2008年4月30日

酒樽屋の虫養ひ 其の肆

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宵に酒樽屋(さかだるや)が出掛ける時は、よく神戸の元町に「卓」で蕎麦を食します。
最初、なぜか中華街の真ん中で こぢんまりと開店、その後すぐに今の場所に移転して店主の後藤卓さん、ずいぶんがんばりました。
独立したのが確か弱冠28歳の時、あれから8年経ちます。
今では若いスタッフが汗だくになって蕎麦を打ってくれています。
この日の酒樽屋(さかだるや)が注文したのは好物の「鴨つき』玄蕎麦
樽屋の女房はシンプルに「もり蕎麦」

熱燗と共に軽い食事も出来るようになり、わかり難い場所なのに何時も満席です。

手打ちそば処 卓
神戸市中央区元町通四丁目五の六 中野第二ビル一階
078-351-7981
am11:30~pm2:30 pm5:30~pm9:30
水曜定休 北側にコインパーキング有


2008年4月29日

三十個の樽太鼓

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時には、四斗の樽太鼓を大量に作ることもあります。
丁度、樽屋の向かいにある酒の資料館でイベントがあるというので、蔵元でシールをもらってきて、全部の樽太鼓に張りました。
普段から見慣れているものですが、四斗の樽太鼓が30個、40個と並ぶと壮観です。
昭和40年代までは、当たり前の風景だったのですが、それでも年末の話で季節はずれの、この時期に樽太鼓とはいえ、こんなに沢山つくったのは久しぶりです。
イベントに来た人も観光に来た人たちも皆さん樽太鼓をバックに記念撮影をして帰られました。



2008年4月28日

やっぱりパーティの酒樽は鏡開き

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アトリエドームの坪文子さんの依頼でgrafの10周年記念パーティのために五升(9ℓ)の酒樽(さかだる)を持って行きました。

五升の酒樽は小さくて「鏡開き」をしにくいので、呑み口から出す形にいたしました。
しかし「鏡開きはしないの?」という声が会場のあちこちから聞こえ、大勢の人たちの前では、やっぱり「鏡開き」に限ると再認識。
酒樽屋のおやかた、反省する事しきり。
ハレの舞台には、やっぱり「鏡開き」でした。
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DJブースではリリースされたばかりの「ウリチパン郡」のニューアルバム「ジャイアント クラブ」が。

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会場で人気だったのが、数字の十とクロスを象った巨大なケーキ。
あっという間に食べられてしまいました。
口にしたのは周囲の野菜だけです。
「花は食べられません」の注意書きあり。

2008年4月16日

木樽を使った植木鉢

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菜の花が満開です。
お酒で有名な灘五郷の「なだ」という地名も菜(な)田(だ)からという説もある程です。

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木の樽を使って植物を栽培すると驚く程、よく成長します。
木樽も植木も同じ植物だからでしょう。

写真は三年ほど使った植木鉢ですが、箍の色が褪せているだけで木樽自身は植物に助けられてビクともしていません。


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これは餅つきの臼ではありません。
灘区の山の手から最近発掘された江戸期の菜種油の臼です。

かつて灘は一面の菜の花畑でした。
この設備を米の精米に転用して酒造業が発展したと言われています。

2008年4月8日

樽屋の道具 其の伍

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「いれぎわ」とも或は「入りカンナ」とも呼びます。
桶屋に言わせると、彼らの道具だそうで、樽屋はあまり使いません。
「たるや竹十」では 仕上げの時など手が届かない所を削るために使います。

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2008年4月3日

MY FUNNY BIRTHDAY

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今日が酒樽屋の本当の誕生日です。
酒樽屋の十代後半はこのジャズ喫茶に終始しました。

この狭い空間で奇妙な人々との出会いがありました。
山本六三さんや渡辺一孝(未だ「考」ではなかった)さん達と知り合ったのも、この店でした。
コルトレーンやセシル テーラーがよくかかっていましたが、誰もジャズなんて聴いていませんでした。(一階の数人は除く)
新宿の風月堂は本来クラシック喫茶で早川義夫さんの曲によればバッハが流れていたそうですが、これも余り覚えておりません。


開店から閉店まで居座る客が多くて、遂に「追加注文」というバンビ特有のメニューが出来た程です。「追加注文」時代からバンビはつまらなくなりました。
中島裕之くん(のちの中島らも氏)が登場したのは、この頃です。
酒樽屋は、その後 東京の学校へ行ってしまうので、中島くんとは数回しか話したことはありません。
ところが酒樽屋の姓は明治になるまでは中島だったらしく、更に誕生日が同じ四月三日だという共通点が不思議で、一度ゆっくり話してみたいと思っているうちに彼は階段死してしまいました。
まことに残念です。

