2006年6月18日

火事の証人





写真は樽の材料ではありませんが、近所の並木が伐採された時に、真ん中に焦げ目のある木に出会いました。
年輪を数えてみたら、焦げ目の所は約60年前。
��945年3月の空襲で「たるや竹十」の付近に火災が発生した事を自身で語っています。



阪神大震災までは竹十のそばを流れる都賀川に沿って、柳並木が灘五郷ならではの風情をかもし出していました。
ところが震災後のプロジェクトで、亡くなった方の人数だけ桜を植えるということを思いついた人が何所からかやって来て、ある日突然、殆どの柳を伐採、桜に植え替えてしまいました。

一見、鎮魂という美談に見えますが、江戸期から続いたであろう景趣を残すことを忘れているように感じられてなりません。
何故、桜なのでしょう。
単純に話に迎合した役所も安易過ぎます。
もう、取り返すことのできない貴重な財産を失ってしまったことさえ、気付いていないように見受けられます。

空襲や台風に耐えて酒蔵の町を永い時間、見つめてきた柳まで勝手に伐る必要はなかったのではないでしょうか。



小村雪岱「青柳」 大正13年

柳は江戸期の都市文化の象徴として、かつて浮世絵などにも盛んに描かれました。
柳は日本の「粋」を体現する舞台装置として欠かす事が出来ません。

蓮咲くや桶屋の路次の行き止まり   久保田万太郎

投稿者 diva : 11:10 | コメント (0)

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