2009年3月30日

江戸時代の酒樽屋 実は桶屋なのです

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葛飾北斎(かつしか・ほくさい)の「尾州不二見原」です。

切手になったり、酒のラベルになったりしていて、たいそう有名な木版画ですね。
北斎は
1760(宝暦10年) 9月江戸本所に生る。
1778(安永7年) 19歳、勝川春章に師事、春朗と号す。黄表紙の挿絵、役者絵を描く。
1780-1800(天明・寛政のころ) 歌川豊春、司馬江漢の影響を受ける。
1810(文化9年) 『北斎漫画」の出版始まる。嘉永2年(1849)まで続き、13編で一旦完結。
1819(文政2年) 「たるや竹十」創業
1823(文政6年) 『富嶽三十六景』を描きはじめる。
1834(天保5年) 『富嶽百景』を描きはじめる。
1849(嘉永2年) 4月没、享年90歳、総作品は3万枚を超える。
結局『富嶽百景』は完結せず。

「富嶽三十六景」は36枚のように思われますが、実際は四十六枚。
富士山を中心に、それまで誰も考なかった斬新な手法を取り入れ、色調と構図も独特の大傑作であり、北斎五十年間の画業は、ここに凝縮されていると言えるでしょう。

因に、ここで桶屋が使っている道具を職人は「イレギワ」又は「ヤリガンナ」と呼んでおります。
桶の内側の段差を整える為の道具で、樽屋が使う「つっこぼり」と似た目的のものです。

左側に竹タガや銑(せん)等の道具や道具箱、右側に木槌が何本か見えます。
側を補修して、輪替えをしている図かも知れませんが、
一人で作業出来る大きさではありません。
あるべき筈の底も見当たりませんし、第一にこんな変形の桶をいったい何に使うのでしょう。

野暮なことを書き連ねてはいけません。これは「絵」なのです。
すべて、奇才北斎による想像上の風景なのでしょう。

北斎晩年のスポンサー高井鴻山で話題の長野にある桝一市村酒造場の十二代目らしく、下って十六代当主が北斎館を設立しているのも何かの縁でしょう。

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