒程になった樽屋より菰屋さんは更に少なくて日本中に3軒だけです。
その中の一軒、老舗の矢野三蔵商店さんのプロによる巻き方紹介です。

 菰の巻き方


撥(バチ) [バイ]とも言う


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樫の木で出来ており たたく、こする 作業を担う  縄は叩いて締める事により菰に馴染み より強く締める事ができる



針

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柔らかく粘りのあるグミの木を削り出して作ったもの 職人が自分の手に合った大きさ、形に仕上げている      現在はステンレス製の特注品を使用             長さ約30cm

2011年7月7日

酒樽に菰(こも)を巻く





酒樽を完全に菰(こも)で包んで、形を整えます。
本来は酒樽と菰の間に藁(わら)を入れて丸い形をつくったのですが、
最近は発砲スチロールの型を入れるので誰が巻いても同じように出来上がります。

蓋の部分は「口かがり縄」を使って編み込みます。
目出たさを表すために象亀甲模様に仕上げなければなりません。



2011年7月1日

木製樽の菰(こも)を解く



菰(こも)、薦(こも)とも書きます。
元々はマコモを使っていましたが、現在では藁(わら)を編んだ物を用いております。

吉野杉で作った一斗木製樽を菰(こも)で巻いてあったのですが、
菰は本来、灘から江戸へ酒樽を樽廻船で運ぶ際に樽と樽が直接当たらないようにする為の
緩衝剤だったのですが、せっかく青竹と川上村の吉野杉で出来た酒樽を藁(わら)で隠すのは忍びないので、
ハレの席では菰を解いて中の杉樽を見せて下さらないと酒樽屋としては、
杉樽を丁寧につくる甲斐がないというものです。




2011年6月26日

酒樽屋 「青騎士」へ駆けつける

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酒樽屋から歩いて行ける美術館で「カンディンスキーと青騎士展」が開催されていたのは夙に知っていていましたが、
知人たちが遠くから早々に観に来ているのに酒樽屋は近所過ぎるのと、
何度行っても迷子になる奇妙な美術館であることも手伝って、出かけるのは何時も会期終盤になってしまいます。
一枚のKleeの小品だけが異質でした。
会場にはSchoenbergが流れておりました。

2011年6月15日

酒樽屋にも東日本大震災の影響が少し

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避難所、仮設住宅、復興住宅と16年前の神戸での大震災を想起させる言葉が
メディアの各所に見られ、忘れていた記憶がよみがえり気が滅入ってきます。
国内での震災による自粛ムードは徐々に薄らいで来ましたが、
外国から見た今の日本は、全国が放射能に汚染されているように感じるようです。

先日も随分前から準備していた海外輸送用の酒樽がキャンセルになりました。
理由は記されておりませんでしたが、恐らく放射能に対する恐怖でしょう。

近所のロシア料理店のオーナーも、慌てて本国に帰ってしまいました。
恐らく半年くらいは戻って来ないでしょう。
彼の場合もチェルノブイリの記憶が甦って来たのでしょう。

2011年6月7日

木製樽(たる)を再利用して植木鉢として使う

芒種 (ぼうしゅ)であります。
現代と若干の時期のずれがあり、最近の異常気象の関係も影響して、
実際の日にちの異動はあるものの、昔から穀物の種を植える目安となる日です。

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写真は何度か登場した、沢の鶴資料館(昔の酒蔵)に併設された駐車場の入り口風景です。
酒樽屋は、その真正面に建っているので、資料館に見学に来られた観光の方々が立ち寄られます。

吉野杉と竹だけで出来た木製樽(たる)の原材料は全て植物なのですから、
植木鉢に転用した酒樽という容器で植物を育てる事は、植えられる植物にとっても、
植物同士ですから、これほど適した容器はない訳です。
漬物樽や味噌樽同様に樽(たる)自体が呼吸しているので、植物の生育が活発になり、
陶磁器の容器等の比べると生育が数倍盛んになり驚かされます。

植物に限らず、魚類の保存にも木製樽は適しているようで、
プラスチック系の容器だと鱗(うろこ)が取れてしまうため木製容器の方が良いようです。
かつて、「トロバコ」という水産類の輸送保管には木製の函が利用されていましたが、
最近は殆ど発泡スチロール製の容器を見る事が多くなりました。







2011年6月6日

酒樽屋 昭和初期の小売酒店の写真に木製樽を見る

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昭和30年代までは輸送用の容器として木製樽が主流を占めておりました。
町の酒屋に行く時も自宅から通い徳利を持参して、酒樽から今夜必要なだけの酒を買いに行ったものです。
沢山の木製樽の後ろにガラスの一升瓶も見えますが、普段これを買う程には日本は未だ裕福ではなかったのです。
一升瓶は、もっぱら進物用に使われていました。
「大関」とか「白雪」など今でも残っている蔵から出荷された菰被りの酒樽が多く見られますけれど、
菰は輸送時の緩衝材ですから、写真の女性が選んでいる裸の木製樽の方が自然な感じがします。
これは無地の菰を仮巻という略式の方法で簡単に巻いて、店に届いたら菰は解いてしまっていたものです。

なお、かつて清酒のための輸送容器は全て四斗樽でした。
今は、木製樽はもちろん、一升瓶も陰をひそめて酒は量販店で紙パックを買う時代になりました。