今はもうバンビーというジャズ喫茶もありませんし、マッチ箱に書いてある番号に電話をしても某保険会社に架かるだけです。
あの大きなJBLのスピーカーとマランツのアンプはどこに行ってしまったのでしょう?
何万枚のLPはどこに消えたのでしょう。



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2008年4月2日

このふたり 誕生日が同じというだけだけど

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生涯、煙草を離さなかった、セルジュ・ゲンズブール。


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かたや、喉頭癌からみごと復活した、忌野清志郎こと栗原清志くんの愛車。
盗難で有名になりました。
「オレンジ号」という名は色からではなく,イギリスのアンプメーカーの名称。
マツナガのフルカーボンフレームですから、重量6.8キロ(公式レースにはこれ以上軽い自転車はエントリー出来ません)
盗まれた時の写真を見るとその後、ホイールをSHIMANOからCAMPAGNOLOに変更した模様。

ゲンズブールは自転車よりオートバイクの方がお好きだったようで、
バルドーにも、ハーレーに乗せて、『ハーレーダヴィットソン』を歌わせてたなァ。
もし彼が「Rene Herse」という曲も作ってたら、もう少し長生きしていた筈。


この二人は何の関係もありませんが、どこか似ています。マージナルなところが。。。。。

2008年4月1日

漬物の季節です

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野菜の美味しい季節です。(冬野菜もおいしかったですね)

吉野杉で作った漬物樽で漬ける漬け物も格別です。
野菜から出る水分を木製の漬物樽が適度に吸い取り、代わりに新鮮な空気を漬物に入れてくれます。
プラスチックや陶器の入れ物と違って木製の漬物樽(つけものだる)は朝から晩まで樽そのものが呼吸しているのです。

勿論、出来上がった漬物の味も最高です。

酒樽の代表 甲付樽(こうつきだる)

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少々、しつこいようですが酒樽(さかだる)といえば、甲付樽です。それも四斗樽です。
明治、大正までは四斗の甲付樽(こうつきだる)ばかり作っていましたが、昭和になって、
一斗(コダル)、二斗(ハンダル)が主流に変わりましたが、平成も20年になりますと、
また、四斗樽(よんとだる)の良さが見直されてきました。



2008年3月8日

酒樽屋 贔屓の詩人の誕生日

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ロベール ド モンテスキュウ伯爵が1855年に生まれた日。

「さかしま」の舞台になったと言われる、モンテスキュウが住んでいたQuai d'Orsayの館を訪ねた時の写真です。

現在は館の半分が中国文化センターのような物になっていました。
他の彼の旧居と違い、当時の面影が微かに残っています。
残り半分はパリ市所有。

2008年3月7日

味噌樽(みそたる)の封印

%E7%9B%AE%E5%BC%B5%E3%82%8A1.JPG写真 沢の鶴資料館

清酒醸造用大桶の蓋の封印です。
桶板の板目が美しいですね。

画像は勿論、清酒醸造用の大桶ですが、味噌つくりの際も同じように蓋(ふた)と本体の味噌樽(みそだる)の間を良質の和紙を用いて封印します。
今頃の寒い時期に仕込んだ清酒を秋まで寝かせて充分醗酵するまで、この封印は決して取りません。 

%E7%9B%AE%E5%BC%B5%E3%82%8A%E7%B4%99.JPG 写真 沢の鶴資料館

目張り紙と言います。

昔は、二月三月くらいになると何人もの古紙屋が大八車に山盛りの古紙を積んで灘五郷を回ってきたものです。
上に載っている「こより」状の紙は、今でも使いますが、漏れ(「さし」と言います)を止めるための必需品です。
漏れる部分に埋め込むと和紙の力で漏れが止まります。
酒樽(さかたる)にも味噌樽(みそたる)に漬物樽(つけものたる)にも使います。


家庭で仕込む味噌樽(みそたる)も、このように和紙で封印するといいようです。



2008年3月5日

酒樽屋の最高級品 甲付樽(こうつきだる)

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酒樽(さかだる)で一番よいものといえば甲付樽(こうつきだる)です。

