2009年6月4日

北海道 奥尻島へ渡った樽太鼓(タルダイコ)

IMG_0506.JPG

昨年の6月に奥尻島へ送った樽太鼓が評判で島の恒例行事になりそうです。
島の小学校へ樽太鼓を送ったのですが、住所が奥尻郡となっていたので、
離島であることを見落とし、送料は思っていた倍ほどの請求が来てしまいました。
今回、蓋(フタ)の取替のため、はるばる樽太鼓が海を渡って戻って来ます。

奥尻島といえば平成5年の大地震で壊滅状態になった島。
当時,樽太鼓など夢のまた夢だったことでしょう。
ただ北の果てのように思っていた島が地震で知られることになってしまいました。
かつてニシン漁で栄えた島だという知識しか持っていなかったのが、
アイヌの文化が残り、江戸時代から既に移住し明治には郡の組織になった由緒ある町であることを震災のお陰で知りました。
農業も盛んで,ワイン工場も出来ました。観光地としても良い避暑地でしょう。
小樽(タル)ではなく、江差からまだ船に乗って行くのですが、想像していたより広い島です。
《石狩挽歌》の中で
「ゴメがなくから」という歌詞は、ずっと「米が無い」のかと思っていましたが、
「海猫が鳴く」だったのですね。
「筒袖(つっぽ)」「ヤン衆」も歌を聴いていても意味が判りませんでした。

 「笠戸丸」は、元は神戸から出航したブラジルへの移民船ですが、客船、病院船などに艤装。今ブームの小林多喜二の小説「蟹工船」にも登場します。最後は漁業工船に改造され、
��945年8月9日カムチャッカ沖を航行中、ソ連軍機により空爆・沈没した事も最近知りました。

今は全国からの支援で、奥尻島もすっかり元の生活に戻ったそうです。
神戸もその2年後に大地震の被害にあったので、他人事とは思えない島です。
同じように地震の被害にあった地域がこんな風に復興している写真を送ってもらうと、
嬉しくなりますし、神戸から奥尻島へ樽太鼓を送る事が出来る事に大きな幸せを感じます。

0 件のコメント:

コメントを投稿