と言うよりも昭和の中頃までは酒樽(さかだる)には甲付樽(こうつきだる)しか使いませんでした。
しかも、戦前は四斗樽(よんとだる)すなわち72リットル、一升瓶で40本分のものだけが流通していました。
日本酒と最も相性がよく、しかも見た目が青竹に白と清々しく、しかも酒が洩れにくい性質の部分なので珍重されたものです。
これをコモで巻いてしまうのは大変もったいないことです。
当時は酒樽(さかだる)が届いたら、すぐにコモは廃棄して中の酒樽(さかだる)を出したものです。


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吉野杉の中でも最良の川上産の材料、その中でも原木で一箇所だけしかとれない部分、
外側が白く内側が赤い箇所を甲付(こうつき)と呼びます。
それでは、その内側の赤い部分(「赤味」といいます)はどうしたかというと「醤油樽」に使っていました。
また、外側の白い部分は「木皮」(こわ)といって柾目に割り寿司半切に使います。
半切には向かない白い部分が少ない原木の場合は吉野地方で箸に加工されてきました。

醤油を樽詰しなくなった昭和36年以降は赤味材も酒樽に使うようになり、甲付(こうつき)は特級酒(今の特撰)、赤味(あかみ)は一級酒(今の上撰)と差別化しました。

白い部分は酒樽(さかだる)の蓋(ふた)に、赤い部分は底にも使います。


  


2008年3月4日

酒樽屋の「虫養ひ」 其の参

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酒樽屋は100キロ位の四斗樽を運んだりもしなければならないので、昼食と夕食の間に何か食べないと仕事になりません。今日は・・・
「駅そば」です。

不思議な食べ物です。
��R姫路駅が発祥の地だそうで、関西特有の物でしょう。

敗戦直後の昭和24年10月、物資の統制から小麦粉が手に入りにくくなって、
うどんを駅で出す事が出来なくなり、最初こんにゃく粉の麺を代用していたのが、痛み易いので、
ラーメンの麺を入れてみたら評判が良いので定着したのだそうです。
当時、器付きで一杯50円、器を返すと40円。(結構、高級品ですね)
今でも一杯400円です。
トッピングはてんかすとネギだけですから、今も高級品かも・・・

旧年まで350円だったのですが、ここのところの小麦の高騰には逆らえなかったようで、
昭和の食糧難より、現代の食糧事情の方が深刻なようです。



栄食堂
神戸市灘区岩屋中町5-1-10
��78-882-4590

��:40~23:00 年中無休

ドライバーにとって嬉しいのは、店内に駐車違反取締の方々が来られた時のために,
店前道路を映し出すモニターがあること。

2008年3月3日

特製の菰樽と塗枡

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有馬の旅館から依頼があって、パーティー用に特別な桃色の菰(こも)をつくりました。
四斗樽の鏡開き用です。(桃の節句だからという訳ではありません)
枡もロゴ入りの特製を別注しました。
樽屋としては、青竹の見える酒樽で鏡開きをしていただきかったのですけれど、お客様の要望は「コモダル」だったので、仕方なく一日がかりで、「印」を描きました。


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2008年3月1日

吉野杉の漬物樽で沢庵を漬ける

%E5%96%9C%E5%A4%9A%E5%A4%A7%E6%A0%B9.jpg 写真 喜多章

三月になりましたが、まだまだ寒い日が続きます。
某日、京都のさる塔頭から沢庵を漬けたいからと四斗漬物樽二丁の依頼がありました。
電話でご注文をいただいたのですが、その折に「ところで四斗で大根が何本位漬けられるのですか」という質問を受けました。
樽屋のおやかたは沢庵を漬けた経験がありません。
大根を縦に突っ込んだ様子を想像して、「多分、10本くらいでしょう」と答えたら、呆れられ「ああ、もう(質問の答えは)結構ですから、漬物樽をよろしくお願いします」と言われてしまいました。

樽屋の女房に訊いても全然知らないとのこと。
慌てて近所のご婦人方に尋ねに行くと、即座に答えが返ってきました。
一斗樽で20本、二斗樽で50本、四斗樽で80本くらい。持ち運びする事も考えれば二斗樽が一番、と教えてもらいました。

お陰で最近は、お客様に尋ねられても即座に答えられるようになりました。

%E6%BC%AC%E7%89%A9%E6%A8%BD.JPG 二斗樽に一斗樽を入れたところ

沢庵は大徳寺の澤庵 宗彭が考案したという説もありますが、単に「たくわえ漬け」が転じたものでしょう。

ところで、食堂などで沢庵(おこうこ或いはおしんこ)が出てくる時、必ず二切れです。
これは一切れでは「人斬れ」三切れでは「身斬れ」を思わせ縁起が悪いので二切れなのだそうです。